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鎌倉殿の13人第15回感想

(本稿は『鎌倉殿の13人』第15回のあからさまなネタバレを含みます。)

『鎌倉殿の13人』(脚本:三谷幸喜)の第15回「足固めの儀式」は話題になった。
佐藤浩市氏を始めとした俳優陣の演技や緊迫感のある演出の素晴らしさなどについてはすでに多くの感想や評論が書かれている。
本稿では視聴者の感情を揺さぶる脚本上の技術に絞って論じたい。

 

1.武衛という完璧な伏線
私が最も感心したのは、「武衛」という伏線の見事さだ。 
良い伏線には二つの条件がある。「印象に残るが伏線だと気づかれない」ことと「象徴的意味がある」ことだ。武衛の伏線は両方の条件を満たしている。

1)印象に残るが伏線だと気づかれない。
伏線だろうなと思っていたものが伏線でも視聴者の心は動かない。伏線だとは思っていないことが伏線だと「伏線だったのか!」と感銘を受ける。
見え見えの伏線ではダメだが、あまりに地味な伏線だと視聴者に気付いて貰えない。従って、良い伏線を張るためには、伏線らしくはないが、印象的なエピソードにしなくてはならない。

第8回で上総介が頼朝を武衛と呼び始めるエピソードがある。
上総介が頼朝のことを呼び捨てにしているのに一同が困っていた所、三浦義村が一計を案じる。
義村が上総介に「親しい人のことを武衛と呼ぶ(実際は佐殿より尊称)」と嘘を教え、上総介が頼朝に「武衛」と呼びかけたので、頼朝が満足する。だが、上総介が「みんな武衛だ」「武衛同士飲もうぜ」と言い出したので、頼朝が困惑するという展開だ。
このエピソードはすれ違いギャグとして面白いので印象に残るがまさか伏線だとは思わない。第15回になって、これが二人のすれ違いの発端だったと分かるので、視聴者は衝撃を受けるのだ。

2)象徴的意味がある。
単に伏線であるだけでなく、象徴的意味があるとなお良い。第15回タイトルの「足固めの儀式」も万寿が初めて立って歩いたことを祝う儀式という表の意味だけでなく、鎌倉幕府の足固めという裏の象徴的な意味もあるために強く印象に残る。
「武衛」という呼び方も、上総介は頼朝を親しい仲間だと思っているが、頼朝は上総介を目下の存在だと思っているという認識のずれを見事に象徴している。
上総介に謀反の責めを負わせること自体は理不尽だが、上総介は唯一頼朝のことを主だと思っていない家人なのだから、強固な主従関係を確立するための生贄に上総介が選ばれたことは必然なのだ。


2.緊張→緩和→緊張という構成
第15回の脚本でもう一つ感心したのが緊張→緩和→緊張という構成だ。
第15回は
1)謀反が勃発してあわや御家人同士で殺し合いという所で一旦緊張が高まる。
2)謀反が回避され、全員が許されることで緊張が緩和。
3)頼朝が上総介を殺せと命じて再び緊張が高まっていき、謀殺シーンでピークに達する。
という構成になっている。
この構成は義高を巡る悲劇を描いた第17回でも採用されている。三谷氏がここぞという所で使う構成なのだろう。

緊張感を高めたいならひたすら緊張をエスカレートさせれば良さそうだが、45分間ずっと緊張していると視聴者が疲れてしまう。一旦緊張を緩めることで、視聴者が一息つくことができる。
さらに一旦緩和することで視聴者は悲劇が回避できるのではないかという希望を抱く。希望を持った状態から絶望へと叩き落とされるので、視聴者はより強く衝撃を受ける。
『鎌倉殿の13人』は面白いだけでなく、創作上の学びも多いドラマなのだ。

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前記事「60種類を食べ比べて選んだ安くて美味い袋麺ベスト20 」には沢山のブクマやスターを頂きどうも有難うございました。
投稿翌朝にはてなを見たら人気エントリー入りしていたので小躍りしてしまいました。その後もスマートニュースなどで取り上げて頂き、この記事だけで17年間の総アクセス数の1/4のアクセスがありました。
今後とも東雲製作所を宜しくお願いします。