東雲製作所

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ショックを受けた人間はどうなるか

出張先で現場リーダーを務めていた。私はうかつな人間だが、サブリーダーが非常に優秀で常人の三倍ぐらいの仕事をこなす。仮に名前をシャアとしよう。予算に制約があり工期がタイトだったのだが、頑張って残業をして仕事を進め、工期に余裕が出てきた。
すると、部長から、品質を上げるため追加作業を行ってほしいという電話がかかってきた。私はそんなことを言ったらみんなが激怒すると反対したのだが、シャアが了承済みだと言うので、受け入れた。

翌日、私のチームが時間を読み違え、作業開始が三十分遅れた。するとシャアの不満が爆発し、私のことを皆の前でディスり始めた。夜になると嫌味たっぷりのメールを連投してきた。私にもミスがあったとは言え、ここまで来るとパワハラだよ。
工期が再びタイトになった主な原因は部長にあるので、部長に対して怒ってほしいのだが、部長とシャアは仲が良い。そのため、さほど仲が良くない私に不満の矛先が向かったのであろう。

困ったものだ、と思いながらコンビニに行くと、コンビニの前でホテルの部屋に財布を忘れてきたことに気がついた。財布を取って来て買い物を済ませ、部屋に荷物を置いてからロビーで仕事をしていたのだが、部屋に戻ってみると部屋の扉が開けっ放しだった。机の上には財布が置きっぱなしである。慌てて財布を確認したが、何も盗られていなかった。
いくら私がうかつものでも、普段はホテルの部屋の扉を開けっ放しにしたりはしないので、ショックを受けているのだな、と実感した。


小説では登場人物の感情を表すのに、「ショックを受けた」などと直接的に書くより、「床にへたり込んだ」、「息が荒くなった」、「その日はなかなか眠れずベッドの上で寝返りを繰り返した」などと身体的反応で書くことが望ましい。だが、これらの表現は手垢にまみれている。
ショックを受けた人間が「ホテルの部屋の扉を開けっ放しにした」というのは斬新でありながら、心的ダメージを受けたことが読者に伝わってくる良い描写だが、机上で考えていても絶対に思いつかなかっただろう。

私は金を貯めて早期リタイアし、家に引きこもってストレスフリーな暮らしを送りたいと望んでいるが、小説を書く上ではある程度ストレスがあった方が良いのかも知れない。あくまである程度であり、こんな強いストレスは二度とごめんだが。