東雲製作所

東雲長閑(しののめのどか)のよろず評論サイトです。ジオシティーズ(http://www.geocities.jp/shinonomenod/)から移転してきました。Amazonのアソシエイトとして、当メディアは適格販売により収入を得ています。

『本を読んだことがない32歳が初めて「走れメロス」を読む日』感想

(本稿は『本を読んだことがない32歳が初めて「走れメロス」を読む日』と走れメロスのネタバレを含みます。)

10月31日にオモコロで『本を読んだことがない32歳が初めて「走れメロス」を読む日』という記事が発表され、はてブでも大きな話題となった。

omocoro.jp


漫画は沢山読んでいるが小説は読んだことがないWEBライターのみくのしん氏が、走れメロスを音読しながら、友人のかまど氏と対話していくという記事だ。

最初はみくのしん氏の「マルコは三千里も行ってるのに、メロスは十里でしょ?負けてない?」といった感想を読んで笑っていたのだが、「「ひっそりしている」って短い一文で、読む方もシャンとする感じがある」という指摘にはっとさせられた。
その後もみくのしん氏は「おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。」というメロスのセリフに対し、「妹に言ってるようで、自分にも言い聞かせてるんだと思う。そうじゃないとこんな幸せから抜けられる気しないもん。」と分析したり、
メロスが動けなくなって絶望するシーンでは「皮肉だけど、王様の理屈がメロスにも理解できちゃったシーンでもあるんだな」と述べたりと鋭い指摘を連発し、感心させられた。


1.感情を抑制するという悪癖

中でも心に残ったのが、みくのしん氏が「走れメロス」を読んで喜怒哀楽の感情を発露する様だ。
氏が「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。」という一文を読んで「本当にそうだよな」と感極まったり、山賊が王様の命令で待ち伏せしていた疑惑にぶちぎれたり、途中で諦めたメロスにショックを受けたり、走るメロスを必死に応援したり、最後に号泣したりした時には、読んでいるこちらも大いに感情を揺さぶられた。

現代人は日常生活において、冷静であることが求められる。他者に怒りをぶつけるのはNGだし、感極まって泣き出したりしたら変な人だと思われてしまう。
感情を抑制するのは対人マナーの面で必要であるだけでなく、自らの心を守るためでもある。現代人は日々、あまりに多くの刺激的な情報にさらされている。
ニュースを見てもその都度深く感情移入はしない。ウクライナで虐殺された人一人一人に感情移入して、身近な人が死んだような痛みを感じていたら鬱になって生活に支障が出てしまう。

感情を抑制する習性は、フィクションを見聞きする際にも発揮される。小説などのフィクションではしょっちゅう劇的な出来事が起きるので、小説読みは言葉を割り引いて受け取る癖がついてしまっている。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。」という文を読んでも、フィクションの中の出来事として捉えているので、メロスが怒っているな、ぐらいにしか感じない。
みくのしん氏は日常レベルの感性で、友だちが「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。」と言ったかのように受け取っているからあれほど心動かされているのではないか。
小説は本来心を動かすために読むものだ。それなのに、感情を抑制して読むのでは本末転倒だ。本記事を読んで、長年にわたって心にこびりついて動きを妨げていた悪いものがさっぱりと洗い流されたような心地がした。


2.時間当たりに動かせる感情は有限

本記事を読んでもう一つ痛感したのが時間当たりに動かせる感情は有限だということだ。
走れメロスは速読なら数分で読むことができるが、人間は数分の間に心の底から怒り、楽しみ、絶望し、喜ぶことなどできない。
本記事でみくのしん氏は走れメロスを音読で3時間もかけて読んでいる。感情が高ぶった時にはしばしば本を置いて休んでいる。時間当たりに心が動く量の限界に達したから回復するまで休んでいるのではないか。

映画館で激しく心揺さぶられる映画を観た後は、しばらくフィクションを受け付けなくなる。また、M-1グランプリのようにあまりに密度が濃いお笑い番組を見るともうお笑いを見るのは十分だという気分になる。
私は泣きすぎたり笑いすぎたりして体力的に疲れているからだと思っていたのだが、それに加え、時間当たりに動かせる感情の限界に達しているのではないだろうか。

我々は時間の浪費に関しては自覚的だが、感情の浪費に関しては無自覚なことが多い。時間当たりに動かせる感情が有限なら、触れるコンテンツは厳選した方が良い。下らない釣り記事を読んで苛立つのは、感情の浪費に他ならない。
私は短い余暇時間を有効活用しようと、アニメを倍速視聴している。だが、時間当たりに動かせる感情が有限だとすると、倍速視聴では一作品当たりに動かせる感情の量が半分になってしまう。

小説の書き方本を読んでいると、作家になるには大量に読めという意見が多い。だが、東野圭吾氏は「ミステリーの書き方 日本推理作家協会編著 幻冬舎」の中で下記のように語っておられる。

「好きな映画は何度でも観る。ただ「良かったな」じゃなくて、今観ているシーンに対して自分がどう思っているかを大切にする。観察していると、その中にヒントがある。小さな意外性や驚きがたくさんある。」
「なぜ自分がその時にそう思ったのかを突き詰められるからです。その突き詰める作業の中から、自分が意外感や違和感を抱いた理由がはっきりしてくる。そこからアイデアが出てくる。それが実際に使えるかどうかはともかく、膨大な数のアイデアを拾えるわけです。」

物語の表面にある、ストーリー展開や設定、キャラクターのバリエーションを増やすには、多読することが有益だ。だが、物語の核心にある、心を大きく動かすものを理解して咀嚼し、自分でも使えるようにするためには、時間をかけて作品と向き合う必要があるのではないだろうか。