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人間は変わらないのか――仕事に効く教養としての「世界史」感想

 『仕事に効く教養としての「世界史」』(出口治明著、祥伝社)はライフネット生命社長にして読書家としても知られる出口氏による世界史概説書だ。「この本は、僕が半世紀の間に、見たり聴いたり読んだりして、自分で咀嚼して腹落ちしたことをいくつかとりまとめたものです。」という作者の説明が本書の性格を端的に表している。世界史の出来事が列挙されているのではなく、世界史の勘所が作者の実感を伴った解釈でまとめられている。従って、本書は大変分かりやすく、面白い。

 本書には参考文献がついておらず、正しいのかどうなのか分からないじゃないかという批判がある。
 だが、歴史には事実と解釈がある。例えば、「野田政権による解散総選挙民主党は勝利し、政権を維持した。」というのは客観的事実に反しているので間違いである。だが、「総選挙で何故民主党は敗北したのか?」という問いにはいくつもの答えがある。「消費増税を決めたから。」「官僚を上手くコントロールできなかったから。」「内輪もめをしたから。」どれも間違いではない。歴史には複数の解釈があり、事実に反していない限り、どの解釈にも一面の真実がある。従って、本書の解釈が歴史学者の通説と異なっていても、ただちに間違いだということはできない。


 本書で特に感心したのは中国史だ。諸子百家始皇帝と聞くと、紀元前の現代とは全く違う時代のことだと思いがちだ。だが、出口氏は現代とさほど変わらないのではないかという解釈を提示する。

 諸子百家は必ずしも対立していたのではなく、棲み分けていたのではないか。老子孔子が対立していたのではなく、それぞれのポジションをきちんと取っていた。法家は霞ヶ関儒家アジテーション墨家は平和デモ、それを冷ややかに見ている知識人は道家というように、棲み分けていたのではないか。
 
 そのように考えると、いまの中国も結局のところは、始皇帝のグランドデザインを超えていないという気がします。中央がすべてを取り仕切り、官僚を送って文書行政で統一的に支配するわけです。ただ、建て前だけが変わっていて、政府の建て前は共産主義です。人民は儒家の高度成長を信じていて相変わらず金儲け。知識人は冷ややかに見ている老荘であるということも含めて、社会の構図は基本的には何も変っていない気がします。


 本書には、出口氏の人間は本質的には変わらないという思想が通底している。だが、果たしてそうだろうか? 現代の日本はかつてない少子高齢化社会を迎えている。インターネットの登場によって人々の意識は大きく変化した。現代社会は過去の歴史的知見が適用できない特異な社会なのではないだろうか。

 そんなことを考えている時に、トランプ大統領が誕生した。そして出口氏の慧眼に脱帽した。トランプ大統領の誕生が本書に書かれている朱元璋の明建国と同じだったからだ。

 元のクビライはユーラシア各地の王族に銀塊をばらまくことで、各地の王族→各地の商人→中国商人→クビライという大循環を作り出した。それによって元は大いに繁栄したが、グローバリゼーションの蚊帳の外に置かれた農民達の不満が高まった。やがて貧農出身の朱元璋が明を建国。海禁(鎖国)政策を採る。これによって国力が衰退し、清の時代のアヘン戦争によって中国は完全に没落してしまう。
 これはまさに今日の世界で起きていることそのものではないか。

 やはり人間は本質的には変わらないらしい。過去と同じ過ちを犯さないため、多くの人に手にとって欲しい本だ。

 

仕事に効く 教養としての「世界史」

仕事に効く 教養としての「世界史」