東雲製作所

東雲長閑(しののめのどか)のよろず評論サイトです。

他者と同居すると暮らしが平凡になる

はてな匿名ダイアリーのバターナイフを巡って夫婦が互いに妥協を強いられているという記事が話題になっていた。

anond.hatelabo.jp

私は一昨年までは一人暮らしをしていたのだが、去年の春から父と同居することになった。
同居前の私の一週間の朝食を再現するとこんな感じだ。
月曜日

火曜日

水曜日

木曜日

金曜日

土曜日

日曜日


最近の朝食はこんな感じである。
月曜日

火曜日

水曜日

木曜日

金曜日

土曜日

日曜日


本当は前者が良いのに、後者のような食事を強いられているのである。何という著しい妥協!

同居当初、父に朝食はフルグラで良いかと聞いた所、口ごもっていたので、しぶしぶご飯を作ることにした。
私はご飯を食べるにしても一汁一菜ぐらいが良い。最初はインスタント味噌汁とおかず一品の食事を出していたのだが、父はそれでは不満だったらしく、平日は自分で具沢山の味噌汁を作ってくれるようになった。さらに毎食必ず納豆とバナナとヨーグルトを出してくるようになったため、こんなに品数が多くなってしまった。

他者と同居すると、暮らしが平凡な方向へ変化する。もし、日本中からランダムに選ばれた五人が同居生活を送ることになったら、その食事は日本人の平均に近くなることだろう。親子や夫婦は嗜好がある程度似ているためランダムに選んだ他者よりは平均化の効果が小さいが、それでも日本人全体の平均に近づくことに変わりはない。

さらに、同居した二者の暮らしは両者の好みのちょうど中間ではなく、それよりも社会全体の平均寄りになる傾向があるのではないか。
先鋭的な方は自分が常識から外れているという自覚があるので、常識的な方より強く出にくいからだ。
また、こだわりがない方が、こだわりがある方に妥協した方が不利益が少ないという面も大きい。
我が家の例で言えば、食事にこだわりがある父が毎朝フルグラ生活を強いられたら著しい不満を感じるだろうが、食事にこだわりがない私が品数が多い生活を強いられても大して苦痛ではないからだ。