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THE FIRST SLAM DUNK感想

(本稿は『THE FIRST SLAM DUNK』の結末までのあからさまなネタバレを含みます。)

2月中旬に『THE FIRST SLAM DUNK』(井上雅彦原作、監督、脚本)を観た。
とにかくクライマックスのカタルシスがすさまじい。クライマックスの気持ちよさで言えば、過去見た映画の中で随一だ。
作中では山王の選手が湘北のことを「何てしぶとい奴らだ」と評していたが、私は湘北が勝つと知っていたので、むしろ山王のしぶとさに驚いた。湘北逆襲の流れになってから何度も巻き返してくる強さには舌を巻いた。特に、ラスト十秒ぐらいでエース沢北がシュートを決めて逆転した所では、思わず「うおっ!」と声が漏れてしまった。どんな題材でも、強者と強者のぎりぎりのせめぎ合いには引きこまれるということを実感した。

本作は宮城リョータが主人公であり、飄々としている彼にこんな重い過去があったとは驚きである。白熱の試合シーンと静かな回想シーンが交互に語られることで、互いに互いを際立たせていた。
唯一残念なのは宮城視点なので、宮城本人に加え三井と赤木の過去は掘り下げられているのだが、宮城との接点が少ない桜木と流川の過去はあまり描かれないことだ。この試合で一番エモいのは犬猿の仲である桜木と流川が最後の最後でついに桜木→流川、流川→桜木というパスをしあって試合を決める所だ。宮城視点にこだわらず、二人のことをもっと掘り下げておけば、クライマックスの感動がさらに増したのではないか。

終盤の勝負所で、バスケでは20点差を逆転するのは難しいと言う仲間達に対し、桜木が「おめーらバスケかぶれの常識はオレには通用しねえ!! シロートだからよ!!」と言い放つ。この言葉は本作を象徴している。
本作は皆の思い込み、こだわりが消え去っていく様を描いている。宮城の中にあった兄には勝てないという思い込み、赤木の自分がみんなを引っ張らねばならないというこだわり、三井の体力的に限界でもうシュートは打てないという思い込み、そして桜木と流川の互いにパスは出さないというこだわりが氷解し、純粋に勝利だけを目指すという境地に達したから、山王に勝つことができたのだ。
山王の勝利を確信し、「良い試合だったな」などと言っていた観客が熱狂的に湘北を応援しだしたのも、観客の中にあった湘北は王者山王には勝てないという思い込みが取り払われたからだ。最終的には沢北達山王メンバーの自分達は絶対に負けないという思い込みも打ち砕かれ、さらに成長することができた。作中、全ての人の思い込み、こだわりが取り払われたのだ。

本作のクライマックスでは画面から色が消え去り、白黒の線画だけになるという演出がなされている。これは選手達が深く集中してゾーンに入ったことを表しているのだろう。
ゾーンに入ることは瞑想と似ている。どちらも深い集中によって意識から憂いを消し去った状態だからだ。生老病死の憂いに心乱されぬことを悟りと定義するなら、スポーツ選手がゾーンに入っている間は悟っていると言える。

SLAM DUNKはヤンキーが美少女と付き合いたいが故にバスケを始めるという煩悩の塊のような導入から始まるが、最終的にこだわりを捨てて一意専心せよという仏教の教えのような境地に達するのが興味深い。

 

入場者特典で控え選手ポストカードをもらった。渋い人選すぎる。もっと早めに観にいけば、レギュラー選手ポストカードが貰えたようだ。

 

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