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美しすぎるという暴力――花束みたいな恋をした感想

(本稿は『花束みたいな恋をした』のネタバレを含みませんが、私の感想を読んで変な先入観を持つ前に観た方が良いと思います。)

美しすぎるものは暴力だというのが『花束みたいな恋をした』の感想だ。
劇場を出てしばらく放心した後、スマホを立ち上げてはてブを眺めたのだが、映画の美しさに比してあまりに薄汚れているので見るに耐えず、ブラウザを閉じてしまった。

本作は大学生の絹と麦が出会って別れるまでの四年間を描いた映画だ。終電を逃したことで出会った二人は失った自分の半身を取り戻したかのように恋に落ちる。
二人の恋より美しい恋をした経験のある観客は存在しない。本作を観た全世界の人は今後どんな経験をしても、絹と麦の恋よりは美しくないという劣等感にさいなまれるだろう。私の場合、絹役の有村架純さんがもともと好きな上に、役作りでちょっとふっくらしていてタイプど真ん中すぎるのでよりダメージがでかい。

さらに、私は小説を書くので、クリエイターとしても打ちのめされた。私は感情の機微を描くのが本当に苦手で、物語構造を研究して必死にカバーしてきた。だが、こんな完璧な作品を見せられたら、私の努力など全くの張子の虎であることが明らかになってしまった。私が一生かけて頑張っても、これほど見事な細部を作り出すことはできない。

本作は観客に対する配慮がない。土井裕泰監督と脚本の坂元裕二氏は完璧に美しい作品を作れて満足だろうが、観客はこんなものを見せられてどうしろと言うのか。
古来、内裏を建てる際には完璧にならないよう一本だけ木を天地逆にした逆柱を入れる習わしがあった。本作も観客のことを思うなら、完璧じゃない所を作って観客に逃げ道を用意しておくべきではないか。制作陣に人の心はないのか!

だが、荒れ狂っていた私は、気づいてしまった。本作は冒頭部分で絹と麦が別れることが示される。もし、最終的に別れるということを知らずに見ていたら、別れのシーンのショックの大きさでしばらく立ち直れなかっただろう。
監督はちゃんと観客が致死性のダメージを食らわないよう配慮してくれていた。そのことに気づいたので、私の怒りも収まったのだった。

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