東雲製作所

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反劇的物語としての葬送のフリーレン

(本稿は『葬送のフリーレン』断頭台のアウラ編までのあからさまなネタバレを含みます。)

『葬送のフリーレン』(原作:山田鐘人、アベツカサ、監督:斎藤圭一郎、アニメーション制作:マッドハウス)は劇的物語のアンチテーゼとして設定されている。通常の物語に存在する、物語を劇的に盛り上げる要素がことごとく排除されているのだ。

1)主人公に達成すべき外的目的がない。
劇的物語では魔王を倒すというような主人公が達成すべきミッションが明示される。魔王をいついつまでに倒さなければ世界が滅ぶというようなミッションを達成すべき理由が提示されることで、主人公の物語は切実さを増す。
葬送のフリーレンは魔王を倒し終わって目的が消滅した所から始まる。達成すべき外的目的を失った後を描いた物語なのだ。
その後、かつて魔王城があったエンデに行ってヒンメルの魂と対話するという一応の目的は提示されるが、フリーレンがエンデに到達できなくても誰も困らないので全く切実さがない。

2)主人公に内的動機がない。
フリーレンは魔族に故郷を焼かれて仲間を皆殺しにされている。復讐は強い動機付けになるので、『鬼滅の刃』をはじめ、多くの劇的物語において、主人公を駆り立てるのに使われている。
葬送のフリーレンの場合、襲撃者は師匠によって殺されており、襲撃を命じた魔王も物語開始時点で倒されている。敵討ちという動機が既に達成されてしまったので、フリーレンには強い動機がない。魔族には強い敵意を抱いており、遭遇すれば倒そうとするが、魔族壊滅を目的に行動しているわけではない。何かと理由をつけて北に行くのを先延ばしにしようとしており、エンデにもそれほど強く行きたいようには見えない。

3)主人公に感情の起伏が乏しい。
読者は基本的に主人公に感情移入して物語を楽しむ。主人公の感情を揺さぶることで、読者の感情も揺さぶることができる。
フリーレンは感情の起伏が小さいため、劇的物語の主人公には適していない。血沸き肉躍る物語にするためには、主人公が激昂したり、怯えたり、泣いたり、叫んだりした方が良いのだが、フリーレンはいつも冷静なのでそんなことはしないのだ。
ただ、アニメ版では種崎敦美氏が感情を抑制しつつも、心の奥底の静かな怒りや悲しみが伝わる素晴らしい演技をされているので、原作よりは劇的になっている。

4)主人公がピンチにならない。
劇的物語では主人公が絶体絶命の危機に陥り、そこから脱出するというサスペンス要素を入れることで読者の感情を揺さぶることができる。
フリーレンは最強の魔法使いなのでピンチらしいピンチにならない。読者はフリーレンが敵に負けて殺されるかもとは思わないので、読んでいてハラハラしない。


反劇的設定は日常系のような読むと心が癒される作品とは食い合わせが良い。読者の感情を大きくは揺さぶらないことで癒しを与えることができるからだ。例えば、『ゆるキャン△』の主人公、志摩リンも「外的目的、内的動機、感情の起伏、ピンチ」という物語を盛り上げる4要素を欠いているが、『ゆるキャン△』はドキドキハラハラするのではなく、まったりと楽しむ作品なので、反劇的設定と合っている。それについては映画ゆるキャン△評で論じたので参照頂きたい。

shinonomen.hatenablog.com

 

葬送のフリーレンはあっさり主要キャラが死ぬようなハードな世界観で、必ずしも読者をほっこりさせようとしてはいないのに劇的にする仕掛けを極力さけているのがユニークだ。

なお、フリーレンの仲間であるシュタルクは劇的4要素を全て兼ね備えている。シュタルクを主人公にすれば普通の劇的物語になる。逆に言うと、さすがにフリーレンを一人で放っておくとあまりに劇的じゃなさすぎるので、多少は劇的になるようにフェルンとシュタルクを同行させたともいえる。
「第9話 断頭台のアウラ」で描かれたフェルン、シュタルクとアウラ配下とのバトルは劇的要素が多く、普通の少年漫画みたいだと思って観ていたが、続く「第10話 強い魔法使い」で描かれた対アウラ戦はいかにも葬送のフリーレンらしい反劇的物語だった。

第10話はクライマックスの演出や音楽が劇的なので何となく劇的に見えるが、内容を要約すると「フリーレンは魔力量を少なく見せかけている。アウラは見せかけの魔力量に騙されて服従の天秤を使って負ける。」の二行で済んでしまう。なるほど、アウラが騙されて負けるんだな、と思って見ているとその通りに騙されて負けるので、あまりに捻りがなさすぎる。
また、フリーレンにとってアウラは過去に一度戦ったことがあるだけのワンオブゼムの敵にすぎない。

第10話はちょっとした工夫をするだけでより劇的にすることができる。断頭台のアウラはかつての仲間を殺した仇だとか、そこまでしなくてもグラナドの息子とフリーレンがかつて会ったことがあるという設定を足すだけで、フリーレンとアウラの因縁が強化され、ぐっと劇的になる。
バトル演出面でも、不死の軍勢による力押しを続けられたら危ないということを事前に提示したり、アウラがフリーレンが無策なことに疑念を抱いて服従の天秤を使うのを止めかけたりすればより読者をハラハラさせることができる。
アウラ、落語家になれ」というSSが流行っていたが、多くの視聴者が展開があっけなさすぎると感じたから補完要素を求めてSSが流行ったのではないか。

葬送のフリーレンの最大の魅力は長命種であるエルフの視点を通すことで浮き彫りになる人間の生の儚さや、それでも生きる意味について考えさせられる点だろう。また、「魔族にとっての魔力は人間にとっての地位に当たる」のような興味深い設定や「私の嫌いな天才だ」のような決め台詞の格好良さも際立っている。現状でも十分面白いが、劇的要素を足せばより面白くなるのではないか。
劇的でないことで独特の緩さが出てはいる。独特の緩さこそが至高と感じる人もいるのだろうが、私は劇的でないことによる損失を補うほどではないと思う。
葬送のフリーレンは戦士が劇的要素という武器を持たずに徒手空拳で戦っているような作品だ。徒手空拳でも十分強いが武器を使った方がより強いのではないか。

ただ、アウラが冷酷無比な敵にも関わらず人気が出たのは、あっけなく間抜けなやられ方をしたお陰で残念属性やドジっ娘属性を獲得したからだろう。そう考えると、劇的要素など足さない方が良いのかもしれない。