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現代の福音書――アズミ・ハルコは行方不明感想

(本稿は『アズミ・ハルコは行方不明』の抽象的ネタバレを含みます。)

 『アズミ・ハルコは行方不明』(山内マリコ著、幻冬舎)読了。こんな小説は読んだことがない。
 普通の小説は何頁か読めばある程度先の展開が分かる。ミステリーなら謎の解明、恋愛小説なら恋が成就するか、成長小説なら主人公が課題をクリアするかが話の中心にあり、途中で意外な展開になっても、最終的には中心命題に話が戻ってくる。そうでないと話が散漫になって読者の興味を惹きつけておけないからだ。
 しかし本作では全く先の展開が読めないばかりか、何が中心命題なのかもなかなか分からない。本作の主要登場人物は木南愛菜、富樫ユキオ、三橋学、安曇春子という四人の若者だが、四人が四人共、将来の展望が全くなく、自分が何を欲しているかも分かっていないからだ。
 先の展開を予想して楽しむという要素は小説の面白さの内、結構大きなウェイトを占めている。ストーリーがないような前衛小説がたいていつまらないのは、先の展開が予想できないからだ。だが、本作は地方都市の若者の様子を描いた細部が抜群に面白いので、展開予想が出来ないにも関わらず面白い。これは並大抵のことではない。

 普通の物語では、目的を達成するため、主人公が努力する。もしくは恵まれた資質によって、努力しなくても目的を達成する。だが、承認欲求が満たされず、自殺寸前まで追い詰められているような人にとっては、どちらの物語も救いにはならない。追い詰められた人は頑張れと言われてもさらに追い詰められるだけだし、資質に恵まれた人の話は他人ごとにしか聞こえないからだ。
 一方、本作では偶然によって計らわれたように話が進む。冒頭でこんな小説は読んだことがないと書いたが、小説以外なら似た話が存在する。それは宗教の聖典だ。ぎりぎりまで追い詰められた人を救うことができるのは本人の努力や資質ではなく、他者からの救いの手しかない。
 宗教の開祖と山内マリコ氏は考えぬいた末、同じ結論に辿り着いた。『アズミ・ハルコは行方不明』は現代の福音書なのだ。

 

アズミ・ハルコは行方不明 (幻冬舎文庫)

アズミ・ハルコは行方不明 (幻冬舎文庫)