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内面のないキャラクター――けものフレンズ感想

 『けものフレンズ』(たつき監督)のキャラクターには内面がない。内面がないという言い方に語弊があるなら、外面と内面が一致していると言っても良い。
 けものフレンズは悪意のあるキャラクターが登場しないという類似点から、しばしば『ご注文はうさぎですか?』などの癒し系アニメと比較される。だが両者は全く異なっている。ごちうさのキャラクターには内面があり、葛藤を抱えていたり悩んだりする。一方、けものフレンズのフレンズ達には内面がない。サーバルちゃんが「すごーい」と言ったら心の中でもすごーいと思っているし、行動原理も危険を回避したり出口を探したりといった実際的なものばかりだ。唯一かばんちゃんだけが「自分は何者か」という内的課題を抱えているが、そのことについてくよくよ悩むような描写は見られない。

 内面と外面が一致しているため、けものフレンズにはモノローグがない。モノローグがない作品ではしばしば表情や仕草で内面を表現するが、本作では表情や仕草と内面が一致しているので、本当の感情を読み取る必要がない。見ると知能が低下すると言われているのは、全く頭を使わなくてもキャラクターの感情を把握できるからだ。
 内面のないキャラクターはアンパンマンのような幼児向けアニメの特徴である。けものフレンズも休日の朝か夕方に放映されていれば、普通の良質な子供向けアニメとして扱われてこれほど話題になることはなかったのではないだろうか。

 桃太郎のような昔話のキャラクターには内面がない。文学がキャラクターに内面を与えた。内面のあるキャラクターは葛藤したり自尊心が満たされなかったり疎外感を味わったりする。これがストーリーに深みを与えている。
 一方、仏教では内面を意識しない無我の境地こそ理想とされる。内面があるから様々な煩悩が生まれる。内面がなければ悩みもない。けものフレンズが見ると幸せになると言われているゆえんである。

 だが、けものフレンズが新しいアニメの可能性を開いているかと言うと疑問だ。けものフレンズがウケているのは、内面と外面という二枚の手札の内、内面は使わないでやってみたら新鮮だったということ。音楽で例えるなら、和音をつけずに主旋律だけ弾いてみたら新鮮だったようなものだ。だがそれは技術的には後退である。内面と外面、両方あった方が表現としては豊かなはずなのだ。

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