東雲製作所

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キングオブコント2021感想――物語の満足感

(本稿はキングオブコント2021のネタバレを含みます。)

キングオブコント2021は愛の大会だった。
トップバッターの蛙亭が博士がアンドロイドに母性を感じてしまうというコントを披露して大会の方向性を決定づけた。
ザ・マミィの1本目は疎外されてきたおじさんの魂の回復を正面から描いていて、思わず泣いてしまった。
男性ブランコの2本目も印象深い。買い物袋をケチった男の末路という内容で、ケチで友達が少ない私には身につまされる内容だったが、ケチで友達が少なくても生きていて良いんだ!と勇気をもらった。

優勝した空気階段のコントも隅々まで変な人への愛、人間賛歌で溢れていた。今大会が愛に満ちた大会になったのは、去年空気階段が、定時制高校を舞台にした純愛のコントをやったことで、「こういうのもありなんだ」と皆に知らしめたからではないか。まさに愛の大会で優勝するにふさわしいコンビだ。

愛、他者の受容についてはすでに優れた評論が出ている。
古豆氏は「異質な他者と、豊かな関係を築く」というキーワードでファイナルステージに進んだ3組を分析されている。

gendai.ismedia.jp

また、hiko1985氏も、空気階段の愛は、“異質さ”を受け入れるという態度であると指摘されている。

hiko1985.hatenablog.com


そこで、私は角度を変えて、漫才と比べたコントの優位性という観点から論じる。


純粋に人を笑わせるという点で、漫才はコントに優っている。漫才はセットがない分、二人の掛け合いに視聴者の意識を集中させられるし、手数もより多く詰め込むことができる。
それではコントが漫才に優っていることは何だろう。コントは道具が使えるので漫才より自由度が高い。また、コントの方がウィットに富んだ笑いにしやすいという特徴もある。
だが、どちらも漫才が生み出す爆発的な笑いに比肩しうる程の優位性ではない。私は笑いの形式として漫才はコントより優れているのではないかと思っていた。キングオブコントよりM-1グランプリの関心が高いことを見るに、同じように思っている人は多いのではないか。


だが、キングオブコント2021を見て、遂に私はコントの優位性を発見した。それは物語の力を使えるということだ。
物語の基本的な構造は「欠落→回復」だ。欠落は物語の駆動力となり、回復によって視聴者に充足感を与える。視聴者の琴線に触れるものが回復された場合は感動すら生み出す。

歴代最高得点の486点を叩きだした空気階段の1本目について審査員の山内氏が「映画一本見たぐらいの充実感」と言っていたが、それは物語の構造を持っているからだ。
コントの冒頭で二人はビルの一室にあるSMクラブ内で縛られた状態で火事に遭い、安全が欠落した状態にある。だが、二人が熱い仕事への使命感を発揮して活躍することにより、二人のみならず、ビル内に取り残された人々の安全が回復されたことで、視聴者は笑いだけでなく満足感を得たのだ。

ザ・マミィの1本目では、怒りをまき散らす自尊心が欠落したおじさんが登場する。だが、彼に話しかけ、さらには信用して財布を預ける青年が表れたことで、おじさんは自尊心を回復し、善良な心を取り戻す。この過程には心打たれた。

今大会で高得点を叩きだしたコントには、物語が生み出すずっしりとした満足感があった。一方、ニューヨークなど下位に沈んだコントは笑えるという点では遜色なかったが、物語的回復がなかったため物足りない感じがしてしまい、得点を伸ばせなかった。「漫才でもできたかな」と指摘した審査員の松本人志氏にニューヨークの屋敷氏が「じゃあM-1でこのネタやるんで高得点つけて下さいよ」と噛み付いていたが、実際、純粋な笑いの量を競う漫才の大会だったらもっと得点が伸びたのではないか。


コントと違い、漫才は基本的に「欠落→回復」という構造を持たない。例えば、ミルクボーイの漫才は冒頭で「おかんが物の名前を忘れた」という欠落が提示される。ミルクボーイの漫才が強いのは欠落の駆動力に拠る所が大きい。
だが、ミルクボーイの漫才は最後までおかんが忘れたものが何なのかが判明せずに終わる。つまり回復がない。
漫才はボケによって秩序が失われ(=欠落)、ツッコミが回復しようとするが果たせずに、「いい加減にしろ」と匙を投げて終わる。

漫才はボケとツッコミの主張のギャップによって笑いを生み出している。回復をするとギャップが消滅するので、笑いが生み出せなくなる。例えば、ミルクボーイの漫才でおかんが忘れたものが何なのか分かってしまうとそれ以上ボケられない。最後までぎちぎちに笑いを詰め込むためには、回復しないまま終わった方が良い。


従来のコントは漫才同様にボケが変なことをしてツッコミが突っ込むという構造が多かった。これは笑いを生み出す有力な手段ではあるのだが、コントで漫才と同じことをすると手数で負けてしまう。
今大会で高得点を出したコントはあまり突っ込んでいないコントが多かった。ボケとツッコミのギャップではなく、異様な状況と本人たちの真剣さのギャップや、視聴者の想像と登場人物の反応のギャップなど、別の所にギャップを置くことで、物語的回復を入れることが可能になった。
笑いに加えて物語の力で満足感を与えるというのはコントが生き残るための一つの解ではないか。


まとめ
1.純粋に人を笑わせるという点で、漫才はコントに優っている。
2.コントの優位性は「欠落→回復」という物語の力を使えるということ。物語の力で笑いに加え満足感を生み出せる。
3.漫才はボケとツッコミの主張のギャップによって笑いを生み出しているので欠落を回復できない。
4.コントはボケとツッコミ以外の所にギャップを置くことで物語的回復をしながら笑いを生み出すことができる。

www.king-of-conte.com