(本稿は『負けヒロインが多すぎる!』のネタバレを含みます。)
『負けヒロインが多すぎる!』(原作:雨森たきび、監督:北村翔太郎)が面白い。
負けヒロインにフォーカスすることで、あらゆるパターンをやりつくしたと思われていたラブコメに新機軸を打ち出すことに成功している。
ラブコメにはヒーローとヒロインが相思相愛にもかかわらず、なぜなかなか付き合わないのかという問題がつきものだ。普通はヒーローが鈍感だからとか勇気がないからという理由が提示されるが、ヒーローの魅力を減じてしまうという問題点がある。
本作は「ヒロインがまだ振られた相手のことを好きだから」というヒーローと恋愛関係にならないという説得力のある理由を提示することに成功している。
本作の大きな魅力はどんどん話が進むことだ。普通のラブコメなら八奈見の借金が延々となくならない所だが、本作は4話であっさり0になったので驚いた。ヒロイン達が同じところに留まらず、どんどん前に進んでいくのが清々しくもまぶしい。
鮮やかな演出も印象深い。花火の激しい燃焼と鎮火で感情の高揚と落ち込みを表現したり、時計の長針と短針で一瞬しか一緒にいられない二人を暗示したりといった演出はアニメというメディア特性を最大限に生かしている。
本稿では本作の物語構造に注目して論じたい。『負けヒロインが多すぎる!』は主人公=勇者という基本の物語構造を大きく逸脱している。
1)温水はライナスの毛布
本作の主人公温水はライナスの毛布(移行対象)だ。ライナスの毛布とは成長の際に不安に苦しんでいるキャラクターに一時的に寄り添う存在のことで、安心毛布とも呼ばれる。
代表的なキャラクターに『となりのトトロ』のトトロや『千と千尋の神隠し』のカオナシ、『キルラキル』の鮮血がいる。『杖と剣のウィストリア』のゴーグルのようにキャラクターではなくアイテムがライナスの毛布の役割を果たす場合もある。
ライナスの毛布の特徴は主人公が辛い時にただ寄り添って、主人公が立ち上がるための心の支えになるだけで、物事を変革するのはあくまで主人公であるということだ。
温水は負けヒロインにただ寄り添っているだけで事態を変革しない。主人公は課題を達成して世界を変革するものであるという思い込みがあったので、ライナスの毛布を主人公にするという発想がなかった。コロンブスの卵だ。
八奈見、檸檬、小鞠の恋愛ミッションに関してはライナスの毛布に徹していた温水だが、小鞠の部長ミッションでは小鞠の課題を代行するという働きを見せた。これは完全にライナスの毛布としての役割を逸脱している。
温水と小鞠は水道水愛好家仲間だし非常にお似合いであるように見えるが、唯一ライナスの毛布としての役割を破棄して主体的に動いた相手であることもお似合いであるという印象を強めている。ライナスの毛布と主人公は主人公が成長した後は別れなくてはならないが、ライナスの毛布でなくなればその限りではないからだ。
2)八奈見は主人公勇者
10話で小鞠は温水に「私、部長のこと好きになって良かった」と告げる。これは本作で一番心打たれた。恋愛で勝った者は恋人を得るが、負けた者も何も得ていないのではなく、経験を得ているのだと気づかされた。
恋人と長く一緒にいられることは素晴らしいけれど、好きな人と短い時間でも心を通じ合わせることが出来たならそれも素晴らしい体験であり、踏み出さなければ得られなかったものなのだ。
自分のことを振り返っても、『姫様"拷問"の時間です拷問官別拷問成功率まとめ』に作者のひらけい先生からXで「面白い」というリプを頂けたことは大きな心の支えになっている。敬愛する人からの承認は人生の財産になるのだ。
本作の檸檬と小鞠は想い人に気持ちを伝えて想い人からの承認という報酬を獲得している。
一方、八奈見はまだ報酬を獲得していない。八奈見は残念さに拍車がかかり、ラッコだとか4Kテレビだとか散々な言われようだが、物語構造上は主人公勇者なのだ。なぜなら、なかなかクエストを達成できないことが、主人公勇者の条件だからだ。
主人公勇者がクエストを達成して報酬を獲得したら、物語が終わってしまう。性格が残念で高望みなせいで恋愛においてなかなか満足できる報酬を獲得できない八奈見こそ、主人公勇者に相応しいのだ。