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メイドインアビス4,5巻感想――愛の物語

(本稿はメイドインアビス4,5巻のネタバレを含みます。)

メイドインアビス』(つくしあきひと著、竹書房)は探窟家の子供リコと機械人形のレグがアビスという縦穴を底へ向かって降りていく物語だ。リコとレグは黎明卿ボンボルドの元から逃げてきたナナチを仲間に加え、リコの母親が待つ下層を目指す。
4,5巻はリコ達がボンボルドとその娘プルシュカと邂逅する話で最近映画化された。

ボンボルドは一筋縄ではいかないキャラクターだ。
貧民窟の子供を連れてきて人体実験を行っている非道な奴である一方、プルシュカにとっては愛情溢れる最高の父親でもある。
これだけなら、仕事とプライベートの顔が違う二面性を持ったキャラクターとも言えるが、ボンボルドの場合実験対象の子供に対しても愛情を注いでいる節がある。
ボンボルドは子供たちを犠牲にして、自分がアビスの呪いから逃れるための装置を開発している。
最初は他人を犠牲にして自分だけを大事にするエゴイストなのかと思っていたが、読み進めていくと、自分のことも犠牲にしていることが判明し、さらに訳が分からなくなる。

ボンボルドが捉えがたいのは我々が持つ二つの常識が邪魔をしているからだ。愛している相手は大切にするという常識と愛とは良いものであるという常識だ。


1.愛している相手は大切にするという常識
普通の人は愛している人を他人より優遇する。誰だって沈みゆく船で誰か一人しか助けられないなら、知らない他人より愛する我が子を助けるだろう。
従って、ボンボルドが愛娘に酷いことをするのを見ると、娘を愛していなかったのだ、と思ってしまう。だがそうではない。
ボンボルドは愛と判断を完全に切り分けているのだ。

ボンボルドは目的のためにはどうするのが最善かだけを考えており、愛する人はおろか自分ですら平気で犠牲にする。
「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である」という言葉があるが、ボンボルドにはこの定義がぴったり当てはまる。
普通の人間はどれほど客観的に行動しようとしても主観に左右されてしまうものだが、ボンボルドは完全に主観を排除して判断することができる。極めて理性的、合理的だが、主観とは人間そのものだから、完全に主観を排除してしまったら、そこに人間は残らない。
ボンボルドはアビスから精神性を生物ではないと判断されてしまうと語っていたが、あまりに客観的で合理的すぎると狂人どころか人間ですらなくなってしまうのかも知れない。


2.愛とは良いものであるという常識
多くの人は愛を良いものであると考えている。愛情深い人と言うと、優しい善人を想像する。
だが、仏教では愛は執着の一種であり捨て去るべきものとされている。実際、愛が原因でストーカー殺人が起きたりする。愛は相手に対する強い執着・興味なので、良い方に作用すれば人を幸せにするが、悪い方に作用すれば不幸にする。
愛には良い面と悪い面がある。本作では愛の良い面を祝福、悪い面を呪いと呼んでいる。

ストーカー殺人を起こすような奴が抱いている感情は愛ではないと言う人もいる。だが、それは単なる定義の問題だ。
メイドインアビスにおける愛(広義の愛)は良い面と悪い面の全てを内包する。一方、愛とは素晴らしいものだと考える人は、広義の愛の中の良い面のみを愛であると定義している。だが、良い面と悪い面はそんなきっちり分けられるものだろうか。

好奇心は対象に対する強い興味だから広い意味では愛と言える。
好奇心や探求心は良いものだと思われているが、ボンボルドを見ていると、良いものであるのは倫理観の枠内で発揮されている時だけであることが良く分かる。
もしボンボルドが好奇心をセーブできていれば、プルシュカが夢見た幸せな結末を迎えることもできたはずだ。ボンボルドの好奇心は周囲から見れば呪いに他ならない。

作者のつくしあきひと氏はロリコンショタコンだと思われるが、普通の異性愛者というマジョリティーだったら愛とは祝福であり呪いでもあるというテーマは思いつかなかったかもしれない。
他者から祝福を受ける同年代相手の異性愛と違って、ロリコンショタコンが祝福されることはない。決して叶うことのない愛を抱えていなければ、愛とは呪いでもあるということには気づくまい。
ロリコンショタコンは子供を害する悪しきものだと思われているが、芸術に昇華させれば『メイドインアビス』のような傑作を生み出す原動力にもなるのだ。

ボンボルドはナナチに「どうか君たちの旅路に溢れんばかりの呪いと祝福を」と告げる。
これを読んだ時、最初は嫌がらせで言っているのかと思った。なぜ旅路に呪いが必要なのか。祝福だけで良いだろう。
だが、何度も読み返した結果、ボンボルドは本心からナナチに溢れんばかりの呪いと祝福が降りかかることを願っているのではないかと思い至った。
ボンボルドは善悪の彼岸にいるキャラクターだ。彼の行動を善意、悪意で考えると読み違える。
ボンボルドは呪いと祝福の両方が揃ってこそ完全な愛だと思っている節がある。プルシュカは生を呪う苦しみの子だから祝福だけを与えた。そこには善意も悪意もない。だが、プルシュカやナナチに強い関心を抱いていて接してきたことは間違いない。

ボンボルドは倫理観を欠いた非道な奴だが、広義の意味では非常に愛情深いキャラクターなのだ。


3.アビスの呪いと祝福
メイドインアビスの世界ではアビスに入った探窟家が上に移動すると上昇負荷がかかって様々な障害を引き起こす。
これはアビスが愛する探窟家を離すまいとしているように見える。別れを告げた恋人に対し、執着心から暴力を振るうのとそっくりだ。
だが、ボンボルドによるとアビスは上昇負荷という『呪い』だけでなく『祝福』も与えているのだと言う。
このことは愛が独占欲によって時に相手を傷つける一方で、心の安らぎも与えることのメタファーになっている。

メイドインアビスは愛の物語なのだ。

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