東雲製作所

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文章の上手さを一軸評価すべきではない

テーブルのどこにどの人物が座っているかをイラストだけを使って表すことはラノベのレベル低下に繋がる - ミグストラノート
『僕は友達が少ない』のレベルが低くなっているという話をラノベ全体と語ってしまったためぼこぼこに叩かれてしまった人の話

マッキー氏のツイートに端を発する一連の議論を読んで考えた。


*何故簡単な内容を図にしてはいけないのか。
 マッキー氏は「文字で書けるような簡単な内容をいちいち図にするな」と主張している。
 この主張はもっともらしいが、「文字で書けるような簡単な内容をいちいち図にしてはいけない」理由が書いていないので説得力が低い。
 小説の文章の良しあしは読者にとってどういうメリット・デメリットがあるのかを基準に判断すべきだ。マッキー氏は文字で書けるような内容を図にすると読者にどんな不利益があるかを示さなかったからそんなの自分ルールじゃないかという批判を浴びたのではないだろうか。

 コメントを見ると、はがないを擁護する側は図で示した方が分かりやすいというメリットを示しているのに対し、批判側は好みを述べているだけの人が多かった。批判側の中ではsky-graph氏の
拡大主語か/伝達方法を文章に縛る必然は無いと思うけど、本を読んでるというメタ視点を唐突に突きつけられそうな気がするので「←」は好きじゃないかも
という指摘が具体的デメリットを示している。確かに本文中に矢印を入れると文章への没入感は落ちるだろう。


*斬新な描写と可読性
 マッキー氏が示唆する良い文章の基準は、既存文学では一般的なものだ。その基準とは簡単に言えば「斬新な描写」をするのが良い文章だというものだ。マッキー氏が評価していた秋山瑞人氏はまさに斬新な描写を得意とする作家だ。
 斬新な描写が何故優れているかというと、読者に新鮮な驚きを与えるからだ。他にも描写が小説ならではの技法であることなど色々と理由はあるのだが、長くなるので割愛する。

 だが、良い文章の条件は「斬新な描写」だけだろうか。私はもう一つの軸として「可読性」があると思う。読みやすい文章、速く読める文章は明らかに読者にとって望ましいからだ。そして平坂読氏の文章は読みやすさという点でライトノベルの中でも図抜けている。私の実感では平均的ライトノベルの倍の速度で読める。これは並大抵のことではない。

 問題は「斬新な描写」と「可読性」がしばしば相反することだ。「斬新な描写」とは読者が立ち止まって読むような表現だから当然である。現に、秋山瑞人氏の作品は平均的なライトノベルに比べると読むのに時間がかかる。

 従って、良い文章というものを「斬新な描写」に代表されるような既存文学的尺度のみで測ることは間違っている。(もちろん、可読性のみで測ることも間違っている。)
 それは長打率が低いからイチローは良い打者ではない、と言うのと同様の一面的な物の見方だ。


6/11追記1
前半の内容に関しては、srpglove氏が詳しく書かれていた→平坂さまLV1

追記2
ぬんぬん氏がマッキー氏を擁護したのは小説内における小鷹の行動に触発されたのかも知れないと思った。