東雲製作所

東雲長閑(しののめのどか)の書評サイトです。ジオシティーズ(http://www.geocities.jp/shinonomenod/)から移転してきました。

数年ぶりに運転した

 北海道に出張に行き、数年ぶりに自動車の運転をした。前回、田舎道で試しに運転した時は、左の人を避けようとして道のど真ん中に停車してしまったので、それ以来運転しないようにしていたのだ。
 北海道と言えば私が学生時代自爆廃車事故を起こした思い出の地。しかも彼の地のドライバーは制限速度オーバーでびゅんびゅん飛ばすのだと聞く。不安しかないが、社命なのだからしょうがない。事故に備え、出張終了後しばらくしたら「東雲長閑は事故死したようなので、遺作を読んでくれ」という記事がアップされるよう予約投稿をしてから出発した。(そして解除をミスって公開されてしまった。)

 新千歳空港でレンタカーを借り出発しようとしたが、ギアをドライブに入れ、アクセルを踏んでも動き出さない。十分くらい悪戦苦闘した挙句、機器がONになっているだけで、エンジンがかかっていないことが判明した。
 出発し、しばらく走ったら信号が黄色になったので慌ててブレーキを踏んだら助手席のかばんが前に落ち、車に「急ブレーキを感知しました」と怒られた。何というハイテク。この車は他にも速度超過や端への寄り過ぎも感知して教えてくれるのだ。道中、何度もキンコンキンコンと寄り過ぎ注意の警告音が鳴り、慌ててハンドルを切った。皆さんが遺稿ではなくこの変な文章を読んでいるのはハイテクのおかげである。

 さらに感心したのがカーナビの進歩だ。700m前と300m前にこの先左折だと予告した後、曲がるずばりの所で「この信号を左です」と教えてくれるのだ。昔のカーナビでは、画面を見ながらこの信号かな、それとも次の信号かな、と迷っている内に前の車に追突していたものだが、このカーナビなら画面を見なくても大丈夫なのだ。画面に目を走らせるだけで車が横にずれていく私にはぴったりの機能だ。

 車は森のなかの一本道に入った。制限速度で走る私の後ろに車が連なる。何とか道幅が広い所で車を左に寄せて先に行ってもらおうとするが、これが難しい。対向車が来ていないタイミングを見計らってウインカーを出し、後方の車と意思疎通を図った上で滑らかに減速しなくてはならないのだ。そんな高等テクニックができるくらいなら、周りと同じ速度で走れるっちゅうねん。そんな訳で、後続車を先に行かせることもままならず、後ろの車への気疲れからぐったりしてしまった。渋滞を引き起こしても平然とノロノロ運転を続けているらしいガンバ大阪の遠藤選手は大したものだ。

 道中、最も恐ろしかったのがトンネルだ。対向車が来る時は左、ガードレールが迫っている時は右に避ければ安心だ。だが、トンネルではどちらにも逃げることができない。サイドミラーを見ると車が横にずれるのでどちらかに寄っていないか確認できない。ただただ心を無にして通り過ぎた。
 普通の車の車幅は道幅に大して余裕がなさすぎである。縦型ツーシーターの車を売り出したら、私のような運転が下手な人に需要があるのではないだろうか。

 一週間運転していたお陰で、ものすごく運転が下手なドライバーから運転が下手なドライバーへとレベルアップした。もう交通量が多い道や人通りが多い道、狭い道、高速道路以外ならどんな道でも大丈夫だ。

 帰ってきてから一つ変化があった。道を歩いていて近くを車が通ると、自分が運転している感覚が蘇るようになったのだ。車が停止するのを見ると、ブレーキを踏む感覚が浮かんでくるし、曲がるのを見るとハンドルを切る感覚が蘇ってくる。これまでは、車を見ても全くの他者、異物であるとしか感じなかったのだが、共感を持って感じるようになったのだ。
 だが、数日経つと、その感覚は失われ、特に何も感じなくなった。定期的に新しい経験をすると、感覚がリフレッシュされ、発想上良い影響があるのではないだろうか。

 

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ナプキン一枚分だけ

  七夕の夜、電撃小説大賞から一次選考落選のメールが届いた。会心の出来で、最終選考までは行くんじゃないかと思っていたので、放心状態になってしまった。
 こういう時、「慰めて」と言える相手がいないのは辛いことだ。

 美味しいものを食べようと、後楽園のカレー屋に行く。L字型のカウンターに八席程が並んでいる。客は誰もいなかった。
 1.5倍増量中のカツカレーの食券を購入し、カウンターに差し出す。皿によそられたご飯があまりに多いので、減らしてと言おうとしたが、減らしてと言うと0.8倍くらいにされちゃうかな、などと考えている内にカツが皿に載ってしまい、山盛りのカレーと対峙することになった。
 スプーンで切れるカツとカレーの相性が抜群である。だがいかんせん量が多い。1/3くらい食べた段階で既に結構お腹がいっぱいになってきた。

 カウンターの壁際で、一センチ程の蛾がよたよたと飛んでいる。動きが緩慢なため、容易に殺せそうだ。だが私は蛾の生死に関わる気になれず、カレー皿に寄って来る度に手で追い払っていた。
 私の後に続々と客が入り、店内はほぼ満席になった。右隣に座った若いサラリーマンが蛾を気にしている。ナプキンを手にとって、蛾の捕獲を試みたが、蛾は私の皿の下に逃げ込んだ。サラリーマンは「済みません」と言いながら私の皿の下に手を伸ばす。目の前に逃れてきた蛾を、私はとっさに右手で叩き潰していた。
 サラリーマンが私にナプキンを差し出す。私はそれを受け取って、蛾の死骸を包んだ。それから私はカレーを食べきって店を出た。

 私は今後、あのサラリーマンに会うことはないだろう。まじまじと見たわけではないので、どんな顔かも覚えていない。だが、彼はあの日、ナプキン一枚分だけ私の心を軽くしてくれたのだ。

 

 

今朝の記事に関するお詫び

 今日の0時に自動投稿した記事に不穏なことが書いてあり、申し訳ありません。
 出張から帰ってきた後、ゴミ箱に入れたはずなのですが、ちゃんと消えていなかったようです。
 自動投稿した小説は電撃小説大賞に応募して落選したものの第一章です。
 無事に生還を果たした際は、加筆修正して他の新人賞に応募するため公表しない予定でした。
 しかし、続きが気になっている方がおられるかもしれないので、旧サイトにテキストデータをアップしました。→僕は二階から目薬が差せる
 新人賞に応募する前に消す予定です。
 お騒がせして済みませんでした。

僕は二階から目薬が差せる

久しぶりに運転するので念のため小説を予約投稿しておきます。

これが公開されていたら、事故にあったか投稿したのを忘れたかだと思います。

予約投稿の解除に失敗していました。ご心配をおかけして済みません。 

 

      序章

 僕は二階から目薬が差せる。二階堂楽がこう言うと相手はたいていふうんとかへえとか言った後、こう聞き返す。
 それって何か役に立つの?
 当然の疑問である。目薬を差したければ目のすぐ上から差せば良いのであって、何でわざわざ二階から差さねばならんのか。
 だが、国立異業高校に入学した当時の楽は、異業を得たことに有頂天になっていて、自分の能力が何の役に立つのかにまで気が回っていなかった。

 入学前のガイダンス。二階堂楽は意気揚々と異業高校の門をくぐった。何せ異業高校はことわざにちなんだ異能力――異業を発現させた、日本で毎年数十人だけが入学を許されるエリート校である。異業能力者支援法の規定により学費、生活費は一切無料。卒業生は自由に異業を使うことを許された異業士として宇宙飛行士や芸能人、政治家、科学者、経営者など各方面で活躍している。
 異業高校は内部での競争が激しいらしく、毎年多くの中退者を出している。だが、せっかくこれほどのチャンスを掴んだのだ。石に齧りついてでも卒業し、一流の異業士になってやる。
 楽は入学前能力検査が行われる体育館に向かった。体育館には真新しい制服に身を包んだ数十人の生徒が列を作っていた。名前を呼ばれた生徒は、体育館の中に入って自分の異業を披露する。中の様子は分からないが、時折激しい衝撃音が鳴り響き、外の生徒達の間にどよめきが起こっている。
 もしかすると憧れの新神理事長が面接してくれるかも知れない。出番が近づくにつれ、緊張が高まっていく。
 いよいよ楽の番が回ってきた。体育館の中央に長机が置かれ、三人の教師が座っている。新神理事長の姿がないことに落胆した楽だったが、中央に長巻校長が座っていることに気づき、気を引き締める。
 楽は校長達の前に進み出ると自己紹介した。
「37番、二階堂楽です。異業は『二階から目薬です。』」
楽は頭を下げると、辺りを見回した。二階から目薬を差すには二階に立たねばならない。幸い、ステージ脇の二階部分に窓がある。あそこから身を乗り出せば、目薬が差せるだろう。楽は制服のポケットから目薬を取り出した。
「異業を披露したいのでどなたかあの窓の下辺りに立って頂けますか。」
「その必要はない。」
審査書類をめくっていた教師がきっぱりと言った。
「君の異業は一体何の役に立つのかね。」
楽は絶句した。何とか言葉を絞り出そうとするが、頭が真っ白になって言葉が出てこない。
 校長が頭を振った。
「本校は一学年二クラス。役に立つ能力を有する優秀な生徒は有能組に所属する。だが、何の役にも立たない能力しか持たない者はもう一方のクラスに行ってもらう。」
 校長は楽のことをゴミのように一瞥すると、書類に判をついてこちらに差し出した。そこには楽が所属するクラスが大きく書かれていた。
 1年無能組。

 

     1

 異業高校入学から二ヶ月目の朝を、二階堂楽はテントの中で迎えた。林間学校に来ている訳ではない。無能組の寮が、野原に張られたテントなのだ。花冷えの頃よりはだいぶましになったかと思いきや、今度は藪蚊が増えてきて、虫除けスプレーが手放せない。
 テントから顔を出すと、隣の迎賓館みたいな建物が目に入った。有能組の寮だ。なるべくそちらを見ないようにしながら身支度を済ませ、寮を出る。空を見上げれば今にも雨が降りそうだ。
 楽がため息をつきながら寮から校舎までの道のりを歩いていると、前方をとろとろ歩いているおかっぱ頭に追いついた。幼なじみの丸井萩。小柄でふくよかな体型は、名前の通りお萩のようだ。
「萩さん、お早う。今日も元気そうだな。」
「そういう楽ちゃんは憂鬱そうやなあ。ぼた餅でも食べて元気出しや。」
萩は鞄から伸縮式の棚を取り出すと棚の下に手をかざした。すると、棚からぼた餅が転げ落ちてきた。
 萩の異業は『棚からぼた餅』。楽の『二階から目薬』に比べれば遥かに有用な能力だ。だが、面接官に、
「ぼた餅など棚から出さなくても買ってくれば良いだろう。」
と言われ、「そやなあ。」と納得してしまったらしい。
 楽と萩は京都の隣家で生まれ育った。萩の家は江戸時代から続く和菓子屋で、よく、蔵の中でかくれんぼをして遊んだものだ。
 楽が小学校の途中で関東に転校してしまってからは音信不通だったから、入学者名簿の中に名前を見つけた時は驚いた。久しぶりに会う幼なじみにどう接すれば良いか悩んでいた楽だったが、いざ会ってみたら、萩は前と全然変わっていなかった。
「楽ちゃん元気出た?  」
落ち込んでいる楽にぼた餅をくれて、元気出たかと聞いてくるのも昔のままだ。もっとも小学生の時にくれたのは異業で出したものではなく、自分でこねて作ったぼた餅だったわけだが。
「ああ、餡の甘みが五臓六腑に染みわたるぜ。」
楽はぼた餅を食べきって餡のついた指を舐めた。実際、萩の作るぼた餅は絶品なのだ。
「それはそうと楽ちゃんうちのこと萩さんって呼んだやろ。他人行儀やなあ。昔のようにお萩ちゃんと呼んでえな。」
「いやいや、高校生にもなってお萩ちゃんはおかしいだろ。そっちこそちゃんづけは止めてくれよ。恥ずかしいだろ。」
「何言うてはるん。楽ちゃんは楽ちゃんやろ。」
呼び方問題は二ヶ月経っても一向に解決を見ていない。楽は話題を変えた。
「昨日、猿木が退学届けを出したらしいぞ。」
「ほんま? 有能組に上がったるって張り切っとったのに。」
小柄な萩が一回り小さくなってしまったかのようにしょげかえり、楽はそんな話題を振ったことを後悔した。
「何でみんな次々に辞めてしまうんやろ。」
萩がため息をつく。楽はツッコミを入れた。
「いやいや、こんな待遇じゃあ普通辞めたくもなるだろ。」
「そやろか。そりゃあ教室や食事はちょっと貧相かも知れへんけど、クラスメイトはええ奴ばかりやし、ぼた餅は美味いし、そないに不満はあらへんけどなあ。」
ぼた餅は別にここにいなくても食えるだろ。楽は萩の二の腕にツッコミを入れた。

 一時間目はグラウンドで数学の授業だ。いわゆる青空教室だが、今日は曇り空だ。楽達が体育座りで板書をノートに取っていると、風が吹いてノートが砂まみれになった。
「二階堂。目薬頼むよ。」
目に砂が入ったというクラスメイトに目薬を差す。せっかくなら異業を使って二階から差したい所だが、まっ平らなグラウンドに二階はない。
 二時間目の現代文は自習になった。有能組の連中が急遽実技練習のためにグラウンドを使うことになったからだ。
 三時間目の地理の途中から雨が降りだした。皆、傘を差し、立って授業を受ける。雨はどんどん激しくなり、先生が何を言っているのか聞き取れない。授業は中止になった。
 楽達は体育館の軒下に避難した。無能組の生徒は校舎内は立入禁止で、特別に許可された時しか入ることはできないのだ。幅一メートルほどしかない軒下には雨がどんどん吹き込んでくる。楽達は一旦閉じた傘を開いてため息をついた。
「皆さん! お茶にしようじゃあ~りませんか! 」
クラス委員長の茶柱笑子がやかんを手にして戻ってきた。
「さあ、皆の衆。あたしの美しい腹を褒め称えるので~す。」
言って、制服をまくりあげて腹を出す。
「よっ、待ってました! 」
「良いへそ! 」
「便利なへそ! 」
茶柱は一同の賞賛に手を上げて応えると、ブリッジをした。腹の上にやかんを載せると、すぐに湯気が吹き出した。『へそで茶を沸かす』の異業だ。コンロがない所で茶を飲むには便利な能力だが、逆に言えばコンロで代替できるので、学校からは有能とは認められなかったらしい。
 お茶が沸くのに合わせて、萩が棚からぼた餅を生み出してみんなに配る。即席ティータイムが始まった。皆、慣れているので、鞄にマイカップを入れているのだ。
「この程よい甘さがたまりませんなあ。」
茶を沸かし終えた茶柱がぼた餅を頬張りながら萩に話しかける。萩は茶を飲んで顔を上げた。
「お茶っ葉ちょっと変わったんちゃう? 苦味が少なくてまろやかな味や。」
「おっ、分かるかね。ブレンドを変えてみたのだよ。」
萩と茶柱が和やかに話している。楽もぼた餅を食べて茶をすする。
 はあ、和むなあ。
 楽達がまったりしていると、午前終了のチャイムが鳴った。結局午前中は一時間ちょっとしか授業を受けていない。こんなんで大丈夫なんだろうか。
 楽達はぞろぞろと食堂へ向かった。食堂は校舎内で唯一無能組が出入りを許されたスペースだ。有能組の生徒は舌平目のムニエル定食、オマールエビチリ定食、サーロインステーキ定食など、百種類のメニューから自由に選ぶことができる。一方、無能組が選べるのはふりかけご飯、かけ蕎麦、食パンの三種類だ。どれもほとんど炭水化物しか入ってない。何らかの法律に抵触しないのだろうか。
 楽と萩がふりかけご飯のレーンに並んでいると、向こうから仲間と一緒に井田天馬がやって来た。異業は『韋駄天走り』。百メートル走のタイムは4秒98。押しも押されもせぬ有能組のエースだ。
 井田が手にしたトレーに乗っているのは江戸前握り寿司定食。大トロが三カンも載っているのを見た楽は思わず唾を呑んだ。
 井田は楽や萩の小学校の同級生だ。井田は当時からクラスの中心におり、ぱっとしない生徒だった楽とはスクールカーストが異なっていた。だが、小学生の時はそれでも同じ給食を食べることができた。あの頃は良かったなあ。楽は遠い目をした。
 井田は楽達が並んでいるレーンに目を遣ると、ため息をついた。
「二階堂。お前何でリーグ戦に参戦しねえんだ。学校からこんな扱い受けて悔しくないのかよ。」
楽は肩をすくめた。
「まだ退学したくはないんでね。」
 有能組の連中は五人一チームで行われるリーグ戦――青藍杯に参加する。
 青藍杯には無能組の生徒も参加できる。だが、そのためには有能組のチームの一つに対しチャレンジを宣言しなくてはならない。リーグ戦終了時の成績がチャレンジした相手チームを上回れば、相手チームを無能組に蹴落として代わりに有能組に編入することができる。しかし上回れなければ退学しなくてはならない。
「有能組の奴ら相手に無能組の僕が勝てるわけないだろう。」
自嘲ぎみに語る楽を、井田が睨みつけた。
「お前の異業がクズなのはな、心がクズだからだ。そうやっていつまでも逃げまわっていれば良いさ。」
「人のことクズなんて言うたらあかん。」
萩が間に割って入った。
「楽ちゃんはクズやあらへんよ。」
井田が目を逸らして口をつぐむ。隣に立っていた、長髪を頭上でドリルのように捻った珍妙な髪型の男子――茅萱楯彦が井田の腕を小突いた。
「どうしたの、いきなり黙っちゃって。はっはーん。天馬ったらこの女子のことが好きなんでしょ。」
いつの間にか食堂は静まり返り、視線が井田に集中している。井田の顔が見る間に紅潮した。
「ち、違……」
「えーっ。でもー。普段の天馬だったら女子相手でも容赦ないじゃない。やっぱり気があるんじゃないのー。」
「誰がこんなデブ! 」
井田が萩を指しながら叫ぶ。萩が口元を押さえて一歩後ずさる。楽の頭の中で何かが弾け飛んだ。
「萩はデブじゃねえ! 」
楽は井田の胸ぐらを掴みあげた。
「ぽっちゃりだ! 」
井田が呆気にとられたように口を噤む。楽は井田の襟首をねじり上げた。
「謝れ! 今直ぐ土下座して謝れ! そして腹を切って死ね! 」
「離せよ。」
楽と井田はもみ合いになった。力では井田が上だが、ブチ切れた楽は渾身の力で抵抗し、井田を逃さない。
 井田が舌打ちをすると同時に高い靴音が響き渡り、楽の体が浮き上がった。その直後、背中に激しい衝撃を受け、意識が飛びそうになる。楽は井田の猛ダッシュによって食堂の壁に叩きつけられ、床へと崩れ落ちた。
 井田が制服を整え、そのまま去ろうとする。
「待てよ。土下座が済んでねーのに勝手に帰ろうとしてんじゃねーぞ! 」
楽はふらつく足を踏ん張って立ち上がった。井田に取りつこうとするが、掌底一撃で吹き飛ばされる。がむしゃらにかかっていっても勝てない。何とか奴を倒すすべは――
 楽は井田と反対方向に駆け出した。手すりに取りすがるようにして二階のテラス席へと駆け上がる。
「井田! 」
楽の叫びに井田が視線を向ける。かかった!
 楽はポケットから目薬を取り出した。キャップを弾き飛ばすと立て続けに目薬を放つ。
 井田の両目に目薬が一滴ずつ吸い込まれる。楽は転がるように階段を駆け下りる。そして目薬のせいで視界がぼんやりしている井田の懐に潜り込むと、腹に渾身のストレートを叩き込んだ。
 くの字に折れた井田の頭を掴み、床に引きずり倒そうとする。だが、床に倒れたのは楽の方だった。井田の強烈な蹴りが楽の足を薙ぎ払ったのだ。
 楽は何とか上半身を起こしたが、足が痺れて立ち上がれない。必死にもがく楽を、井田が冷然と見下ろした。
「そんなに俺と戦いたいのなら、私闘じゃなく青藍杯に出てこい。負けたら土下座でも何でもしてやるよ。」
「その言葉忘れるなよ。青藍杯で必ずお前をぶちのめしてやる! 」
楽は食堂中に響く声で高らかに宣言した。

「はあ。何であんなこと言っちゃったんだろう。」
十分後。楽はふりかけご飯を口に運びながらため息をついた。端末には高校からの『二階堂楽君のチーム韋駄天へのチャレンジを受理します。』という通知が届いている。今更取り消しは出来ない。
 リーグ戦は一チーム五人以内で戦う。異業高校敷地内で異業使用有りのバトルを行い、背中か腹が一秒以上地面に着いた状態――ダウンを奪われるとその生徒は失格になる。最終的に倒した人数が多い方の勝利だ。
 有能組相手のバトルに退学のリスクを賭けて出てくれる奴がいるとは思えない。つまり、楽一人で戦わねばならないということだ。一対一でも分が悪いのに、一対五で戦って勝てる訳がない。つまり楽はどっちみち退学である。
「落ちこんどっても始まらへんで。まずは残り三人のメンバーをどうやって集めるか考えんとな。」
楽は顔を上げ、しげしげと萩を見た。
「何? 」
「いや、萩さんは出場しなくて良いんだけど。」
「何言うてはるん。うちが出なかったら楽ちゃんが困るやろ。うちは幼なじみの窮地を見捨てるような薄情な奴ちゃうで。それに――」
萩はちょっと恥ずかしそうに楽を見つめた。
「楽ちゃんうちのために怒ってくれはったやろ。あれ嬉しかったんやで。」
楽は食堂のテーブルをばしばし叩いた。
「うわっ、いきなり何やっとんの? 」
「ごめん、気にしないで。」
楽は大きく深呼吸をして顔のほてりを冷ました。
「お萩ちゃん。おおきに。」
萩は目を細めて頷いた。
「話を戻すと後三人集めなあかん。楽ちゃんは誰か頼める人はおらへんの。」
「皆無だ。萩さんの他に友達がいないしな。」
「楽ちゃん人見知りやからなあ。」
萩はため息をついた。
「うちから笑ちゃんに頼んでみよか。」
「茶柱さんの異業は戦闘向きじゃないだろう。」
戦闘中に茶を沸かしてもらっても、戦いの役には立ちそうもない。
 楽は端末を取り出すとクラス名簿を表示した。楽や萩の異業もあまり戦闘向きではない。有能組に勝つには、強力なアタッカーが必要だ。
 楽達はクラス名簿に目を落とした。

 出席番号1 芥川流(異業『河童の川流れ』。泳ぎの下手な河童に変身できる。)
 出席番号2 犬吠埼遼太郎(異業『負け犬の遠吠え』。負けた時に遠吠えをすることができる。)
 出席番号3 有働大樹(異業『ウドの大木』。ウドの大木を生やすことができる。)

「役に立たねえ。」
楽は机に突っ伏した
 最後まで名簿をチェックした所、クラスメイト達はどいつもこいつも楽の『二階から目薬』に負けず劣らず役に立たない異業持ちばかりだということが分かった。中には『泣き面に蜂』(泣いていると蜂に刺される。)のようにむしろない方が良い異業まである。無能組の名は伊達ではない。
 そんな中、多少は役に立ちそうな異業持ちもわずかながら存在した。一人は船山登子。複数人の船頭を乗せることで船を山に登らせる異業、『船頭多くして船山に登る』の持ち主だ。異業高校には裏山がある。裏山に逃げ込む時に役立ちそうだ。
 もう一人は藪棒之助。異業は『藪から棒』。藪から棒を生み出す能力だ。棒は武器になるから即戦力になるのではないか。
 楽達はまず、船山登子を勧誘することにした。船山は三つ編みの小柄で大人しい女子だ。
「船山さん、一緒に有能組の連中を倒さへん? 」
萩が声をかけると、船山は目を見開いて、あわあわと両手を胸の前で振った。
「無理だよ。それに私の異業なんか役に立たないよ。」
蚊の鳴くような声で抗弁する。
「そんなことあらへん。船で山に登るなんてすごい能力やん。」
船山はぶんぶん首を横に振っている。
「チームに入るか入らないかは置いておいて、異業だけでも見せてもらえないか。」
楽の提案に船山は消え入りそうな声で、
「ほんと、大したことない力なんです……」
と繰り返した。

 昼休み、楽、萩、船山の三人は裏山の麓でビニール製のボートに乗っていた。水辺でも何でもない場所で制服を着た三人が子供用ボートにぎゅうぎゅう詰めになっている光景は傍から見ればシュールだろうが、やっている方は真剣である。
「えっと、船を動かすためには三人が心をばらばらにする必要があるんです。」
船山がおずおずと説明した。普通こういう場合、三人が心を一つにするものだが、この場合は逆らしい。
「お二人にはあっちに行け、とかてんでばらばらな方に行くよう指示を出して下さい。それが動力になります。」
「船山さん。右や、右へ行くんや! 」
萩がノリノリで指示を出す。
「いいや、左に行ってくれ。」
楽も違う指示を出す。
「何言うてんの。右や。右こそがパラダイスや! 」
「違う。左に行くことこそが勝利の鍵だ! 」
船は微動だにしない。何だこれ。冷静になってみるとものすごく恥ずかしいぞ。楽は手で顔を覆った。
「ごめんなさい。私もやらないといけないんです。もう一度お願いします。」
船山がへこへこと謝った。
「ほな、行くで。左や。左へ行け! 早よ行かんと特売品が売り切れや! 」
萩が身を乗り出して楽の背後を指さした。
「右だ、右へ行くんだ! 早くしないと試験に間に合わないぞ! 」
楽も萩の腕の下から手を突き出した。
「あの……その……行くのは後ろです! 」
船山が顔を赤らめながら宣言する。すると船が動き出した。
「おおっ、動いたぞ! 」
「すごいやん! 」
船は亀のような速度で動き出し、十センチくらい進んで止まった。
「これ、指示を出し続けないとあかんのとちゃう? もう一回やるで。左や。左、左、左……」
萩がリズミカルに連呼する。
「右、右、右……」
楽も唱和する。
「後ろ、後ろ、後ろ……」
船山も両手を握りしめて唱えた。
 ゆっくりと船が動き出す。船は蚯蚓が這うくらいの速度で進み、三十センチ程進んだ所でいくら叫んでも動かなくなった。
「済みません。済みません。こんなしょぼい能力で済みません。生きていて済みません。」
船山が水飲み鳥のように頭を下げる。
「あ、いや、こっちこそ無理に頼んで悪かったな。」
「そやで。動かすんは三人の力なんやから、うちらの力も足りんかったんや。」
楽達は頭を下げあった。

 楽達は次に藪棒之助の勧誘に向かった。藪は坊主頭で、学生服のボタンを開けて、真っ赤なTシャツを覗かせている。昼休みの今は寝っ転がって足を組み、漫画雑誌を読んでいる。
 声をかけづらい。
「楽ちゃんが声をかけてえな。」
「女子が言った方が協力を得やすいんじゃないかな。」
楽と萩が小声で押し付け合いをしていると、藪が雑誌を置いて立ち上がった。
「おうおう、俺に何か言いたいことでもあるんかい。」
立ち上がると藪は楽より頭一つ身長が高い。楽は何度かぱくぱくと口を開いた末、言葉を絞り出した。
「藪君に協力して欲しいことが――」
「何でぃ、藪から棒に。協力して欲しいってことはあれかい。お前さんが参戦することになったって言う青藍杯のチームに入ってくれってぇことかい。そんな願いはお断りだね。あんなもの敗けるに決まってるじゃねえか。何で好き好んでお前さんのために一緒に退学にならなきゃいけねえんだ。」
ぐうの音も出ない楽に代わって、萩が口を挟んだ。
「敗けるかどうかはやってみないと分からへんやろ。」
「するってぇとお前さんは蟻が象に勝てるかどうかやって見なくちゃ分からねえって言うのか? そんなもんは明々白々、誰が見たって分からぁ。二階から目薬? 棚からぼた餅? 目薬差してすっきり、ぼた餅食ってうまーっ。すっきり、うまーっ。それでその後どうやって敵に勝つってんだ。」
「確かにな。」
楽は頷いた。
「納得してどないすんね。」
萩が楽に突っ込んだ。
「藪君はどうなん。藪君の力が強かったら勝てるかも知れんやろ。」
「俺は強いさ。有能組の奴らにも引けはとらねえ。けどお前らみたいな弱っちい奴らと組んだんじゃ勝てるもんも勝てねえだろ。」
「そしたらもしうちが藪君に勝ったらチームに入ってくれへん? 」
「ああ良いぜ。そんなことは万万が一にもあり得ねえけどな。」
「良し、決まりや。今から校舎裏でタイマン勝負や。」
「待てやこら。」
藪は舌打ちした。
「試合でもないのに女を棒で殴ったり出来るかよ。しょうがねえな。代わりにこいつとだったら戦ってやってもいいぜ。」
藪は楽のことを指さしている。できれば男のことも棒で殴ったりしないで欲しいのだが。

 十分後。楽と藪は有能組の教室がある有能棟の校舎裏で対峙していた。楽は非常階段を背にしている。非常階段を駆け上がり、二階から目薬を放って攻撃する作戦だ。
 一方の藪は藪の側に立っている。藪の中から棒を取り出して戦うつもりだろう。
「勝負始め! 」
審判役の萩が手を上げるやいなや、楽は一目散に非常階段を駆け上がった。二階にたどり着いて見下ろす。藪はちょうど藪から棒を抜き出す所だった。
「うぉりゃー! 」
気合もろとも藪が藪から腕を引き抜く。その手には十センチくらいの小さな物体が握られている。目を凝らす。あれは――
 うまい棒だ。
 藪はしばし硬直した後、何事もなかったかのようにうまい棒の袋を破って中身を食い始めた。
「相変わらずうまい棒はうまいぜ。」
大仰に言うと、袋をポケットに突っ込み、楽を見上げた。
「勝負は引き分けにしておいてやる。命拾いしたな。」
ポケットに手を突っ込んでグラウンドへと戻っていく。楽は長い息を吐いてへたりこんだ。
「どんな棒が出るかは運次第みたいやな。」
非常階段を上がってきた萩が言った。
「きっとあの能力、一度使うとしばらく再使用でけへんのや。勝つチャンスやったのに。」
萩はそう言うが、たとえ武器がうまい棒だったとしても、あの体格差ではタイマンを張ったら確実に楽が敗けていた。バツが悪くなって帰ってくれて助かった。楽はうまい棒に感謝した。

 もはや異業が役に立つかどうかなど気にしている場合ではない。
 楽と萩はクラス中の生徒に片っ端から声をかけたが、全員に断られてしまった。
 放課後。クラス名簿の全員の名前の横にバツ印を書き終えた楽達はため息をついた。
「誰か声をかけていない人は――」
藁にもすがる思いで名簿を見返していた楽は、一人、印がついていない生徒を発見した。

 只野才子(異業『十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人』)

「この只野さんって、どんな奴だっけ。」
「只野さん確か不登校やってん。入学式の日すら来なかったらしいで。」
担任に話を聞きに行くと、大量のプリントを渡された。何でも、アパートを訪ねても部屋から出てこないので、担任すらまだ会えていないらしい。
「同級生なら会ってくれるかも知れん。頼んだぞ。」
楽達はずっしりと重い紙束を持って只野の部屋に向かった。

 異業高校は全寮制だが、只野の部屋は学外のアパートだった。ドアをノックし、プリントを持ってきた旨を伝えると、あっさり扉を開けてくれた。只野はジャージ姿で眼鏡をかけ、目の下には隈を作っている。
「その辺にプリントを置いて帰り給え。」
肩まで伸ばしたボサボサの髪を掻きむしりながら部屋に戻っていく。楽は慌てて後を追った。八畳程の室内には、足の踏み場もない程書類やら怪しげな機器やらが散乱している。楽は部屋の入口に立ってチームへの参加をお願いした。
 只野はこちらに背を向け、机に向かって作業をしていたが、楽の話が終わるとため息をつき、椅子を回してこちらへ向き直った。
「君達のチームに参加することで一体私にどんなメリットがあると言うのかね。」
「リーグ戦でチーム韋駄天を上回れば有能組に入れ――」
「馬鹿馬鹿しい。無能組が有能組より劣っているのは学内における待遇だろう。全く登校していない私にとってはどちらに属していようが同じことだ。」
そう言われてはぐうの音も出ない。
「只野さんは何で登校せえへんの? 」
萩の質問に、只野はしばし視線を落としてから口を開いた。
「私の異業は知っているだろう。『十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人』。私は今十五歳。あと五年経てばただの人になることが運命づけられている。だから私は五年以内に成果を出さねばならん。呑気に学校に行っている暇などない。」
只野は椅子を回すと作業に戻った。ウィダーインゼリーを口に運び、ゴミ箱に投げ捨てる。見れば壁際にはカロリーメイトウィダーインゼリーの箱が山積みになっていた。
「只野さん。食後のデザートにぼた餅食わへん? 」
萩が手近な本棚から生み出したぼた餅を差し出す。只野は後ろ手にそれを受け取って、口に運んだ。
 只野は作業を止めてこちらに向き直った。
「もう一個もらえないかね。」
「ええよ。」
萩がぼた餅をキャッチして只野に渡す。只野は真剣な顔でそれを咀嚼した。
「問題は残り二人のメンバーをどうやって集めるかだ。」
楽と萩は顔を見合わせた。
「只野さん、参加してくれるの? 」
「このぼた餅が食えるというのは十分なメリットだ。」
只野はしれっと言った。
 只野は髪を後ろに束ねると、楽達に向き直った。
「残り二人を勧誘するにあたってボトルネックになっているのが、チーム韋駄天を成績で下回ったら退学になるという事実だ。その懸念を払拭しない限り新たな参加者は望めない。」
「しかし、いくら頼んでも学校が成績で下回ったら退学という条件を撤回してくれるとは思えないけど。」
「然り。従って我々が取るべき道はただ一つ。リーグ戦初戦で勝利して、有能組相手にも互角に渡り合えるのだということを無能組の面々に示すしかない。」
只野は端末に青藍杯公式ルールを表示させた。

1.選手は一チーム五名以下とする。
2.選手は教職員専用エリアを除き、異業高校敷地内全てに入ることができる。敷地から出た場合は失格とする。
3.選手は試合中、専用ベストを着用する。ベストの規定の面積に1秒以上連続して自重相当の力を受けると圧力センサーが反応してブザーが鳴り、失格になる。
4.異業によって生成するか、異業使用上必要であると学校に認められた武器のみを攻撃に使用することができる。
5.各チームは試合毎に一名ずつ大将を届け出る。試合開始時は、選手持参の端末に敵大将の位置だけが表示される。大将が失格になるとそのチームの他の全てのメンバーの位置も表示される。
6.試合時間は三十分間とする。
7.試合中に相手チームのメンバー全員を失格させたチームはその時点でKO勝ちとなる。
8.KO勝ちとならなかった場合は試合終了時に相手を失格させた人数の多い方が判定勝ちとなる。
9.試合終了時に失格者数が同数である場合には、引き分けとする。
10.学校設備を故意に破損する行為は禁止。悪質であると判断されると失格になる。
11.鍵などの解除不可能な物理的手段で選手がいる空間を閉鎖してはならない。異業を用いて封鎖することは構わない。
12.総当りリーグ戦を行い、勝ちが勝ち点3、引き分けが勝ち点1とし、勝ち点数によって順位を決定する。
13.勝ち点が並んだ場合、当該チーム同士の対戦結果、当該チーム同士の対戦が引き分けの場合KO勝ちが多い方、それも同数の場合は与被失格数差、それも同数の場合はくじ引きによって順位を決定する。

「グラウンドで有能組の連中と真正面から対峙して戦うのだったら勝ち目はないが、学校全体を使えるのだったら、いくらでも戦いようはある。」
只野はタブレット端末に学校の図面を表示すると、作戦を提示した。
「ところでチーム名はどないする。チーム無能じゃいかにも弱そうやし。」
「チームぼた餅で良かろう。我々はぼた餅によって結びついた仲間だからな。」
只野が新たに出してもらったぼた餅を食いながら提案した。

 一週間後の放課後、青藍杯一回戦が行われた。チームぼた餅初戦の相手はチームストロング。チームリーダーは強井体。強井の異業は『名は体を表す』だ。
 『名は体を表す』は名前の通りに体が変化するという異業だ。強井は元々佐藤一郎という普通の名前だったのだが、異業を活かすために改名したらしい。そのおかげで、身長二メートルの筋骨隆々の体になっており、いかにも強そうである。
 試合前に各チームの大将を届け出る。今回、チームぼた餅の大将は只野。チームストロングは強井である。
 試合で体操着の上に着用するベストにはGPS装置が取り付けられており、大将の現在位置は学校支給の端末でリアルタイムに確認できる。強井は学校北端にあるグラウンドの真ん中に陣取っている。奇襲を警戒し、見通しの良い場所を選んだのだろう。
 一方、チームぼた餅は敷地の南東角に南北に建っている廃校舎に陣を引いている。ここを選んだ理由は三つ。一つ目は敷地の角に建っているので裏からの奇襲を受けにくいこと。二つ目は周囲より高くなっているので守りやすいこと。そして三つ目にして最大の理由が、他の校舎は既に他のチームに押さえられてしまっていて使えないということだ。
 試合開始十分前。ミーティングを終えた三人はヘッドセットをつけて持ち場へ散った。練習試合を重ねて青藍杯に望んでいる有能組の面々に対し、チームぼた餅にとってはいきなりの実戦である。楽は数秒おきに手の平の汗を拭った。
 学内に試合開始のベルが響く。楽は目薬のキャップを外した。楽は二階、萩と只野は三階で待機している。廃校舎の窓ガラスは全て閉め、出入口も机を並べて封鎖してある。防御に徹し、攻めてきた所を返り討ちにする作戦だ。
 校舎前ではテレビクルーがカメラを回している。青藍杯は全試合インターネットで有料配信されていて、熱心なファンも多い。制作会社は両チームの本陣を中心に校内数十個所に定点カメラを配置。さらに数人のカメラマンが動きまわって試合の様子を撮影している。大会本部の審判は、その映像を元に、違反行為のジャッジをしている。
 開始三分。チームストロングの斥候が現れた。鬼頭蛇輔。『鬼が出るか蛇が出るか』の異業使いだ。鬼頭は大きな袋を前に何やら念じていたが、やおら紐を解いた。もし袋の中から鬼が出てきたら、鬼を相手に戦わねばならない。果たして――
 中から出てきたのは小さな蛇だった。
 鬼頭は舌打ちして蛇を近くの藪に放る。鬼を出せなかった鬼頭は、自ら廃校舎に向かって攻めてきた。
「鬼頭君! 」
楽は叫ぶと、顔を上げた鬼頭に向かって目薬を放った。目薬は狙い違わず鬼頭の両目を直撃。数秒間、視界を塞ぐ。
 三階のベランダに足音が響いた。萩と只野が走る音だ。二人は長い棒の先に取り付けた木の板をベランダから伸ばし、鬼頭の頭上にくるよう位置を微調整する。板が静止した直後、人の頭程もあるぼた餅が転がり落ちてきて、鬼頭の頭を直撃した。
 鬼頭が倒れる。これで一人ダウンだ。
 その後、順次現れたチームストロングのメンバーを、同じ要領でダウンに追い込んだ。残るは大将の強井だけだ。
「敵は戦力分散の愚を犯した。数的優位を活かし、全員で同時攻撃を仕掛けるべきだったのに、一人ずつやって来て個別撃破された。かような体たらくでは敵として物足りん。」
ヘッドセットから只野のため息が聞こえた。
 とうとう強井自らが姿を現した。素肌に直接つけたベストは筋肉によってパッツンパッツンになっている。上から羽織った学ランの背にはでかでかと「漢」の刺繍が踊っている。
 強井は攻撃を避ける様子もなく、悠然と廃校舎の正面へと歩を進める。
 楽が放った目薬が強井の目に吸い込まれる。目をこする強井に向かって、萩が人の頭程もあるぼた餅を放つ。ぼた餅が直撃し、強井の髪がぼた餅で覆われる。
 二キロもある物体が頭に直撃したにも関わらず、強井の体は微動だにしない。強井は右手で頭上のぼた餅を鷲掴みにして頭から引き剥がすと、くっついた髪の毛もろともぼた餅にかぶりついた。蕎麦を啜るようにぼた餅を貪り食い、瞬く間に完食した。
「カッカッカッ! 美味美味! 敵に塩ならぬ菓子を送るとは粋な計らいではないか。」
強井が腕を組んで高笑いする。
「残さず食べるとは感心やなあ。」
ヘッドセットから萩ののんびりした声が聞こえた。
 強井が悠然と玄関へと歩を進める。楽は二階の吹き抜けから一階を見下ろした。
 廃校舎の玄関には校舎中からかき集めてきた机や棚を四時間かけて積み上げてバリケードを築いている。時間をかければ除去可能なのでルール違反ではないが、試合時間の三十分で除去するのは実質不可能。ルールの穴を突いた戦術だ。
 強井が玄関の扉を開く。バリケードを一瞥すると再び高笑いした。
「この程度の封鎖、俺にとっては薄紙を張った程の効果もないわ! 」
強井が机に向かって掌底を放つ。直後、バリケードが爆散した。建物を爆破解体したような轟音が響き渡り、校舎が小舟のように揺れる。楽は必死に手すりにしがみついた。
 もうもうと立ち込めていた煙が晴れる。玄関ホール一面に机や棚が飛び散り、その半数は割れたり歪んだりと原型を留めていない。机のいくつかは吹き飛んで壁や天井に突き刺さっている。付近の窓ガラスはあらかた砕け散っていた。
スピーカーから警告音が響いた。
「学校設備破損行為が確認されました。故意ではないとみなし、強井選手に警告。もう一度警告を受けた場合失格になります。」
審判役の先生が告げる。学校設備を故意に壊した場合は即失格だが、今回は机をどかそうとして結果的に破損したので警告止まりになったようだ。
「それは困ったのう。」
 警告を受けた当人は、玄関で仁王立ちして腕組みをしている。バリケードを吹き飛ばしたとは言え、玄関付近には大量の机や棚の残骸が積み上がっている。吹き飛ばしながら進めば簡単に突破できるだろうが、それによって校舎に傷が付けばその時点で失格だ。
 強井は肩をすくめると玄関前から去った。善後策を講じるようだ。
 あんな化物に中に入ってこられたら防ぎようがないどころか命すら危うい。楽はほっと息を吐いた。
 ベランダから外を見下ろす。強井は廃校舎の正面に立って首を捻っている。
「どないする。ぼた餅落としても美味い美味い言うて食われてまうで。」
「こちらは四人倒しているから時間切れになれば判定勝ちだ。残り十分。守りぬくことを考えよう。」
只野が冷静に策を示した。
「ベランダにいると奇襲を食らう可能性がある。全員教室に入って――」
「改名! 強井体改め壁尾登! 」
只野の声を遮るように、強井の大声が響いた。強井の体が変形し、手足が長くなる。強井改め壁尾はヤモリのように校舎の壁にぴたりと張り付くと、四足獣が駆けるような速さで登り始めた。一目散にこちらに向かってくる!
 壁尾はベランダの柵を掴むと、一気に飛び越えた。間髪を入れず楽に向かって飛びかかる。バリケードを爆散させたパンチが飛んでくる。死の予感に、楽の全身が総毛立った。
 壁尾のストレートが楽の顎にヒットする。楽は衝撃で数歩よろめいた。
 壁尾が続けざまに放ったフックが楽の腹を捉える。楽は軽いうめき声を上げた。
 あれ?
 バリケードを木っ端微塵にしたはずのパンチを食らっているというのに、楽の体は砕け散りも吹き飛びもしていない。それどころか――
 壁尾が三発目を放つ。頬に入った右ストレートを、楽は歯を食いしばって受け止めた。
 壁尾は先ほどから格段にパワーダウンしている。良く見れば、ムキムキだった体型もぐっと貧相になっている。
 壁尾の左アッパーが楽の顎を捉える。楽は壁尾の左腕を掴んだ。壁尾の腕は両生類のようにぬたぬたしている。ぬたぬたした体に抱きついて何とか組み止める。
 そうか、強井体から壁尾登に改名したから、壁は登れるけれど強くはなくなったのか。それなら――。
「萩さん! 今ならぼた餅落としが効くぞ! 」
楽はマイクに向かって叫んだ。
「改名! 」
壁尾が叫んだ。壁尾登から強井体に戻る気だ。もしこのまま組み合った状態で強井に戻られたら一巻の終わりだ。
「壁尾登改め――」
壁尾が声を張り上げる。楽は壁尾の口に手を当てると、代わりに「弱井ダメ男」と叫んだ。
 壁尾の体からぬめりが消え、長かった手足がじわじわ縮んで行く。壁尾登が弱井ダメ男へと変化しているのだ。
 壁尾がわずかに残った壁登り能力で三階のベランダの壁へぶら下がる。そのまま
「改名! 弱井ダメ男改め強井体! 」
と叫んだ。
 完全に壁登り能力を失った強井が二階のベランダに落下する。その体がじわじわ大きくなって行く。完全に強井に戻られたらおしまいだ。
 強井が楽に向かって拳を振りかぶる。楽が死を意識した刹那――
 巨大なぼた餅がベランダに落下。強井の体を押しつぶした。

 こうしてチームぼた餅は青藍杯初戦をものにした。

異なったリアリズムの混在――コンビニ人間感想

(本稿は『コンビニ人間』の抽象的ネタバレを含みます。)

 不気味さの谷という言葉がある。人間とは全然違うロボットや人間と見分けがつかないロボットは不気味ではないが、人間のようで微妙に違うような外見や動きのロボットは不気味に感じることを指す。
 第155回芥川賞受賞作、『コンビニ人間』(村田沙耶香著、文藝春秋)のヒロイン古倉は不気味さの谷にいる。外見が不気味なのではない。キャラクターのリアリティレベルが不気味なのだ。

 大塚英志氏は物語を自然主義的リアリズムに基づくものと、アニメ・まんが的リアリズムに基づくものに分類した。『コンビニ人間』の古倉には両者のリアリティが混在している。
 小学生の時、取っ組み合いのけんかをしている男子を止めるため、スコップで頭を殴りつけたといったいかにも人間性を欠いた感じのエピソードはアニメ・まんが的リアリズムに基いている。西尾維新作品などに登場しそうなキャラクター造形だ。
 一方、コンビニの描写や他者からの圧力を厭う心情は自然主義的リアリズムに基いている。
「18年間、「店長」は姿を変えながらずっと店にいた。
一人一人違うのに、全員合わせて一匹の生き物であるような気持ちになることがある。」
といった発想は奇抜ではあるが、確かなリアリティを持っている。それだけに、両者が奇妙に混在している古倉が、不気味に感じる。

 私は世界中の人間を二つに分けたら確実に古倉側の人間だ。十に分けても同じカテゴリーに入るかも知れない。コミュニケーション不全で変化を厭い、外へ向かう意志を欠いている所に親近感を覚える。だがそんな私から見ても古倉は不気味なのだから、ほぼ全ての人にとって不気味なのではないだろうか。

 『コンビニ人間』は社会が古倉のような標準から外れた人間を疎外する様を描いている。本作が巧みなのは、読者に古倉を不気味だと思わせることで、誰もが疎外する側でもあるということを自覚させるようになっていることだ。
 もし、古倉が自然主義的リアリズムのみによって構成されていたら、一部の読者は単に古倉に共感して終わってしまっていただろう。アニメ・まんが的リアリズムのみによって造形していたら、読者は単なるフィクションの世界の話として奇妙な世界を楽しむだけになってしまっていただろう。村田氏の旧作では瑕疵ではないかと感じていた異なったリアリズムの混在が、本作ではプラスに作用している。

 本作にはもう一つの混在が見られる。いかにも純文学的な奇妙な展開を辿りながら、最終的には行って帰ってくるという古典的物語構造へと着地している点だ。純文学的異化の力が炸裂している本作だが、本作の面白さに物語の力がもたらす充足感が大きく寄与していることも見過ごしてはならない。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

学食のカレーを食べ比べる

 学食と言えばカレーである。学食の麺類は安いが専門店より味が大きく落ちる。丼ものは美味しいが安くない。その点、カレーは安く、味も外れがない。大量に作るという学食の利点が生きる料理だ。
 そこで、職場に近い、東京都文京区にある大学の学食を巡ってカレーライスを食べ比べた。学食は、ランチタイムは学生で混雑し一般の入場を断っている所も多いので、晩御飯を食べに行くのが良いだろう。

拓殖大学 学生食堂茗荷谷

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学食はB館地下一階にある。夕方はかなり空いており、一般客はほとんど見ない。

カレーライス 280円

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これぞ学食という感じの小麦粉がたっぷり入った豚カレー。味は辛め。量がたっぷり。


明治大学 スカイラウンジ暁御茶ノ水

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食堂はリバティタワーの17階にあり眺めが素晴らしい。夕方は比較的一般客も多く混雑している。

カレーライス 310円

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甘さの後に辛さが来る。とろとろのルーにしっかりしたチキンが入っており、普通の学食カレーよりちょっとグレードが高い。


中央大学 Cキューブ(後楽園)

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3号館の一階にある。学生で比較的混雑しており、一般客はほぼいない。

カレーライス 310円

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キャベツと味噌汁がついており、他より栄養バランスが良い。やはり甘さの後に辛さが来る。形を保っている具は肉と玉ねぎのみ。他はじっくり煮込んで溶けているのではないかと思うが、最初から入っていない可能性も排除できない。


東京大学 本郷中央食堂本郷三丁目

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安田講堂前の地下にあり駅から遠い。建物がレトロで食券も窓口でおばさんが手売りしているなど、昭和に迷い込んだような雰囲気が味わえる。8月4日から改修工事で休業とのことなので、見たい人は急いで行こう。夕方もわりと混雑しており一般客も見かける。

カレーライス 250円

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さすが国立大学だけあって最も安い。安いのに牛肉が入っているのはすごい。味はやはりいかにも学食という感じ。


 4大学のカレーライスを食べ比べた結果、以下のことが分かった。
 高いカレーは各々違っているが、学食の安いカレーは互いに似ている。

取り返しがつく犯罪に共謀罪はいらない

 改正組織犯罪処罰法(テロ等準備罪共謀罪)が7月11日に施行された。本ブログは基本的に政治的なことは書かないようにしているのだが、例外的に一点指摘しておく。
 改正組織犯罪処罰法には277の罪が対象となっている。法務省は対象犯罪を下記の5つに分類している。

1テロの実行に関する犯罪 110
内覧等幇助、傷害、強盗、拳銃等の輸入、航空機の強取等、化学兵器の使用 など

2薬物に関する犯罪 29
あへん煙輸入等、大麻の栽培等、覚せい剤の輸入等 など

3人身に関する搾取犯罪 28
強制わいせつ、強姦、強制労働、在留カード偽造等、臓器売買等 など

4その他資金源犯罪 101
通貨偽造及び行使等、有印公文書偽造等、切手類の偽造等、特許権の侵害、著作権等の侵害等 など

5司法妨害に関する犯罪 9
逃走援助、偽証 など

 改正組織犯罪処罰法は対象犯罪を実行しなくても、計画・準備段階で処罰できるようにする法律だ。この法律の利点は、警察が対象犯罪を未然に防ぐ権限を得る点であり、欠点は警察がこの法律を乱用する権限を得る点である。どちらを重く見るかはその人の価値観による。
 例えば、化学兵器の使用のような犯罪は、起きてからでは取り返しがつかない。私自身は、現行法でも最高裁によって詐欺罪や建造物侵入罪の広い適用が認められているので不要ではないか、という高山佳奈子教授の意見を支持しているが、取り返しがつかない犯罪について少しでも予防の可能性を高めるべきではないかという意見にも一理あると思う。

 だが、資金源犯罪を対象犯罪に含めることにはびた一賛成できない。これらの犯罪は取り返しがつくからだ。
 例えば、犯罪組織が資金源を得るため、切手の偽造を企んでいたとしよう。確かに、切手の偽造で大量の資金を獲得し、その資金を活用して武器を購入し、テロを実行したら大変だ。だが、それは実際に切手の偽造をしてから逮捕すれば良いのであって、準備行為をしている段階で逮捕する必要はない。切手の偽造が実行された途端に、心身に取り返しがつかないダメージを負う人など誰もいないからだ。

 テロ行為のような取り返しがつかない犯罪について計画・準備段階で処罰する法律が必要かについては様々な意見がある。だが、切手類の偽造を計画した段階で逮捕できる法律が必要ないことは、ほとんどの人の間で合意が得られるだろう。にも関わらず、対象犯罪について一切の修正がなされずに成立、施行されてしまったことは残念でならない。