東雲製作所

東雲長閑(しののめのどか)の書評サイトです。ジオシティーズ(http://www.geocities.jp/shinonomenod/)から移転してきました。

他者に向かって叫ぶべき本当の事――万延元年のフットボール感想

(本稿は『万延元年のフットボール』の抽象的ネタバレを含みます。)

 『万延元年のフットボール』はノーベル賞作家大江健三郎氏の代表作だ。だが、新作と戦前の文豪の間のエアポケットに入ってしまって、最近ではほとんど話題になることがない。確かに難解な箇所もあるのだが、ストーリーは抜群に面白く読み応えもあるので、もっと読まれてほしい。

 本作の特徴として、主人公にして語り手の蜜三郎がひたすら弱々しく情けないということが挙げられる。数年前に草食系男子という言葉が流行ったが、蜜三郎は草食系男子ならぬ植物系男子だ。カリスマリーダーの弟、鷹四が大活躍する中、蜜三郎は全編ほとんど蔵屋敷にこもって事態の行方を傍観している。今で言う引きこもりだ。また、イケメンでモテモテの弟に対し、蜜三郎はウジウジした性格で容姿も醜いのでまるでモテない。一応結婚してはいるのだが、妻まで弟の味方をし始める始末だ。
 本作は主人公が内向的、マジックリアリズムの影響を受けている等、村上春樹作品と共通点が多い。村上作品の主人公は内向的なのに何故かモテるが、蜜三郎はカリスマ非モテであり、こちらの方がリアリティがあって好感が持てる。


 本作の核心は蜜三郎の、おれは「生き残り続ける者らに向かって叫ぶべき「本当の事」をなお見きわめていない!」という気付きだ。この文は、人生において見きわめるべきことは「他者に向かって叫ぶべき」であり、かつ「本当の事」でなくてはならないと主張している。「他者に向かって叫ぶべき」「本当の事」とはどういう意味だろう。

 蜜三郎が気付きを得る前に、鷹四は「オレハ本当ノ事ヲイッタ」と記す。その前に鷹四が言ったことを良く読んでみると、本当の事とは心の奥底にある、本当の願い、欲求のことなのではないかと思い至った。具体的には「兄さん、俺を愛してくれよ」という欲求である。

 何故、「他者に向かって叫ぶべき」「本当の事」でないといけないのか。エロ漫画を例を上げて考えてみよう。

パターン1「私はエロ漫画が大好きだ」
 この告白は無意味だ。何故なら「本当の事」かも知れないが、他者に対する働きかけを含まないので、「他者に向かって叫ぶべき」ことではないからだ。言われた方は「お、おう」としか言いようがないであろう。

パターン2「私はエロ漫画が大好きだから、二次元ポルノの規制に反対だ。署名に協力してくれ。」
 この発言は、「他者に向かって叫ぶべき」「本当の事」の二条件を満たしている。従って意味のある発言だ。

パターン3「私は二次元ポルノの規制に反対だ」「何で? エロ漫画が好きなの?」「私はああいうものには興味が無いが、ここで表現規制に歯止めをかけないと自由な言論が失われてしまうのだ。」
 これは「本当の願い、欲求」(=本当の事)を含んでいないので、パターン2に比べると説得力が薄い。内なる欲求から出た言葉でないと、人の心は動かせないのだ。

 他者に働きかけているように見える言葉の中にも、他者に向かっていない言葉は存在する。
 トランプ大統領が自身に批判的なメディアに対し「フェイクニュースだ」と批判する言葉は他者に向かっていない。何故ならその言葉は批判メディアという他者ではなく、自らの支持者にアピールするために発せられているからだ。
 現代はヘイトスピーチのような「他者に向かって叫ぶべき」でない内向きの言葉が氾濫している。一方でそれと対峙すべきリベラル派の言葉も偽善的で「本当の事」でないとバッシングを受け、力を失っている。

 「他者に向かって叫ぶべき本当の事を見きわめろ」という主張は現代においてますます重要になっているのではないだろうか。

 

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

 

 

コンピューターにできること――ベストセラーコード感想

 『ベストセラーコード 「売れる文章」を見きわめる驚異のアルゴリズム』(ジョディ・アーチャー&マシュー・ジョッカーズ著、解説西内啓、川添節子訳、日経BP社)はアメリカのベストセラーをコンピューターを用いて分析した本だ。テーマ、プロット、文体、キャラクターの4つの観点からベストセラーとそうでない作品を分析し、ベストセラーに固有の特徴を抽出している。
 コンピューターが導き出したベストセラーの特徴は下記の通りだ。

1)テーマ:1/3は結婚、死、税金、テクノロジーなど市場の本流で受けるメイントピックにあてる。2番め以降のトピックは現状を脅かすような衝突を示すものが良い。
2)プロット:規則的で力強く感情がアップダウンするプロットにする。
3)文体:普通の人々の日常の言葉で書く。
4)キャラクター:主体的に行動し、強い推進力を持ったキャラクターを主人公にする。

 結論だけ聞くと、まあそうだろうな、と思うものばかりだ。本書が面白いのは、コンピューターにテーマ、プロット、文体、キャラクターの違いを把握させる方法の部分だ。人間なら簡単に判断できることでも、コンピューターにやらせるには工夫が必要だ。

 テーマの判別には単語に複数の意味があるということが障害となる。例えば、 bankという単語には「銀行」の他に「岸」という意味もあるので、単語だけではどういうテーマなのか判断できない。本書では複数の関連する単語を用いて判断するという手法を用いている。bankのそばにmoneyといった語があれば金融に関する内容であり、river,fishといった語があれば釣りに関するトピックだと判断したのだ。

 キャラクターの分析は筆者が最も難しかったと記している。確かにキャラクターが魅力的かどうか定量的に示してくれと言われたら、頭を抱えてしまう。本書では、キャラクターの名詞・代名詞といっしょに使われる動詞を調べるという手法で、キャラクターがどのように行動しているかの分析を行った。その結果、ベストセラーではneed,wantという欲求に関する動詞が非ベストセラーの二倍も使われていることが分かったのだという。

 私が最も刺激を受けたのがプロットの分析だ。プロットの分析にはポジティブな感情をあらわす言葉とネガティブな感情をあらわす言葉に注目しながら物語を読むというセンチメント分析の手法が用いられた。
 プロットの分析と言うと、通常は各シーンの構造を分析し「日常の世界」「第一関門突破」「最も危険な場所への接近」といった抽象的なパターンに当てはめていくので、コンピューターには手に負えないのではないかと思っていた。だが、本書ではポジティブ、ネガティブというたった一軸の分析だけで、物語を「喜劇」「悲劇」「成長物語」「再生」「旅と帰還」「探求」「モンスター退治」の七パターンに分類してしまった。脱帽だ。
 ただ、ポジティブ、ネガティブの一軸だけで判断できるのは、人間の作家がある程度のストーリーの整合性を整えているからだろう。単にポジティブ・ネガティブな単語だけで判断するなら、光り輝く部屋と真っ暗な部屋を一分ごとに行ったり来たりしているだけの小説でもコンピューターは満点だと判断してしまうのではないか。

 本書にはコンピューターが選んだベストセラーの条件への一致度が高い小説ベスト100も掲載されている。面白いのは必ずしもベストセラーの条件への一致度が高い程売れているわけではないことだ。
 トップ10のうち、2~5,7,8位は邦訳がない。1位はデイヴ・エガーズザ・サークル』(吉田恭子訳、早川書房)で、エマ・ワトソントム・ハンクス主演で映画化されたそうだが、原作ともどもヒットしたとは言いがたいだろう。24位の『ゴーン・ガール』より上位には聞いたことがある作品が一つもなかったし、世界的ベストセラーの『ダ・ヴィンチ・コード』はトップ100に入ってすらいない。
 この結果から分かることは、おそらく、ベストセラーになるにはある程度ベストセラーの条件を満たしている必要があるが、条件への一致度が高ければ高い程売れるわけではないと言うことだ。
 ベストセラーの条件とベストセラーが一致していないのは何故なのか。宣伝など外部条件のせいであり、著者名を伏せて読ませたら『ザ・サークル』がベストだと考える人が最も多くなるのか。それとも、コンピューターが分析しきれていない他の重要な要素があるのだろうか。

 大ベストセラーには、今までの本にはない、革新的な部分が含まれている。例えば、『ハリーポッター』はファンタジー小説に最新のエンタメテクニックを導入してアップデートした点が革新的だった。既存の児童文学のようなファンタジーではなくもっとエンターテイメント性が高いファンタジーが読みたいというティーンの欲望を捉えたおかげで、世界的大ベストセラーになったのだ。
 爆発的に売れるのは、読者のニーズはあるのに今まで存在していなかった本だ。大ベストセラーを産みだすには読者の潜在的なニーズを読み取る必要がある。

 本作には機械が小説を書く試みについても記されているが、読者の潜在的ニーズを捉えた革新的なアイデアを産みだすのは機械が小説を書く際の高いハードルになるのではないだろうか。潜在的ニーズは過去の作品の分析からは見出すことができない。コンピューターが読者の潜在的ニーズを捉えるためには、過去の人間ではなく今生きている人間がどのような不満や欲望を感じているか知る必要があるからだ。

 ボードゲームでAIが急速に進化したのは、勝利条件が明確であり、コンピューターが自ら良い手かどうかを判断して自己学習を積み重ねることができるからだ。一方、小説はコンピューターが自ら生み出した作品を面白いかどうか自分で判断することができない。過去の作品の分析に則って考えれば面白いだろうと推測することは出来ても、今の読者にとって本当に面白いかどうかは人間が読んで確かめねばならないのだ。そこが創作AI進化のボトルネックになるのではないだろうか。

 

ベストセラーコード

ベストセラーコード

 

 

ライトノベルとお約束ギャグ

 少し前に「アニメの寒い描写がきつい」という増田記事が話題になっていた。

anond.hatelabo.jp

 私も筆者が挙げている「女子のツッコミの過剰な暴力、寒いギャグやノリ、不自然なエロハプニング、シリアス展開中の不自然なギャグ」みたいなお約束ギャグはいらないと思っていたので、我が意を得たりだ。

 記事内で指摘されている通り、ライトノベルではこの種のお約束ギャグが多い。

 漫画に関してはブコメでAQMさんが「 1割くらい高橋留美子のせいのような気がせんでもない。」と指摘されていた。ライトノベルに関して言うと、スレイヤーズのヒットで、お約束ギャグが一気に広まったという印象がある。特に、富士見ファンタジア文庫で猛威をふるい、一時は大半の作品でお約束ギャグが使われていたと言っても過言ではない。

 だが、小説でギャグをやるのは難しい。漫才やコントは動きやタイミングの妙、声質で笑わせることができるし、漫画もデフォルメされた絵によってギャグのインパクトを増幅することができるが、小説には文字情報しかない。従って、小説では漫才や漫画に比べ、よりエッジの効いたネタでないと笑わせることができない。

 ライトノベルでも『スレイヤーズすぺしゃる』や『フルメタル・パニック!』のギャグはエッジが効いていて面白かったが、フォローワーのギャグはお約束をこなしているというだけで特に面白くないものが多い。
 ライトノベルはギャグ作品といってもストーリーがメインであることが多く、純粋なギャグ作品として成功したのは『撲殺天使ドクロちゃん』など、ごくわずかだ。『撲殺天使ドクロちゃん』では作者と担当二人の三人で多数決を行い、二人以上が面白いと判断したギャグしか使わなかったという。小説でギャグをやるのは並大抵のことではないのだ。

 お約束ギャグの問題は、面白くないとギャグをやって滑ったみたいになってしまうことだ。ギャグをやって滑るくらいなら、ギャグをやらなければ良いだろうと思うのだが、ライトノベル作家には淡々と話を進めることへの恐怖心を持っている人が多いように感じる。

 最近のライトノベルで特にお約束ギャグがいらないと感じるのが『りゅうおうのおしごと!』だ。『りゅうおうのおしごと!』には棋士の変人エピソードのような面白いギャグもあるのだが、八一のラッキースケベを銀子が殴るみたいなギャグは定番化していてあまり面白くない。
 凡才が天才にいかに立ち向かうかといったシリアスなテーマと、息もつかせぬ対局シーンが素晴らしいだけに、お約束ギャグが出てくると弛緩した印象を受けるし、読者の間口を狭めてしまっているように感じる。作者の白鳥士郎氏はお約束ギャグを入れないと不安なのかも知れないが、もっとご自身のシリアスシーンの素晴らしさに自信を持って欲しい。とは言え、百戦錬磨の白鳥氏が入れるという判断をされているのだから、お約束ギャグが好きな読者も多いのかも知れないが。

 

りゅうおうのおしごと! 7 (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! 7 (GA文庫)

 

 

不条理な欠落――その女アレックス感想

(本稿は『その女アレックス』の抽象的ネタバレを含みます。)

 物語は欠落を回復する過程を描いたものだ。桃太郎のおじいさんとおばあさんには子供が欠落しており、シンデレラは地位と伴侶が欠落している。欠落は自分のミス、不運、敵による侵害など様々な要因によって起こるが、欠落の原因が不条理であるほど読者は物語にのめり込む。
 主人公が会社の金を使い込んで首になっても読者は自業自得だと思うだけだ。だが、身を粉にして尽くしてきた上司に裏切られ、罪を着せられて首になったら、読者は怒り、どうやって主人公がリベンジを果たすのか興味をもつだろう。

 不条理に何かが損なわれた時、読者は怒りと同時に、なぜそんなことが起きたのかという謎に対する興味も感じる。
 怒りは喜怒哀楽の中で最も強い感情だ。そして謎はミステリーの面白さの根幹となる要素だ。不条理な欠落は読者に怒りと謎への興味という二つの感情を同時に引き起こすことができ、読者を物語に引きずり込むのにすこぶる効果的なのだ。

 だが不条理な欠落には欠点もある。怒りによって読者が不快になる点だ。読者は「何故だ!」と怒っているわけだから、上手くフォローをしないと読後感が悪くなってしまう。

 「このミステリーがすごい!2015」や「週刊文春ミステリーベスト10」などのランキング1位を総なめにした『その女アレックス』(ピエール・ルメートル著、橘明美訳、文春文庫)を読んで、情報コントロールの巧みさに舌を巻いた。本作は三部構成なのだが、第一部と第二部で起きているのは不条理犯罪であるかのように描かれている。読者は犯人に対し憤り、ストーリーに引き込まれる。最近読んだ本で、これほど続きが気になり、次々ページをめくった本は他にない程だ。それでいて、本作はフォローもしっかりしている。話が進むと全くの不条理犯罪ではないことが明らかになるので、読後感がそれほど悪くならないのだ。

 本作のもう一つの工夫が細かい章割りがなされ(本文439ページが62章に分かれている)、アレックス視点と事件を追うカミーユ視点が交互に登場する点だ。ハードでダークなアレックス視点とユーモアのあるカミーユ視点を交互に読むことで、読者は細かく感情がアップダウンし、常に心が揺り動かされることになる。忙しない現代の読者のために最適化されたミステリーだ。

 

その女アレックス (文春文庫)

その女アレックス (文春文庫)

 

 

なぜ白王子は黒王子に負けるのか

 少女漫画や少女小説に登場するヒーローには2パターンいる。優しく紳士的な白王子と意地悪で粗暴な黒王子だ。普通に考えれば白王子の方が良さそうだが、白王子と黒王子が直接対決した場合、勝つのはたいてい黒王子だ。
 少女小説の源流は『嵐が丘』だ。『嵐が丘』にもエドガーとヒースクリフという白王子と黒王子が登場するが、そこでも最終的に勝ったのは黒王子ヒースクリフである。黒王子の勝利はジャンルの生成時からの定めなのだ。

 では、なぜ白王子は黒王子に敗れるのだろうか。『ベストセラーコード 「売れる文章」を見きわめる驚異のアルゴリズム』(ジョディ・アーチャー&マシュー・ジョッカーズ著、解説西内啓、川添節子訳、日経BP社)を読んだらその訳が分かった。
 白王子は黒王子に勝てない理由。それはこのグラフを見れば一目瞭然である。

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 これはロマンス小説3作品の登場人物の感情の浮き沈みを示したものだ。
 実線で描かれたのが世界的な大ベストセラーになった『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』。粗い点線と細かい点線で描かれたのはそれほど売れなかった二作品だ。『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』は他の二作品より感情の浮き沈みが大きく、読者の感情をより大きく揺さぶっていることが分かる。
 この実線と粗い点線が示す感情曲線は、そのまま黒王子、白王子とのラブロマンスの感情曲線に置き換えられる。グラフの上半分しか振れ幅を持たない白王子との恋愛より、グラフの下半分も使うことができる黒王子との恋愛の方が、より大きく読者の感情を揺さぶることができるのだ。重要なのは黒王子と言っても徹頭徹尾意地悪なままではないということだ。それではグラフの細かい点線になってしまう。時々優しい面も見せるからこそ黒王子は強いのだ。

 だが、これは物語上での話だ。物語において読者は実際に害されることはない安全圏におり、ドキドキすることを求めている。また、意地悪なキャラもそのうち優しい一面を見せるというお約束があるので、読者は期待を持って読み進めることができる。
 しかしながら、現実の恋愛ではドキドキだけでなく安らぎも求められる。また、現実では意地悪な奴が後で優しくなることは稀で、たいていは意地悪なままだ。従って、現実で黒王子の行動を真似てみても嫌われるだけなのだ。

戦略としての小説家――ライトノベル・フェスティバル2017(ゲスト森田季節先生)感想

 まずは小説二作品の本編冒頭部分を読み比べて頂きたい。

「焼いたフルーツってずるい味がする」
 二切れ目の焼きパイナップルを口に入れる前につぶやく。率直な感想なんだけど、我ながらいまいち要領を得ない表現だ。
「ずるいって何だよ?」
 ほら、広峰には伝わらない、まあ、広峰にわかられる程度というのも悲しいし、これでいいかな。
 ほんのりとシナモンの香りが口に広がる。フルーツは焼かれるとそれまでになかった魅力を見せてくれる。まるで冴えないメガネの女の子が美容院に行って白鳥になって出てくるみたいに。
 ちなみに私はとても白鳥とは言えないけど、かといってみにくいアヒルの子でもない。ふわゆれウェーブの髪に、白のワンピースと黒のシンプルなレギンスで、まあメガネなおさげ髪系に転落することはないということだ。自分に付加価値をつける方法くらい知ってるつもり。もっとも広峰相手にオシャレしたところで何にもならないんだけど。
ベネズエラ・ビター・マイ・スィート)


 村に向かう途中、ぶよぶよしたゼリー状のものに道をふさがれた。

「ああ、スライムか」

 見た目のせいか、緊迫感はない。猫が前に出て来たという程度の感覚だ。

 とはいえ、モンスターではあるようで、こちらを攻撃してやるという意思が感じられる。

 ここでナイフを抜く。

 攻撃を仕掛ける。
 ぶゆっ!

 効いているのか……?

 再度、攻撃。
 ぶゆっっ!

 さっきより効いた気がする。 
スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました


 この二つの文章を読んで、同じ作者が書いていると見抜けるのはあらかじめ知っている人だけだろう。

 世に多彩な作風を誇る作家は数あれど、森田季節氏程、幅の広い作家はいないだろう。デビュー10周年で75冊と多作な上、松蟲寺の伝説のリライトのような変わった仕事もされている。その活躍は詩的で耽美な文芸作品から、王道ライトノベルやなろう小説まで及び、小説のほぼ全領域をカバーしていると言っても過言ではない。

 引用した小説もぱっと見からして文章の密度が全然違う。100m走とマラソンが別競技であるように、同じ小説という言葉でくくって良いのか迷う程だ。

 そんな森田季節氏が、ライトノベル・フェスティバル(LNF)のゲストとして登場されるということで、話を聞いてきた。今年のLNFは二部構成で前半が季節めぐりと題して勝木LNF委員長による森田氏のインタビュー、後半はビンゴ大会だった。

 インタビューでは三大転機として
1デビュー翌年ぐらいで文芸の仕事が来たこと「ともだち同盟」
2不戦無敵の影殺師を趣味で書き始めたこと
3なろうをはじめたこと
を挙げられていた。これは森田氏の作風がいかにして広がっていったかという証言になっていて、大変興味深かった。

1は出版社に関する話だ。当時のライトノベルでは、デビューから3年は他社からは本を出すなという雰囲気だったが、「ともだち同盟」は単行本の仕事だったのでMF文庫編集部が仕事を取り次いでくれ、色んなレーベルから本を出すきっかけになったということだ。

2は文章に関する話だ。2013年後半、仕事量が増え、同業者から文章が雑になっていると指摘された森田氏は、書き方を根本的に変えるため、手書きで『不戦無敵の影殺師』を書き始めたのだという。ハーレムラブコメのように読者にさくさく読んでほしい作品はパソコンで速く書いた方が良いが、じっくり読んで欲しい作品は手書きでゆっくり書いた方が良いという指摘に感銘を受けた。

3は媒体の話。2016年から「小説家になろう」で書き始め、しばらく苦戦していたが、「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」が一気に1位を取って大ブレイクしたとのこと。本文がろくにないのに1位になったのは明らかにタイトルの勝利だという分析をされていた。

 また、ヒット作があると、編集者から同系統の作品を書いてくれという依頼が来る。自分は長らく売れていなかったので色々試した結果他種類になったという分析をされていて得心した。

 後半のビンゴ大会では、3×3のマス目に参加者が自分で森田作品のリスト番号を選んで書き込み、森田氏が読み上げた番号と一致したら○をつけていくというもの。森田氏が思い入れが強そうな作品から順に対角線から埋めていった所、後半でビンゴして商品を頂くことができた。また、参加特典として森田氏の未発表作品の小冊子がもらえた他、休憩中にはサインを頂くことができた。どうも有難うございます。

 ビンゴで当たった参加者は一番好きな作品を発表するのだが、それが文芸系作品、ライトノベル作品、なろう作品ときれいに散らばっており、幅広い読者をつかんでおられることを実感した。
 私は「ともだち同盟」など森田氏の文芸系の作品に圧倒され、天才肌の作家なのだろうと思っていたが、非常に戦略的かつロジカルに自らをコントロールすることで多彩な作品を生み出されているということが分かって、勉強になった。

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森田季節 - 小説家になろう

東雲製作所/ともだち同盟感想

一瞬で伝わるもの――ヨコハマトリエンナーレ2017感想

 ヨコハマトリエンナーレ12年前に行って面白かったのだが、遠いので二の足を踏んでいた。だが、日曜美術館壇蜜さんが紹介していたので、俄然興味が高まった。さらにはぶっださんもレビューを書かれていたので、重い腰を上げて行くことにした。
 
 ヨコハマトリエンナーレ2017(会期8/4-11/5)のテーマは島と星座とガラパゴス。「接続性」と「孤立」というコンセプトで星が緩やかに繋がる星座や島が点在する多島海をイメージした展覧会になっている。以下、特に印象に残ったアーティストについて記す。


横浜美術館会場

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ミスター
 街角の背景の前でベニヤ板に描かれたアニメ風美少女のイラストや大きなフィギュアが無造作な感じで展示されている。遠くから周辺の展示を一望すると、明らかにミスター氏の展示が目立っていて、アニメ絵というのが表現強度が高いということを感じた。

 

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タチアナ・トゥルべ
 一見して何だか良く分からない板が組み合わさったものが展示されている。解説を読むと扉もなく、内部と外部を隔てるという概念もない新しい家なのだという。普通、家というのは内部と外部を隔てて風雨をしのぐという条件の元で建築家が自由な発想を働かせて設計するが、その条件を取り払ってしまうと、あまりに自由すぎて拠り所がない感じがする。

 

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木下晋
 元ハンセン病患者の手・足・顔を大画面に鉛筆で稠密に描いた作品。描いた対象の体に刻まれた年月の重みと、それを画面に刻み込んだ細かい手作業の重みとに圧倒される。

 

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マーク・フスティニアーニ
 ガラスの向こうに無限に続くトンネルがある。恐らくマジックミラーと鏡を使っているのだと思うが、非常に不思議で惹きつけられた。

 

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ピオラ・ピヴィ
 真っ白な光の中、紫や緑などの色鮮やかな等身大の熊が展示されており、とにかく派手。印象を与えるためには見た目のインパクトが大事だと感じた。


横浜赤レンガ倉庫1号館会場

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クリスチャン・ヤンコフスキー
 ポーランドの重量挙げ選手達がワルシャワの歴史的彫刻を持ち上げようとするビデオ、「重量級の歴史」などを展示。バカバカしくも分かりやすいコンセプトの楽しいビデオで、かなり多くの人が足を止めて鑑賞していた。

 

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照沼敦朗
 絵の中に画面が仕込まれていたり、絵が投影されていたりしている作品。無意識領域に直接働きかけられている感じでぞわぞわする。

 

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ラグナル・キャルタンソン
 部屋の周辺と中央に9つの画面とスピーカーが設置されており、画面の中では各部屋の中でミュージシャンがヘッドフォンをつけて演奏している。中には全裸で泡風呂につかって弾いている男性や、裸の女性の背中が見えているベッドサイドで弾いている男性もいる。後者の方は途中で後ろの女性が起きてこないか見ていたのだが、私が見ている間は寝たままだった。
 それぞれの画面の上のスピーカーではそれぞれが奏でる音が鳴っているのだが、それが部屋の中で交じり合って美しくも切ないハーモニーを形成している。この展覧会のコンセプトにぴったりマッチした企画で考えさせられた。ブログを書くような孤独な行為であっても、この展示のようにゆるやかにつながってハーモニーを奏でることはできるのだろうか。だが、そのためには周りの声に耳を澄ませなければならないのではないか、等々。

 

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小西紀行
 日曜美術館壇蜜さんがめまいを感じて座り込んでいた作品。書道の一筆書きのような勢いのある筆致で描かれた人間は、家族を描いているのに底が抜けたような不安な感じがする。

 

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Don't Follow the Wind
 福島第一原発の帰還困難区域に設置された芸術作品を、3Dカメラで撮影。頭からすっぽり被る3D装置をつけて鑑賞するという展示。おそらくわざと重く作られている装置をつけることで、防護服を着ているかのような感覚に襲われる。


横浜市開港記念会館会場

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柳幸典
 真っ暗な地下を歩いて行くと、木の匂いが漂ってくる。大量の廃材が積み重なり、中央に核爆発の映像が映し出されたゴジラの眼球が展示されている。別の部屋では瓦礫が散らばった部屋の方方に、バラバラになった憲法九条の文言が示されたLEDパネルが赤い光を放っている。憲法九条など核の脅威の前では木っ端微塵だと言っているようにも、憲法九条は核の惨禍の廃墟から生まれたのだと言っているようにも見える。


 全体を通して感じたのは、一瞬で伝わるものの方が強く心を揺さぶるということだ。色々とテーマに沿って考えぬかれ、深い意味が込められているんだろうな、と思うような作品もあったのだが、それよりも作品をぱっと見てうわっとなったものの方が印象に残った。
 伝達速度と言う点では絵は圧倒的に速いし、音楽もそれに次ぐ速さだ。散文はそれらに比べ圧倒的に遅く、長く積み重ねないと人の心を揺さぶることができない。この忙しい時代に、散文は芸術として生き残れるのだろうかということを考えさせられた。