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力の及ぶ限りの努力――職業としての小説家感想

(本稿は『職業としての小説家』の内容に触れています。)

 『職業としての小説家』(村上春樹著、スイッチ・パブリッシング)は村上氏が創作について語った本だ。通常の小説の書き方本には書いていない、感覚にかんする具体的な心構えが記されていて、参考になる。

 「有効に組み合わされた脈絡のない記憶」は、それ自体の直感を持ち、予見性を持つようになります。そしてそれこそが正しい物語の動力となるべきものです。

 長編小説は文字通り「長い話」なので、隅々まできりきりとねじを締めてしまったら、読者の息が詰まります。ところどころで文章を緩ませることも大事です。

 読んだ人がある部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題が含まれていることが多いようです。つまりその部分で小説の流れが、多かれ少なかれつっかえているということです。

といった観点は私が今まで持っていなかったもので、目が啓かれる思いだ。

 本書を読んで強く感じたのが、村上氏は努力の人であるということだ。
 村上氏は毎日原稿用紙十枚の原稿を半年間書き続け、『海辺のカフカ』の第一稿を完成させたのだという。これは並大抵のことではない。私も休日は一日十枚書くことを目標としているが、しばしば怠けてしまって達成できない。土日の二日間ですら達成できないことを半年も続けるなんて想像を絶する。締め切り前に一日何十枚も書く作家はいるが、そういう作家も締め切りが終わったら休む。半年間ずっと同じペースで書き続けられる作家など村上氏の他にいないのではないか。
 また、村上氏はプロットを作らず、いきなり書き始めるのだという。プロットを作らないと初稿がしっちゃかめっちゃかになって書き直しが大変だが、村上氏はその労を厭わない。

 氏の作品に対する姿勢は「僕はそれらの作品を書くにあたって惜しみなく時間をかけたし、カーヴァーの言葉を借りれば、「力の及ぶ限りにおいて最良のもの」を書くべく努力した」という言葉に凝縮されている。大抵の作家は締め切りに追われて書いているので、自分の作品が「力の及ぶ限りにおいて最良のもの」であると胸を張ることはできまい。
 常に「力の及ぶ限りにおいて最良のもの」を書くべく努力している作家と、八割の出来でお茶を濁している作家がいたら、数十年後には著しい力量差が生じているだろうことは想像に難くない。

 村上氏が力の及ぶ限り努力しているのは創作そのものだけではない。
 「村上春樹氏と同程度の力を持った日本人作家は何人もいるのに、何故村上氏が飛び抜けて海外で読まれているのか? 」という謎はしばしば話題になる。この問いに対し、評論家は内容面に着目し「構造しかない」からだなどと説明することが多い。だが、本書を読むと、一番の原因は村上氏が頑張ってニューヨークのエージェントに売り込んだからだということが分かる。
 村上氏は最初に英訳版を出した講談社インターナショナルがアメリカでは新参出版社であるため営業的に成功していないとみるや、「自分で翻訳者を見つけて個人的に翻訳してもらい、その翻訳を自分でチェックし、その英訳された原稿をエージェントに持ち込み、出版社に売ってもらうという方法」をとったのだという。要は日本の力がある作家の中で、そこまでやっているのが村上氏しかいないから、村上氏が突出して売れているのである。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)