東雲製作所

東雲長閑(しののめのどか)のよろず評論サイトです。

シャドーハウス感想――逆転・隠喩・二枚のカード

(本稿は『シャドーハウス』の抽象的なネタバレを含みます。)
『シャドーハウス』(原作:ソウマトウ、監督:大橋一輝、アニメーション制作:CloverWorks)はユニークな設定のアニメだ。
洋館「シャドーハウス」では貴族のような生活を送る顔のない黒づくめの一族「シャドー」とそれに使える「生き人形」がペアとなって暮らしている。生き人形のエミリコと主のケイトは「お披露目」の試練に挑むが、その過程で徐々にシャドーハウスの秘密が明らかになっていく。

本作は設定が論理的に構成されているので創作上学ぶべきことが多い。主に学んだのは下記の三点だ。


1)構造をひっくり返すと物語が生まれやすくなる
物語構造論で「シャドー」とは主人公と逆方向に自己実現した者を表す。スターウォーズで言えばルーク・スカイウォーカーが主人公で、ダース・ベイダーがシャドーだ。
通常、シャドーは抽象的な意味で主人公の影なのだが、本作ではシャドーを文字通り影にしている。これは盲点になっていた設定で、この手があったか、と膝を打った。

「シャドーハウス」はさらに捻って、シャドーを主人、主人公を従者にしている。
設定をひっくり返したことでひっくり返した砂時計のように物語に動きが発生している。
政情が安定している国を舞台にするより、クーデターで反乱軍が政権を奪取した国を舞台にした方が物語を作りやすい。
人間に影の一族が仕えているのだと自然な設定なので、物語構造として安定している。本作のように影の一族を主にすると、不安定になるので、物語が発生しやすくなるのだ。


2)現実世界とからめた設定にすることで、作品世界が自分事になる。
斬新な設定は視聴者に新鮮な驚きを与えるが、単に斬新なだけだと、視聴者に自分とは関係のない世界の出来事だと思われてしまう。

本作にはシャドーが悪感情を抱くとすすが出て、生き人形がすすを大量に摂取するとすす病になるという設定がある。これはネットでヘイト投稿ばかり見ていると心を病んでしまうことの隠喩ともとれる。
すす病になると自分の頭で考えられなくなり、「全てはシャドー家のために」と繰り返すようになるが、これも一つのイデオロギーに囚われて物の見方が一面的になってしまうことの隠喩に見える。

現実世界を想起させるような設定を取り入れることで、視聴者が物語を自分事として捉えるようになり、物語も深みを増すのだ。


3)キャラを魅力的にする二大要素は表情と他者を想う心
エミリコのくるくる変わる表情はそれだけで魅力的だ。
フィクションは心の動きを描くものだ。豊かな表情は一瞬でキャラクターの心の動きを視聴者に伝えてくれる。

小説は表情を視覚的に伝えることができない。表情を文章で描写することはできるが、「彼女は花が咲いたような笑みを浮かべた。」などと書いても、視覚的に笑顔を見た時に受ける魅力には遠く及ばない。
人間は人間の表情だけやたら解像度が高く見分ける能力を持っている。表情を視覚的に伝えられないというのは小説の大きな欠点だ。

本作のシャドーは顔がないという小説と同様のハンデを負っているにも関わらず、キャラを立てることに成功している。
本作に登場するケイトやジョンが顔がないにも関わらず魅力的なのは、「他者を想う心」を持っているからだろう。
人間は誰しも他者から優しくされたいという欲求を持っているから、他人への思いやりを持ったキャラを好ましく感じる。
キャラを魅力的にする要素は色々あるが、「表情」と「他者を想う心」こそ最強のカードなのだ。

漫画・アニメ・映画・ドラマなどの視覚メディアは、表情が魅力的であれば、それだけでキャラを立てることができる。
小説には最強の二枚のうち一枚を使えないというハンデがある。「他者を想う心」が一切ない独善的なキャラクターを魅力的に描くのは難しいのではないだろうか。

shadowshouse-anime.com