読書猿は個人サイトなのに次々と有用な記事を提供してくれる素晴らしいサイトだが、中でも
「カフカ『変身』はラノベよりもずっと読みやすい←日本語難易度推定をやってみた」http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-601.html
は非常に面白かった。文章の難易度とは何かを考えさせられる。
様々な文章の難易度推定を実施し、
カフカ(川崎芳隆訳) 変身
カフカ『変身』の難易度(リーダビリティ)は(内容はともかく)、見ての通り大抵のラノベ(T13スケール=8〜9:中学2〜3年レベル)よりも、はるかにやさしく読みやすい児童文学レベル。
宮沢賢治 やまなし
この「訳の分からない」短篇が(クラムボンが何なのか未だに分からない→諸説検討しているサイト)、今回調べた中では、ぶっちぎりに読みやすい難易度(リーダビリティ)T13スケール=4、小学4年レベルだった。恐るべし賢治。
といった意外な結果を紹介している。
中の人のくるぶし氏も示唆しているように、実際の難易度(リーダビリティ)と語彙から判定された難易度(リーダビリティ)は一致していない。何故一致しないのだろうか。
まず考えられるのが、くるぶし氏も指摘しているように、語彙の難しさとは別に内容の難しさがあるからだ。
例えば「学校は社会の縮図だ。」という文は、「学校はにんじんだ。」という文より語彙的には難しいが、内容は理解しやすい。前者は常識的な、読者にとって既知のことを述べているのに対し、後者は読者が聞いたこともない、異様なことを述べているからだ。(私が適当にでっち上げたため)。
文学では、前者のような表現を、「手垢にまみれたもの」として退け、後者のような表現を(適当なでっち上げではなく)することが求められる。だがそれはリーダビリティを下げているということであり、頑張って読者の数を減らしているということになる。まあ、ここぞという場面でリーダビリティを下げて、読者を立ち止まらせるのは重要なテクニックだとは思うのだが。
もう一つ考えられるのが、語彙が簡単なほどリーダビリティが高いのではなく、自分の語彙レベルに適した語彙レベルの文章が最も読みやすいのではないか、ということだ。
例えば「脱オタなんかしたら、アイデンティティを失ってしまうだろ!」という文を、より平易な語彙で書くと、「アニメ、マンガ、ゲームなどをよく見ていたのをやめて、代わりにおしゃれな格好をしたりしたら、自分が自分だという心のよりどころを失ってしまうだろ!」とでもなるのだろうが、『脱オタ』や『アイデンティティ』を知っている読者にとってはかえってリーダビリティは下がっている。つまり、難しい語彙を平易な語彙で置き換えると、長くなったり、意味がぼやけたりするので、リーダビリティが下がってしまうのだ。
内容自体が平易で語彙も平易な文であっても、必ずしもリーダビリティは高くならない。人は普段読み慣れているような文を読みやすいと感じるので、急に語彙が易しくなると、慣れるのに時間がかかるからだ。
従って、中学3年レベルの語彙力を持っている人にとっては、必ずしも「小学6年レベルのカフカの『変身』」が「中学2〜3年レベルの大抵のラノベ」よりも読みやすいわけではない。
森見登美彦氏が大学生に人気なのも、使われている語彙レベルが大学生にちょうどよく、読みやすいのが一因なのではないだろうか。