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他者の色がないと気づけない――色づく世界の明日から感想

(本稿は『色づく世界の明日から』の抽象的ネタバレを含みます。)

 『色づく世界の明日から』(篠原俊哉監督)のヒロイン月白瞳美が色を見ることができないという設定には舌を巻いた。テーマ的にも表現的にも見事な設定だ。
 第一に、瞳美が世界を活き活きと捉えられずにいるということの象徴としてこの上ない。花火がモノクロで描かれる冒頭のシーンから、視聴者にも瞳美の日々がどれ程味気ないか、心をどれ程冷たく閉ざしているかまざまざと伝わってくる。
 第二に、アニメというメディア特性を最大限活かしている。モノクロとカラーの切り替えで視聴者の心を動かす手法は小説や漫画でやるのは難しい。実写ならできることはできるが、アニメーターが色づけたアニメでやることで感動が増している。さらに言うと美しい映像表現に定評があるP.A.WORKSだからこそという所もある。どうすれば自分たちの強みを活かせるのか考えぬかれた設定だ。

 本作は自分の殻に閉じこもった瞳美に、13話かけて外に出ておいでよ、と呼びかける話だ。
 私はぼっちが仲間色に染まる作品を見るとたいてい「うるせえ! ぼっちだって別に良いだろ。価値観を押し付けるんじゃねえ!」と不快になるのだが、本作は瞳美の心がほぐれていく様がものすごく丁寧に描かれているので、仲間を想いあう気持ちに何度もボロボロ泣いてしまった。
 本作に悪い人は出てこないし、人を幸せにするささやかな魔法というコンセプトが象徴するように、とても優しい世界観だ。
 だが、根本の所では結構厳しいことを問うている。もし自分の殻に閉じこもって誰にも良い影響を与えることがないまま死んだなら、何のために生まれてきたのか。

 第10話に唯翔が幼い瞳美に会う重要なシーンがある。そこで瞳美は自分とお母さんの間が川で隔てられている絵を描いている。
 唯翔が船や鳥や虹の橋やで川を超えられると提示するが、瞳美に退けられてしまう。瞳美は退けながらも、何故超えられないのか答えられない。
 何故、船や鳥や虹の橋では川を超えられないのか。それは自分と他者が川によって隔てられていると考えているのが自分自身だからだ。自ら川を超える意志を持たない内は、川に橋が掛かっていても超えることはできない。
 本作では全編に渡って唯翔が描いた金色の魚が繰り返し登場し、世界中を自由自在に泳ぎまわる。魚にとって川は自分と他者を隔てるものではなく、通路だ。他者との違いを乗り越えるためには、他者との間にあるものが壁ではなくつながりだと自らの意識を変える必要があったのだ。

 色とは多様性の象徴だ。瞳美がモノクロでしか世界をみることができなかったのは、自分の価値観でしか世界を見られないことを象徴している。瞳美は魔法写真美術部の他者達と交流することで、徐々に色を取り戻していく。
 魔法写真美術部で瞳美は深く感情をぶつけ合った唯翔、琥珀、あさぎ、将と比べ、胡桃や千草との交流は薄い。だが、あさぎのように性格的に近しい他者だけでなく、遠い他者とも交流するために、胡桃や千草の存在が必要なのだ。

 世界に色を見出すのはあくまで自分だ。だが、モノクロの部屋に住むペンギンが色を知らないように、他者という色がなければ色に気づくことができないのだ。

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