東雲製作所

東雲長閑(しののめのどか)の投資と評論サイトです。ジオシティーズ(http://www.geocities.jp/shinonomenod/)から移転してきました。

盤上の向日葵感想――100日間のどこかで死ぬワニの周囲の誰か

(本稿は『盤上の向日葵』の抽象的なネタバレを含みます。)
『盤上の向日葵』(柚月裕子著、中央公論新社)は将棋を題材にしたミステリーだ。
563ページもある長編だが、この先どうなるんだという興味でぐいぐい読まされ、特に後半は一気読みした。


『100日後に死ぬワニ』という漫画がある。主人公のワニが100日後に死ぬということを提示して残り日数をカウントダウンしたことで、何気ない日常を描きながら徐々に緊張感を高めることに成功して話題になった。

だが、緊張感を高めるという点では、この手法には改善の余地がある。
『100日後に死ぬワニ』では、読者にワニがいつ死ぬか分かってしまう。『100日間のどこかで死ぬワニ』にすれば、さらに緊張感が高まる。
さらに『100日間のどこかで死ぬワニの周囲の誰か』にしたらどうか。誰がいつ死ぬかという二つの謎があるので、物語はさらにスリリングになる。それが、『盤上の向日葵』だ。


本書の白眉は第一章で白骨化した死体が六百万円の駒と一緒に発見されるという構成だ。現代の刑事による捜査パートと、天才棋士上条桂介の過去パートが交互に語られ、徐々に事件の全貌が明らかになっていくのだが、最初に身元不明の死体が発見されているので、過去パートでは常に、今にも誰かが死ぬのではないか、という緊迫感が漂っている。
トランプを一枚ずつめくっていくような作者の情報の出し方が巧みで、事実が明らかになるたび新たな謎を提示して読者の興味を切らさない。

また、上条桂介の子供時代がけなげなのもポイントが高い。良く知らないキャラクターに関する殺人事件が起こっても、読者は興味をそそられない。子どもの頃から知っており親愛の情を抱いているキャラクターが殺人事件に関わっているかもしれないとなると、読者の興味は格段に高くなる。


唯一残念なのが、将棋バトル要素が淡泊なことだ。『りゅうおうのおしごと!』のような将棋小説に比べると対局描写が薄い。せっかく羽生九段をモデルにしたと思しき棋士とタイトル戦を戦っているのだから、二転三転の大熱戦で盛り上げて欲しかったし、上条にも岩にかじりついてでも将棋を指し続けるぞという執念を見せて欲しかった。

あまり将棋描写を厚くすると、謎解きとのバランスが悪くなってしまう。
将棋を題材にしたミステリーであって将棋小説ではないということだろう

半額神、客を走らす

晩御飯はスーパーBig-Aの半額弁当を食べることが多かった。ところが、Big-Aが戦略を転換し、以前なら半額にしていた時間帯になっても三割引にしかしなくなってしまった。私には弁当は半額でしか買わないというポリシーがあるため、なかなか買うことができない。
代わりに愛用しているのが駅前のスーパーだ。以前外法の者と戦った所である。

shinonomen.hatenablog.com

こちらは毎晩八時に半額にするので、高確率で半額弁当を入手することができる。
先日、そのスーパーで舌を巻く出来事があったので、お伝えしたい。

七時五十分に弁当売り場を訪れた私は厳しい戦いを覚悟した。
その日は弁当ポイント十倍デーの水曜日。惣菜は沢山残っていたが、弁当の残りが少なかったのだ。
弁当らしい弁当はたれカツ丼二つとレバニラ弁当一つのみ、他には焼きそば二つとビッグハンバーガーが十個程残っていた。争奪戦に備えて気を引き締める。

八時前に半額シールを貼り付ける店員、半額弁当業界用語で言う所の半額神が売り場に現れた。ベテランの貫禄を感じるその女性半額神は、売り場をざっと見渡して残数を確認した後、惣菜に半額シールを貼り始めた。私は二つしかないタレカツ丼の前の好位置を確保。半額シールが貼られたら即座に確保する構えだ。
半額神が惣菜に半額シールを貼り終える。いよいよ弁当の番だと意気込んだ私は愕然とした。何と半額神は弁当には半額シールを貼らずにバックヤードに戻ってしまったのだ!
半額弁当を狙っていた客達に動揺が走る。幾人かの客が半額を諦め、三割引きのタレカツ丼や焼きそば、ビッグハンバーガーを手に取る。私は戒律に従ってそれを呆然と見送った。

やがて、半額神は売り場に戻ってくると、残った弁当や総菜の配置を整え始めた。八時を過ぎても半額シールを貼る様子はない。私は諦めて入口脇まで戻って、カゴを返した。
だが、万が一ということもある。帰る前にもう一度弁当売り場を確認しておこう。弁当売り場に戻った私は信じられないものを見た。何と残った弁当すべてに半額シールが貼られていたのだ! 私は猛然と残り一つのタレカツ丼とビッグハンバーガーをつかむとレジに向かった。

それにしてもなんと見事なフェイントよ。私は唸った。あの半額神は弁当が残りわずかで焦っているという客の心理を読み切った上で、たった数分シールを貼るのを遅らせただけで、五個程の弁当を三割引きで売ることに成功した。諸葛亮もかくやという見事な采配だ。
私も半額でしか買わないという戒律がなければ、見事に騙されていた所だ。鮮やかな手腕にほとほと感じ入ったのだった。

 

QQQのRSIが70を超えたら下落を待った方が良い

つみたてNISAとiDecoで米国株インデックスファンドを積み立てている。
QQQ連動投信はつみたてNISAやiDecoで買えないので、QQQ連動ETF(2631)を手動で買っている。
せっかくなので下落時に買うことにしているのだが、QQQは6月3日に移動平均線付近まで下落して以降下落らしい下落がなく、全然買うことができない。

株式の割高さを示す指標にRSIがある。過去一定期間の上げ幅(前日比)の合計を、同じ期間の変動幅の合計で割った値で、買われすぎ、売られすぎを判断するのに用いる。
一般に、RSI30以下が売られすぎ、70以上が買われすぎだ。
QQQのRSIは7/7には77まで上昇。7/14時点で75.54だ。70以上が買われすぎなので、かなりの割高だ。
(その後QQQは7/15,16に続落し、RSIは60.40まで下落した。まだ移動平均線には到達していない。)
押し目待ちに押し目なし」という格言もある。割高なのは気にせずに、買ってしまった方が良いのだろうか。

そこで、過去にQQQのRSIが70以上に達した場合、その後どうなったかを調べてみた。
大きな下落が来て元値を下回ったら「下落待ち」の方が良かったし、元値を下回ることなく上昇が続いたなら「すぐ買う」方が良かったということになる。

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過去20回の結果は下記の通りだ。
(RSIが70以上に上がり、70以下に下落するまでを1回とカウントしている)

時期 下落後の位置 より良い戦略
2020.8 平均線の下 下落待ち
2020.7 平均線の上 下落待ち
2020.6 平均線付近 下落待ち
2020.2 バンドの下 下落待ち
2020.1 平均線付近 下落待ち
2019.12 平均線の上 すぐ買う
2019.11 平均線の下 下落待ち
2019.11 平均線付近 下落待ち
2019.4 バンドの下 下落待ち
2019.3 平均線付近 下落待ち
2018.8 平均線の下 下落待ち
2018.6 平均線付近 下落待ち
2018.6 平均線の上 すぐ買う
2018.1 バンドの下 下落待ち
2017.11 平均線の下 下落待ち
2017.11 平均線の上 下落待ち
2017.1 平均線の上 下落待ち
2017.6 平均線の下 下落待ち
2017.4 平均線付近 すぐ買う
2017.3 バンド下限 下落待ち

過去20回中17回は下落待ちの方が良かったという結果になった。RSIが70以上になったら、ほとんどの場合下落を待ってから買った方が良い。
また、20回中15回は移動平均線付近まで下落している。平均線より上までしか下落しなかったことも5回あるが、その場合も翌月には移動平均線付近まで下落している。
RSIが高い時は買わずに我慢をし、下落が始まったら移動平均線の少し上に指値を入れておく戦略が良さそうだ。

結論:QQQのRSIが70を超えたら、下落を待ってから買った方が良い可能性が高い。

 

jp.tradingview.com

スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました感想

 『スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました』(森田季節原作、木村延景監督)(以下スラMAX)は異世界に転生し不老不死になった主人公アズサが、300年間コツコツスライムを倒していたら最強になっていたという出落ちのような小説が原作のアニメだ。可愛い善人しか出てこないので、ノーストレスで見ることができる。転生ものというよりきらら系に近い。

 オープニングテーマ「ぐだふわエブリデー」のふにゃふにゃしたメロディーが作品内容を象徴している。蜘蛛子さんのデスメタルと真逆の曲調だ。悠木碧氏はどんな役でもできると言われているが、芝居だけでなく歌でも万能とはすごすぎる。

www.youtube.com


 第10話で長年売れない吟遊詩人ククが登場し、葛藤を抱えながらもデス系からフォーク系へと作風を変えて成功を治める。スラMAX原作者の森田季節氏もなかなかヒット作がでなくて苦労した作家だ。

 森田氏は2008年に『ベネズエラ・ビター・マイスイート』でMF文庫Jライトノベル新人賞優秀賞を受賞してデビュー。センスの塊のようなキレッキレの作風で、すごい新人が出てきたと興奮したのを憶えている。2010年の『ともだち同盟』は氏の文芸路線が頂点に達した完璧な作品で、ぜひ多くの人に読んで頂きたい。

 

 

 森田氏の作風は一部のコアな読者には刺さったものの、ライトノベルのメインターゲットからはずれていた。その後、氏は長い試行錯誤に入る。詳しくはライトノベル・フェスティバルの拙記事を参照して頂きたいのだが、ここまでドラスティックに文体を変えた作家を他に知らない。センスバリバリの凝った文章を書いていた作者が、すごいスピードで読み飛ばせるような文章に変えたことからも、森田氏の何としてもヒット作を出して専業作家としてやっていくのだという強い意思を感じる。

shinonomen.hatenablog.com


 本作は出落ちギャグみたいな設定だが、作者が長年コツコツ書き続けてきた結果としてついに大ヒット作を出せたということを知ってから見ると、胸に迫るものがある。

 『不敗無敵の影殺師』でも森田氏は成功できていない職業を続けるべきかという葛藤をメインテーマに据えている。「なかなか報われなくてもやり続ける」というテーマが森田氏にとって最も切実であることが伝わってくる。
 良い設定には作者の想いがこもっている。作者の実感が入っていない借り物の想いでは、読者の心を打つことはできないのだ。

slime300-anime.com

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版感想――もっと脚本に労力を!

(本稿はシン・エヴァンゲリオン劇場版のあからさまなネタバレを含みます。)

 ようやく『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観た。
 私のこれまでの新劇場版の評価は、序→かなり面白い、破→すげー!最高!!、Q→ひどすぎる、もう知らん!という感じだ。Qで心が離れてしまったので、シンは観ないつもりだったのだが、『プロフェッショナル仕事の流儀』で庵野監督のシン・エヴァンゲリオンにかける情熱を観て感銘を受けたので、観に行くことにした。
 シン・エヴァはQほど無茶苦茶ではなかったが、Qの問題点は払拭されていなかった。

 Qとシン最大の問題点は脚本がおろそかになっていることだ。特に動機が掘り下げられていない。
 一般的に、エヴァンゲリオン庵野監督というイメージが定着している。もちろん庵野監督の影響が最も大きいのは確かだが、TV版は榎戸洋司氏らのしっかりした脚本によって面白さが下支えされていたことも見逃してはならない。
 序と破は大枠でTVシリーズのストーリーを踏襲していたのに対し、Qで完全オリジナル展開になってから色々とおかしくなってしまった。

 庵野監督は無人在来線爆弾や、エッフェル塔の槍といった小学生みたいな発想力を保持している稀有なクリエイターだ。初めに見せたい絵があって、それを起点にシーン、ストーリーを構成していく。
 それ自体は素晴らしい。既存の発想の延長線上にあるようなSF作品が多い中、観たことが無いような絵づくりをしている。庵野監督の発想が柔軟だからだ。
 本作でも冒頭の戦艦がぎゅるぎゅる空中で回転して戦うシーンで度肝を抜かれた。戦艦は海上戦闘に最適化されたデザインであり、下半分が死角で的だけでかいので全く空中戦には向いていない。だが、すさまじい迫力で絵としては面白い。
 だが、それと登場人物の心の動きを丁寧に積み上げることは両立し得る。

 本作で一番納得いかないのがシンジが船に戻るに至った心の動きだ。(以下あからさまなネタバレ)
 Bパートでシンジはカヲルが死んだショックで延々と廃人状態となっている。その後、シンジは綾波のそっくりさんの助力を得て徐々に復活を遂げるのだが、綾波のそっくりさんはシンジの目の前で首がもげてLCCに還って死ぬ。その直後、シンジは船に戻ることを志願する。
 おかしいだろ! カヲルが死んだ時はショックで長らく廃人になっていたのに、何でアヤナミ(仮称)が死んだ時はほぼノーダメージなんだ。成長したからなんだろうけど、成長とは親しい人が死んでもノーダメージになることなのか?

 序と破のクライマックスにカタルシスがあるのは、シンジがレイやアスカを助けるという強い動機を持って行動しており、観客がそれに共感するよう感情が積み上げられているからだ。
 本作のシンジが最終決戦に臨む動機は父の尻拭いである。こんな動機じゃ上がらないよ!
 個人の感情ではなく全体を考えて行動するのが大人になるということなのかも知れないが、強い感情の発露がなくなってしまうので、物語を盛り上げるという面では明らかにマイナスだ。

 日本の著名なアニメ監督は自分で脚本を書く人が多いが、ほとんどの場合プロ脚本家の作品に比べ粗が目立っている。
 アニメは制作に多大な労力がかかるので、同じことをやりたくないのは理解できるが、新しい表現の模索と脚本の質を上げることは両立できるはずだ。
 脚本のブラッシュアップは映画において最も費用対効果が高い。日本アニメはピクサーを見習って、もっと脚本に労力をかけてほしい。

www.evangelion.co.jp

色んな料理に納豆を足してみた

健康診断で貧血気味という結果が出た。食事に鉄分が不足しているようだ。
安価に鉄分が採れる食品と言えば納豆である。そこで、色んな料理に納豆を足してみた。

 

納豆味噌ラーメン

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味噌と納豆は両方大豆なので当然相性は良い。スープに納豆の旨味が加わって一段と美味しくなっている。
納豆を入れることで一気にラーメン感が失われて和風になり、納豆そうめんのような感じだ。
箸で納豆を掴みにくいことだけが難点だが、匙で食べれば問題ない。おすすめ。

 

納豆カレー

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ねばねばした豆カレー。カレーがねばねばしていると腐っていることを連想してしまい、印象が悪い。
納豆のたれとカレーの味も合わない。いまいち。
納豆を入れるなら、かき混ぜず、たれも入れない方が良さそうだ。

 

納豆クリームスパゲッティ

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納豆の臭みがクリームで中和されてマイルドになっているが、逆に言うと主張がない。
互いに遠慮しあって、方向性が決まらない会議みたい。ぼんやりした味で、不味くはないが、美味くもない。
唯一良いのは納豆がスパゲッティと良く絡まって食べやすいこと。

 

納豆餃子

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チルド餃子に納豆をかけて焼いたもの。過熱された納豆がひきわり納豆っぽくなっている。
餃子と納豆は個々に美味いが特に相乗効果はない。
わざわざ合わせなくても二品のおかずのままで良いのではないか。

 

やってみて分かったのは、納豆より納豆のたれと合うかどうかが成否を左右しているということだ。
醤油と合うかどうかを考えれば、あらかじめ結果が予測できたのではないか。

 

流感想―人生は素晴らしいものであってくれという祈り

(本稿は『流』の抽象的なネタバレを含みます。)

 『流』(東山彰良著、講談社)は1980年前後の台湾を舞台にしたマジックリアリズム小説だ。
 抗日戦争から現代へと続く堂々たる大河小説であり、初恋を描いた瑞々しい青春小説であり、鮮やかなミステリーでもある。それらの要素は分かちがたく結びついていて、一分の無駄もない。こんな小説を書けたら、翌日に死んでも悔いはないだろう。

 何度か訪れるクライマックスの描写が素晴らしい。ピアノの鍵盤を渾身の力で叩いているような描写と、しっとりと奏でる描写のコントラストが鮮やかだ。しっとりとした方から、読む度に泣いてしまう所を引用する。

 寝苦しくて目を覚ますと、あたりはまだほの暗く、窓のカーテンはそよともしなかった。
 豆花売りの間延びした声が漂ってくる。わたしはベッドに横たわったまま、その声がだんだん近づいてくるのを聞いていた。子供のころは、まだ夜も明けないうちに起き出した祖父が、よくこの豆花を買ってきては食べさせてくれたものだった。
 ランニングシャツを着た祖父は手に碗を持ち、青い朝靄のなかにいる豆花売りを呼び止める。ふたりは朝の挨拶を交わす。豆花売りは碗に熱々の豆花をたっぷりよそいながら、またお孫さんにかい、と尋ねる。祖父は、やっぱりあんたの豆花がいちばん美味いからね、とかえす。寝ぼけ眼のわたしが豆花に目を輝かせるところを想像し、くすくす笑いながら。この葉尊麟も年を取ったもんだ、と思っただろうか? 拳銃のかわりに豆花の碗なんぞを後生大事に捧げ持つ日がやってくるとはな。殺った殺られたの死地を駆けめぐった日々や、兄弟分を看取った夜や、無一文の裸足で広州街にたどり着いた朝のことをふりかえったりしたのかな?

 主人公が祖父のことを思い返すシーンだが、「呼び止める」「交わす」「尋ねる」と実際には見ていないにも関わらず現在形で書くことによって、目の前にありありと祖父と豆花売りの会話が立ち上がってくる。そして現在から滑らかに過去の描写へと移行することで、現在と過去が一体であることを示しているのだ。

 本作では様々な衝突の技法が駆使されている。現在と過去の衝突。シリアスなシーンとユーモラスなシーンの衝突。じっくりとした減速描写と数年間をすっ飛ばすような加速描写の衝突。分厚い小説だが、ジェットコースターのように話が進み、全くダレる所がない。

 巻頭言が本作を象徴している。
 「魚が言いました・・わたしは水のなかで暮らしているのだから、あなたには私の涙が見えません。
 本作は主人公が様々な経験をすることで、他者の涙が見えるようになる小説だ。見えるようになった時点から振り返って書いている。そのため、あらゆる情報を適切なタイミングで読者に開示することができるのだ。

 「おれたちの心はいつも過去のどこかにひっかかっている。無理にそれを引き剥がそうとしても、ろくなことにはならん
 本作では誰もが過去に後悔を抱えている。過去は変えようがないから苦しみは消えることがない。
 それだけに、宝物のような瞬間を切り取る文章が救いになっている。その後にどれほど悲しいことがあったとしても、素晴らしい一瞬は素晴らしいと感じさせてくれる。
 悲しみで素晴らしい一瞬がかき消されてしまうのだとしたら、全ての人間は死ぬのだから、全ての人生が悲しいだけになってしまう。
 『流』は人生は素晴らしいものであってほしい、どうか素晴らしいものであってくれという祈りのような小説なのだ。