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どうする家康前半感想

(本稿は『どうする家康』のネタバレを含みます。)

NHK大河ドラマ『どうする家康』(原案・脚本:古沢良太)は前半の放送が終了した。これまでの話を振り返ると、脇役の一人にフォーカスした回に心打たれるものが多い。
具体的には、阿月の回である『第14回金ヶ崎でどうする!』、夏目広次の回である『第18回真・三方ヶ原合戦』、鳥居強右衛門の回である『第21回長篠を救え!』が良かった。
これらの回には共通点がある。どれも抑圧されていた人が、大切な人のために活躍する機会を得て、命がけでなりたい自分になるという構造を持つ。それによって「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」ということを描いている。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」は孔子の言葉だ。この言葉を最初に聞いた時は死ぬの早すぎ! そんなすぐ死ぬのは絶対嫌だと思った。
だが、だらだら生きていたら何も為せないまま人生の半分以上を使ってしまった今になって、徐々に言葉の意味が実感できてきた。

『どうする家康』は人質が殺されたり、城兵が皆殺しにされたり、人買いに売られて何の希望もなかったりといった戦国時代の悲惨さを正面から描いており、現代に生きていることの有難さを感じる。
一方で、現代に生きていると、命が有限だということを忘れがちだ。
このまま漫然と生きていたら、自分はこれをするために生まれてきたのだと言えるものを何も持たずに死んでしまうのではないかと考えこんだ。


前半のクライマックスである瀬名の死に関しては信康の存在が邪魔で、前記の三人ほどすっきりとした話にはなっていなかった。信康がいなければ、「大好きな家康とその仲間を守るために死んだ」で良いのだが、「母が死ぬなら自分も死ぬ」と主張している信康がいるとなると、話が変わってくる。信康を生き延びさせるために、身代わりを殺してでも生き延びた方が良かったのでは? と思ってしまった。
「家康と信康を助けるために自害→信長に信康も殺さないとダメだと言われる→信康自害」にすれば良かったのではと思うが、本作では信長が家康を唯一無二の友だと思っているのでその手も使えない。八方ふさがりだ。

おんな城主 直虎』では史実では一緒に殺された小野政次の子供をいなかったことにするという荒業を使って話をすっきりさせていたが、さすがに松平信康をいなかったことにはできないだろう。歴史ものの難しさである。

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