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天才とは量をこなせること――売れる作家の全技術感想

『小説講座 売れる作家の全技術 デビューだけで満足してはいけない』(角川書店は『新宿鮫』などで知られる大沢在昌氏による小説の書き方本だ。天才が書いた本なので天才にしか役に立たない。

いや、役に立たないは言い過ぎで、凡才にも部分的には役に立つ。キャラクター造形が卓越した作家なだけあって、キャラクターに関するアドバイスにはなるほどと唸るものが多い。
・「善人が実は悪人」というのは物語を安っぽくしてしまう。「悪人が実は善人」というほうが物語に深みを与えるし、読者にも濃い印象を残ることができます。
・意外性をうまく使えば、スパイスのようにキャラクターを際立たせるという効果が期待できます。
・人物ごとにしゃべりそうなセリフをどんどん書き出していくと、やがて「この場面で、この人だったらこれしか言わない」という決定的なセリフが必ず出てきます。
・主人公や悪役やヒロインが弱いキャラクターの小説はダメです。メインの三人プラス二人ぐらいは、考えぬいた強いキャラクターを作ってください。

本書で特に感心したのは「答えを出さないで作った設問は、自分で考えもしなかったような答えが出てくるため、読者を驚かせる力を持つ。」という指摘だ。だが、答えをひねり出す方法は、「自分を追い詰めれば、アイデアは出てくるものです。もし出てこなかったら? そのときは小説を書く才能が自分にはないと思って諦めるしかありません。」としか書いてない。
大沢氏は根本の部分で、面白い物語を作る方法は教えられないという立場なのだ。

私はほとんどプロットを考えず、登場人物のキャラクターと大まかな通過点を四つくらい決めたら、書き始めてしまいます。登場人物のキャラクターさえきちっと固まっていれば、通過点と通過点の間の物語は彼らが勝手に動いて膨らましてくれるし、物語を押し進めてくれるからです。
そんなことができるような天才なら、本書など読まずとも作家になれるだろう。

本書を読んで、長嶋茂雄氏が松井秀喜氏や掛布雅之氏のスイング音を電話で聞いて「よし! いまの音だ!」と言って指導したというエピソードを想起した。松井氏や掛布氏が天才だから伝わったが、並の選手ではダメだろう。
天才は凡人が理論に基づいて行うことを感覚的に行う。天才のアドバイスは天才にしか伝わらないのだ。

大沢氏同様、プロットを組まずに書く作家に宮部みゆき氏や新井素子氏がいる。
興味深いのはプロットを組まずに書く天才型の作家は大量に読んでいるということだ。宮部氏や新井氏の乱読は有名だが、大沢氏も作家になるまで毎年五〇〇から一〇〇〇冊読んだと語っている。
大量に読むことで面白い小説のパターンが自家薬籠中の物になるので、プロットを組まなくてもその場その場で面白い展開を生み出せるようになるのではないか。
大塚英志氏が作家には母語として物語を操るタイプと外国語として物語の技術を習得したタイプがいると指摘されていたが、大量に読むことで母語のように書くことができるようになるのだろう。

私は今まで秀才は天才の下位互換だと思っていたが、アプローチの仕方が違うだけなのではないかと考えを改めた。
天才は量をこなすことが苦にならないので、量をこなして力技でねじ伏せる。
秀才はもっと楽をしたいので、分析をしてショートカットする方法を考える。
どちらが良いというわけではなく、その人に合った方法を選べば良いのではないだろうか。