東雲製作所

東雲長閑(しののめのどか)のよろず評論サイトです。

プロフェッショナル仕事の流儀~庵野秀明スペシャル~感想

『プロフェッショナル仕事の流儀~庵野秀明スペシャル~』が話題になった。ネットでは異常なまでにクオリティを追及する庵野監督に振り回される周囲の人々に同情する意見が多かった。
私は本放送を録画しておらず観られなかったのだが、5月1日の深夜に再放送されたので、メモを取りながら正座して観た。

庵野監督は自分よりも自分が作った作品の方が価値が高いと語っていた。
私も自分より自分が作った作品の方が価値が高いと思っているので我が意を得たりだ。

番組では自分の命より作品を優先することを異常なことのように扱っていたが、芸術家というのは大なり小なりそうなのではないか。
命を削って作品を作るというと壮絶だが、人の命が有限で作品を作るのに時間がかかる以上、作品を作れば当然命が削れる。
大切なのは作品に注いだ労力の総量であり、太く短くやるって健康を害するか、細く長くやるかは本質的ではない。

私がむしろ異常だと思ったのはプロフェッショナルのディレクターだ。ディレクターは庵野監督に「なぜここまでできるのか」と質問していた。その質問は即ち「映画にそこまでやる価値があるのか」ということ。TV番組のディレクターがなぜそんな疑問を抱くのか理解できない。
庵野監督があそこまでやるのは作品の価値を信じているからに決まっているだろう。
そんなことを聞くのは失礼だし、もっと深いことを聞いて欲しい。

また、ディレクターは庵野監督からアイデア出しを手伝ってよ、と言われて「いやいや」と断っていた。信じられない。普通、「うひょー」と叫んで狂喜乱舞するだろう。

これが、映像作品やフィクションに一切興味のない一般人だったら分かる。だが、断ったのはプロフェッショナルのディレクターだ。プロフェッショナルのディレクターなんて、映像業界のトップクリエイターじゃないか。映像業界第一線のクリエイターが、映像業界の神から手伝ってくれと言われてなぜ歓喜に打ち震えないのか。おかしいだろ。シン・エヴァンゲリオンに自分が提案したアングルが採用されるかもしれないなんて、全映像作家の夢じゃないか。

番組では庵野監督のアングルへの恐るべき拘りが紹介されていた。あれを観ていたら、普通の映像作家なら、自分も異常なアングルを追求したくなってうずうずしてくるはずだ。だが、出来上がった番組のアングルはごく普通なものばかりだ。なぜものすごく遠くから撮ったり、光と陰のコントラストを強調したりしないのか。

番組は一般人目線で作られていたので、普通の人が見ても面白い番組になっていた。それがプロフェッショナルスタッフの仕事の流儀なのだろう。

だが、シン・エヴァンゲリオンの製作過程に密着できるという全映像作家垂涎の好機を得たのに、成果物がこんなオーソドックスなドキュメンタリー一つだけで良いのだろうか。
映画監督を志している意欲と才能ある若者を密着させれば、宮崎監督から学んだ庵野監督のように急成長し、日本を代表する監督になったかもしれない。
NHK中を探せば、あそこで腕まくりする奴の一人や二人見つかるだろう。NHKが局を上げて必死に取り組まなかったことが悔やまれてならない。

www.nhk-ondemand.jp

本屋大賞作家のデビュー新人賞まとめ

作家になるのは大変だが、作家になってから生き残るのも大変だ。
作家としてデビューしても、本が売れなければ新刊が出せなくなってしまう。作家としてやっていくにはただの作家ではなく人気作家にならなくてはならない。

人気作家の証の一つが本屋大賞だ。書店員の投票で選ばれる本屋大賞受賞作家ともなれば、押しも押されもせぬ人気作家と言えるだろう。
そこで、本屋大賞受賞作家がデビューした新人賞を調べてみた。本屋大賞受賞作家を多く輩出している新人賞からデビューすれば、生き残れる確率が高くなりそうからだ。

ja.wikipedia.org

本屋大賞は過去17人の作家が受賞している。
過去の受賞作、作家とデビュー新人賞の一覧を示す。

受賞年 受賞作 著者 デビュー新人賞
2004 博士の愛した数式 小川洋子 海燕新人文学賞
2005 夜のピクニック/2017 蜜蜂と遠雷 恩田陸 日本ファンタジーノベル大賞最終候補作
2006 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 リリー・フランキー
2007 一瞬の風になれ 佐藤多佳子 月刊MOE童話大賞
2008 ゴールデンスランバー 伊坂幸太郎 新潮ミステリー倶楽部賞
2009 告白 湊かなえ 小説推理新人賞
2010 天地明察 冲方丁 角川スニーカー大賞金賞
2011 謎解きはディナーのあとで 東川篤哉 Kappa-One登竜門
2012 舟を編む 三浦しをん
2013 海賊とよばれた男 百田尚樹
2014 村上海賊の娘 和田竜
2015 鹿の王 上橋菜穂子
2016 羊と鋼の森 宮下奈都 文學界新人賞佳作
2018 かがみの孤城 辻村深月 メフィスト賞
2019 そして、バトンは渡された 瀬尾まいこ 坊っちゃん文学賞大賞
2020 流浪の月 凪良ゆう
2021 52ヘルツのクジラたち 町田そのこ R-18文学賞大賞


17人中6人は小説の新人賞を獲らずにデビューしている。残りの11人がデビューした新人賞は見事にバラバラだった。

これでは傾向が分からないので、各年の上位5位までに入った作家に広げて調査を行った所、下記の11の新人賞が複数人の上位選出者を輩出していた。

文学賞 出身作家(候補作→デビューを含む)
文學界新人賞 吉田修一大島真寿美*、宮下奈都、中脇初枝
日本ファンタジーノベル大賞 恩田陸森見登美彦池上永一
ポプラ社小説大賞 小川糸、伊吹有喜、小野寺史宜*
R-18文学賞 町田そのこ、窪美澄
オール讀物新人賞 柚木麻子、小野寺史宜*
メフィスト賞 辻村深月、砥上裕將
鮎川哲也賞 近藤史恵、今村昌弘
江戸川乱歩賞 東野圭吾高野和明
小説現代(長編)新人賞 金城一紀、塩田武士
坊っちゃん文学賞 瀬尾まいこ中脇初枝
すばる文学賞 奥泉光大島真寿美
  *の作家は複数の文学賞出身

最多の4人を輩出しているのが文學界新人賞だ。純文学系の賞なのに、大衆文学中心の本屋大賞にこれだけ選出されているのはすごい。純文学を書いている人は文學界新人賞に応募するのが良さそうだ。
3人を輩出しているのが、日本ファンタジーノベル大賞ポプラ社小説大賞だ。
日本ファンタジーノベル大賞は二回受賞の恩田陸氏をはじめ錚々たる作家を輩出しているが、一時休止していたこともあり、近年デビューの作家は選出されていない。
一方、ポプラ社小説大賞は2019~2021年と3年続けて出身作家をトップ3に送り込んでおり、勢いがある。編集部に本屋大賞狙いのノウハウがあるのかもしれない。
その他、R-18文学賞大賞、オール讀物新人賞メフィスト賞鮎川哲也賞江戸川乱歩賞小説現代(長編)新人賞、すばる文学賞坊っちゃん文学賞が二人ずつ輩出している。

全体的に見ると著名な大衆小説、ミステリー系の賞が強いという印象だが、1人だけ輩出している賞を見るとライトノベルから純文学まで32もありバラエティーに富んでいる。
どんな賞からデビューしても人気作家になるチャンスはあると言えるだろう。

www.hontai.or.jp

オーケー(スーパー)レビュー

コロナ禍で近所の安売りスーパービッグAへの依存度が上がっている。
以前は晩御飯はチェーン店で食べて帰ることが多かったが、最近はもっぱらビッグAの半額弁当になったし、在宅勤務の時は昼ごはんにビッグAで買った袋麺を食べている。
計算してみた所、私が食べているものの73.8%はビッグAの食品だった。東雲長閑の3/4はビッグAで出来ているのだ。

TBSラジオの「ジェーン・スー生活は踊る」という番組で毎年「スーパー総選挙」を行っていた。首都圏を中心にスーパーの人気投票を行うという企画でオーケーが3連覇している。

www.tbsradio.jp


一方、私の3/4を形作っている至高のスーパー、ビッグAはトップ30に入っていない。調べてみると通勤経路の船橋競馬場駅の近くにオーケーがあることが分かった。そこで、1位がなんぼのもんかじっくり見させてもらおうやないかい、という気分で視察に向かった。

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オーケー船橋競馬場店は周囲と店舗の2,3階に駐車場を有する巨大店だった。
入り口近くの果物野菜から、奥の弁当までざっと見て回った結果、オーケーの特徴が見えてきた。

オーケーは地域最安、競合店より高かったら値下げすることを掲げている。そのため大手メーカー品がとにかく安い。
特にCalbeeフルグラが559円(税抜き、以下同じ)だったのには驚愕した。ビッグAでは699円なので他のドラッグストアで買っているが、そこより40円も安い。フルグラは会員になって現金払いだと543円になるなど、さらに安い。私は朝食はほぼフルグラなので、フルグラを買うためだけに会員になろうか考えた程だ。
他にもカリー屋カレーが68円など、大手メーカーの定番品は信じられないほど安い。

また、生鮮食品が充実している。値段は同程度だが、しなしなしているビッグAの野菜に比べ、ピンとしていて生きが良さそうだ。
ビッグAの主要弁当は驚異の299円だが、オーケーも299円と互角。種類も豊富で美味しそうだ。

さすがスーパー総選挙3連覇という所だが、じっくり見て回った所、弱点も見えてきた。
オーケーにはプライベートブランドがない。またマイナーメーカーの格安品も置かないので、その点ではビッグAに分がある。

袋麺で言うと、大手ブランドのサッポロ一番みそラーメンは307円と369円のビッグAより安いのだが、ビッグAはAKAGI味噌ラーメン(146円)やビッグA味噌ラーメン(186円)を扱っており、204円の評判屋が最安のオーケーより最安品では分がある。
また、低脂肪乳はビッグAでは99円なのだが、オーケーでは最安でも174円と普通の牛乳より高い。定番品とその上の価格帯はめっぽう強いが、定番品より下の価格帯には穴があるのがオーケーの特徴と言えよう。

同じ安値を掲げているスーパーだが、ビッグAは貧困層向け、オーケーは中間層向けのスーパーという感じだ。
スーパーは自分の生活圏にあるものしか使わないので、違いに気づきにくい。ビッグAを客観視できたという点でも意義深い視察だった。

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ok-corporation.jp

真実の10メートル手前感想――計算された駆動力

(本稿は『真実の10メートル手前』の抽象的ネタバレを含みます。)

『真実の10メートル手前』(米澤穂信著、東京創元社)はフリージャーナリスト大刀洗万智の活躍を描いた連作ミステリー短篇集だ。
ほとんどの作品にろくでもないおじさんが登場し、ろくでもないおじさん見本市みたいになっている。それも、ダメだが憎めないおじさんではなく、単に嫌なおじさんばかりだ。私もはてブで批判ばかりしているので、作中に登場する批判ばかりしているおじさんなど身につまされる。
おじさんとしてはろくでもない女性や若者も出してよ、と思うが、米澤氏の中でろくでもない奴はおじさんばかりだという実感があるのかも知れない。


米澤作品を読むたび驚くのが、リーダビリティの高さだ。小説には読者にページを繰らせるための駆動力となる要素がある。米澤作品は駆動力が弱そうなのに実際は強いので、そのギャップに驚くことになる。

ミステリーの駆動力は「謎」だ。一体誰が犯人なのか、犯人はなぜこんなことをしたのか、犯人はどうやって犯罪を成し遂げたのかといった謎が物語の主軸になり、読者は謎の答えが知りたくてページをめくる。
だが、米澤作品の場合、非現実的なことが起こらないため謎が非常に地味であることが多い。本作は事件記者の大刀洗が主人公であるため、多少派手な事件も登場するが、作品によっては犯罪すら起こらなかったりする。
さらに、本作では多くの作品で謎が明確に提示されない。ささやかな違和感があるだけで、大刀洗級の頭脳がないと何が謎なのかも分からない。これではページを繰らせる原動力にはならない。

また、多くのエンターテイメント作品では、今後どうなってしまうのかというハラハラ感で読者を引き込む。これは「未来の謎」とでも呼ぶべきサスペンスの駆動力だ。連続殺人が起こったり、探偵やその仲間に危機がせまることで、読者は興味をふくらませる。
本作は表題作を除けばどれも終わった事件を扱っているので、今後どうなるのだろうというハラハラ感はない。
つまり、本作はミステリーとサスペンスの主な駆動力をほとんど使っていないのに引き込まれるのだ。米澤氏は一体どんな魔法を使っているのだろうか。

本作では全ての短編で語り手が異なっているのだが、どれも語り手が大刀洗万智のことを誤解し、それが解消されるという構造を持っている。「欠落→解消」という物語の基本となる駆動力だ。唯一、大刀洗万智本人が語りを務める「真実の10メートル手前」はこの駆動力が使えないため、代わりにサスペンス要素が配されている。
さらに、作品全体でも、大刀洗の記者としての想いが報われず生じた欠落が、最後に解消されるという構造を持っているので、カタルシスがある。


『真実の10メートル手前』は記者の役割とは何かというテーマを扱った社会派の作品だが、むしろそれ故にリーダビリティにも綿密な気配りがなされているのだ。

 

察しの悪いみかんの話

庭の木にみかんがなった。正確に言うと冬頃になっていたのだが、面倒くさいので放っておいたら風の強い日などにぼたぼた落ちてくるようになった。

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苗を植えたわけではなく種から生えてきた木なので、店で買うものの味とは比べるべくもなく結構酸っぱいが、落ちるまで熟させればそこそこ甘い。

先日、庭で落ちたみかんを拾っていると、垣根越しに近所のおじさんが話しかけてきた。
「この間、落ちているみかんを拾って食べたら美味しかったよ」と言うので、「そうですか」と答えた。
黙々とみかんを拾っているとおじさんは去っていった。

後で気づいたのだが、あれは暗にみかんをくれと言っていたのであろう。
このように私は察しが悪く、後からそういうことか、と思うことがままある。

だが、この場合は察しが悪いことが幸いした。
なぜなら、特に親しいわけでもないおじさんにみかんをあげたくはなかったからだ。

みかんを両親と姉に送った所、喜ばれた。

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その後、自分でも時々食べているのだが、木にはなお沢山のみかんがなっている。おじさんは自分で食べきれない程なっているのにお裾分けしてくれなかったと思っているであろう。
やはり察しが良い方が良かったかもしれない。

日本株は高PBR株ほどリターンが高い

株の割高さを示す指標としてPERとPBRがある。
PER=株価÷1株当たり利益
PBR=株価÷1株当たり資産
PERは利益から見た割安度、PBRは資産から見た割安度を示し、ともに低いほど割安だ。

 

1)過去の研究では低PBR株のリターンが高い
株の本を読むと低PER株、低PBR株への投資が有効だという研究結果が書かれている。
ウォール街のランダムウォーカー 株式投資の不滅の心理』(バートン・マルキール著、井出正介訳、日本経済新聞社)では低PER株、低PBR株の方がリターンが高いという研究結果が示されている。

『株価4倍「割安成長株」で儲ける収益バリュー投資術』(角山智著、秀和システム)からの孫引きだが、
ファンドマネージャーの株式運用戦略』(渡辺幹夫著、同友館)には各種戦略の1986年6月末を100とした1998年1月末時点での累積リターンが示されている。
1位 3か月リターンリバーサル 756
2位 低EV/EBTDA倍率 561
3位 低PBR 556
4位 低PER 377
5位 高ROE 138

2014年に書かれた『勝てるROE投資術』(広木隆著、日本経済新聞出版社)でも過去15年間の株価リターンを検証した所、最低PBR、最低ROEグループのリターンが異様に高いという結果が示されている。

shinonomen.hatenablog.com

2014年頃までの日本株は低PBR戦略が有効だったことが分かる。
だが、近年の日本株はエムスリー(PER237.41、PBR30.93)、日本電産(PER131.55、PBR8.31)のようにリターンが好調な割高株が目立つ。


2)過去5年の日本株は高PBR株ほどリターンが高い
SBI証券のスクリーニングにはPERとPBRの変化率という項目がある。期間は5年間が最長なので、東証一部の全銘柄を対象に、2016年3月末のPER、PBRと5年間(2021年3月末まで)のリターンの関係を調べてみた。
5年前は上場していない企業や赤字でPER変化率が出せない企業を除く、1704銘柄が抽出された。

PER対リターン、PBR対リターンのグラフを示す(分布が見えなくなるので値が極端に大きいものは省いている)。

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横軸がPER、縦軸が5年リターン

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横軸がPBR、縦軸が5年リターン

PERとリターンは近似直線がほぼ横ばいになり相関がみられないが、PBRとリターンは多少相関があるように見える。
EXCELで相関を取ると、PERとリターンの相関係数は0.00448、PBRとリターンは0.15895となった。PERはほぼ相関がないが、PBRは極めて弱い相関があることが分かる。

次に、PER、PBRを低い順にならべ、50銘柄毎にPER、PBR、リターンの平均を取った結果を示す。

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横軸がPER、縦軸が5年リターン

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横軸がPBR、縦軸が5年リターン

PBRとリターンの間に明確な相関が表れた。

リターン順に並べ、50銘柄毎にリターン、PBRの平均を取った結果も示す。

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横軸が5年リターン、縦軸がPBR

リターンが大きなマイナスになった銘柄では高PBR株が多いが、株価が何倍にもなった銘柄群ではさらに高PBR株が多いため、下落した銘柄のリターンをカバーして余りあることが示唆される。

PERは市場の評価が高い株だけでなく、利益が一時的に大きく落ち込んだ株も高くなる。
一方、企業の資産額は大きく変動しないため、PBRは市場の評価をそのまま反映しやすい。
過去5年間、日本株のパフォーマンスは好調だった。市場の評価が高い株が素直に上昇した5年間だったと言えるだろう。


3)高PBR戦略の注意点
過去5年間の日本株では高PBR株を買う高PBR戦略が有効だったことが分かった。それでは今後も高PBR戦略が有効なのだろうか。
3つ懸念がある。
第一に、現在の相場環境がバリュー株優位だ。
現在は昨年グロース株がボロ勝ちした反動と、ワクチン普及による経済再開期待で、低PER、低PBRのバリュー株のリターンが高くなっている。
過去20営業日前のPER、PBRとリターンの相関を取ると、PERが-0.02799、PBRが-0.00876となった。相関は弱いものの負であり、特にPERにおいて、低PER株の方がリターンが高くなっていることが分かる。

第二に、高PBR株はリスクが高い。
過去5年間は日本株のリターンが絶好調な時期であり、今後はこれほどのリターンは見込めそうにない。高PBR株は上げ相場では大きく上げるが、下げ相場でも大きく下げる。今後大きな下落があった時、高PBR株中心に保有しているのはリスクが高い。

第三に、5年前の高PBR株は現在の水準から見るとさほど割高ではない。
5年前のPBRを見ると、最も高くても35.01で、PBR10以上なのは1704銘柄中わずか17銘柄だった。現在は最高が74.48でPBR10以上の株が41銘柄もある。
50銘柄毎のPBR対リターンのグラフを見ると、PBR5ぐらいまではPBRとリターンが比例しているが、それより高いとほとんどリターンが増えていないことが分かる。また、PBR10以上だった銘柄は少しないため、PBR10以上の超高PBR株でもリターンが高くなるかの検証はできていない。

高PBR株を狙うにしても、PBR5前後かせいぜい10までに留めておいた方が無難なのではないだろうか。

 

菅内閣には理系と博士がいない

森喜朗氏の発言をきっかけに、指導的立場に立つ女性の少なさが問題になっている。菅内閣でも女性閣僚は二人だけだ。
だが、さらに少ない属性がある。理系だ。
菅内閣の閣僚は全員が文系出身なのだ。

ja.wikipedia.org

21人中7人が法学部、7人が経済学部・商学部出身だ。政治経済学部法経学部が一人ずついるので、大半が法学系か経済学系だ。
確かに政治にとって法学や経済学の知識は重要だが、理学部、工学部、医学部、薬学部、農学部が一人もいないのに法学部と経済学部だけこれほど多いのは偏りすぎではないだろうか。
コロナ対策が政権の主課題なのだから、閣僚には医学部出身者かせめて理系がいて欲しい。
会議では色んな観点から意見が出ることが重要だ。メンバーが偏っていると見方が一面的になってしまう。

もう一つの特徴はほとんどが学士卒だということだ。修士は3人いるが、博士は一人もいない。


水際立ったコロナ対策を見せた台湾の政府と比較してみる。
蔡英文総統はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス法学博士、頼清徳副総統はハーバード大学公共衛生大学院修士卒だ。

zh.wikipedia.org


台湾の総統、副総統、行政院長、行政院副院長、行政院秘書長、政務委員は合わせて14人いる。
そのうち文系は7人、理系は7人だった。見事にバランスがとれている。
また、博士が5人、修士が7人いる。日本と比べると圧倒的に高学歴だ。

大臣には上がってきたデータの意味を理解し、データに基づいて的確な判断をする能力が必要だ。
学士は大学によっては論文なしでも取れてしまうが、博士号を取るにはちゃんとした論文を書かねばならないので、閣僚としての最低限の資質があることが保証される。
担当分野の博士か修士卒の人材を大臣に就ければ、少なくとも大臣が担当分野について全く理解しておらず、官僚が作ったペーパーを棒読みするような事態は避けられるだろう。


菅内閣には理系と博士がいない。だがこれは菅内閣の問題というよりは日本全体の問題だ。
日本は若手研究者の待遇が悪い。米国の大学では博士過程の学生には給料が出ることがほとんどだが、日本では普通出ない。
また、日本では若手研究者のポストが少なく、博士を取っても研究者として就職できないことが多い。

森喜朗氏は大学に裏口入学したと自ら喧伝している。
学力が重視される社会だったら、ひた隠しにするはず。わざわざ言うのは学力より根回し力の方が評価されるからだ。

戦後日本は人口が増加し、自然とGDPが増加していく人口ボーナス期にあったので、増加するパイを分配するコミュ力や根回し力が重視されてきた。
だが、これからの人口減少社会では海外との競争に勝たねばならない。
日本の中でパイを分け合うなら根回し力が重要だが、GAFAMと戦うのに根回し力があってもしょうがない。
ITや環境分野の技術者が大量に必要だし、トップには将来を予測し、先回りして重点分野に投資していく戦略性が求められる。そのためには専門知が不可欠だ。

世界の時価総額ランキングで台湾セミコンダクターは11位だが、日本企業トップのトヨタは44位にすぎない。
産業の米と言われる半導体分野で日本はかつて世界のトップを走っていたが、今はキオクシアがシェア9位に入っているだけだ。
日本社会全体が専門知を軽視してきたつけがきているのではないだろうか。