東雲製作所

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乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった...感想~ハリウッド式作劇法へのアンチテーゼ

(本稿は『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった...』のネタバレを含みます。)

一視聴者としてはとても面白かったが、一クリエイターとしては敗北感で打ちのめされた、というのが『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった...』(原作:山口悟、監督:井上圭介、アニメーション製作:SILVERLIN、以下はめふら)の感想だ。

私は小説を書いている。小説を書く際には、ハリウッド式の作劇法を使って綿密にプロットを組む。第二幕で持ち上げられてから一気に叩き落とされた主人公は、自分の内的課題を突きつけられて精神的危機を迎えるが、そこで変わることを決意して再起し、敵との最終決戦に……という風に頑張ってストーリーを練り込んでいる。
一方、はめふらのストーリー構造は、毎回、アイデンティティ・クライシスに陥っているキャラがいて、カタリナに肯定されて救われるだけというシンプルなものだ。
苦しんでいたキャラクターが受容される展開は、多くの視聴者の琴線をくすぐる一番美味しい所だ。私がどうやって起伏をつけて一番美味しい所を盛り上げるか苦労していたら、一番美味しい所だけを抜き出して並べた方が面白かった。今まで頑張ってストーリーを練り込んできたのは何だったのか。

はめふらはハリウッド式作劇法をことごとく否定している。
第一に敵役がいない。
ハリウッド式の作劇法では、敵役が登場する。敵役は、主人公が目的を達成するのを妨げることで物語に起伏をつけるため、欠くべからざる存在だと思われていた。
はめふらでは敵役を務めるはずのカタリナが良い奴なので、敵役が存在しない。だが面白い。物語に敵役が必要だというのは単なる思い込みで、なくても良かったのだ。

第二に主人公がすぐ目的を達成する。
ハリウッド式の作劇法では、主人公がなかなか目的を達成しないよう、門番が立ちふさがったり、敵役が妨害したりすることで物語に起伏をつける。
はめふらではカタリナを妨害する奴がいないので、やすやすと目的が達成される。その代わり、トラウマを抱えたキャラが沢山登場し、小さな物語が繰り返される。
ハリウッド式作劇法がコース料理なら、はめふらは串団子だ。コース料理の方が美味いと思い込んでいたら、素材と調理がしっかりしていれば串団子も充分美味しかったのだ。

hamehura-anime.com


私は鞄の中に小説を入れて持ち歩いているが、たいてい小説を読む前にスマホでスマートニュースを見てしまう。ウェブ記事は日常の言葉で書かれているのですっと読み始められる。言わば地上からすぐ中に入れる感じだ。
一方、小説は内部の圧力を上げているような感じで、読み始めるのにちょっとしたハードルがある。作品内に入るのに階段を上がっていかねばならないような感じなのだ。

たいていのフィクションは日常で始まり日常で終わる。これは物語に出入りする地点は地上であることが望ましいからだ。
だが、読者は必ずしも地上で物語から乗り降りできるわけではない。ジェットコースターのような小説を読んでいて、物語が急降下し始めた瞬間に電車が目的地についたら、読者はそこで本を閉じねばならない。もう一度読み始める時は、読者は元の地点までえっちらおっちら非常階段を上がっていかねばならない。これはハードルが高い。

ハリウッド式の作劇法は映画のために最適化されている。映画とそれ以外のフィクションに最適な作劇法は違うのではないか。

映画では視聴者は2時間ぶっ続けで観ることを強いられる。従って、地上で観客を乗せた後は、ジェットコースターのように観客をおもいっきり振り回すことができる。その間、観客を地上に下ろす必要はない。

一方、テレビアニメやドラマは一話毎に観る。各話毎に地上で始まって地上で終わった方が見やすい。最近は娯楽が多様化しているので、途中から見たり、すきま時間にちょこちょこ見たりする視聴者も多い。そうなると、一クールかけてジェットコースターのように物語を盛り上げるより、屋台村のように一話一話を美味しくもてなしていった方が良い。

はめふらは忙しい現代の視聴者に最適化したアニメなのだ。