東雲製作所

東雲長閑(しののめのどか)のよろず評論サイトです。

初めてチキンラーメンを作った

 休日の昼間は主に袋麺を食べている。良く食べるのは「AKAGI醤油ラーメン」と「Big-Aとんこつラーメン」。理由は安いからだ。近所のスーパーBig-ABig-Aとんこつラーメンは税込み200円、AKAGI醤油ラーメンに至っては158円である。一食当たり32円。安い! しかし先日、Big-Aで「チキンラーメン」を安売りしていた。安売りと言っても300円超。AKAGI醤油ラーメンよりは断然高い。しかしチキンラーメンと言えば世界初の即席麺。私はベビースターは食べたことはあるがチキンラーメンを食べたことがない。どんなものか興味があり購入することにした。

 小型鍋で湯を沸かし、チキンラーメンの袋を取り出す。ゆで時間を見ると1分と書いてある。1分! AKAGIラーメンもBig-Aラーメンも出前一丁サッポロ一番もゆで時間は3分である。それなのに1分! ガンダムの赤い人みたいだ。
 麺を湯に入れる。お湯の高さが足りず、上の方が湯に浸っていない。どうしようと焦っているとお湯が見る見るこげ茶色になって行く。何じゃこりゃあと思っている内に三十秒程が経ってしまった。慌てて麺の窪みに卵を割り入れる。残りゆで時間は十秒。急いで麺を崩し、乾いている部分を湯に沈めると1分が経過した。火を止める。上の部分は固いままなんじゃないかと見ていると、麺がものすごい勢いで柔らかくなっていく。それから冷蔵庫からもやし炒めを取ってきて載せたり箸とスプーンを用意したり居間に鍋を運んだり飲み物を用意したりしている内に3分以上経過し、食べる頃には麺がでろでろに伸びていた。以前この記事を読んで調理が難しいらしいとは聞いていたがこれほどとは思わなかった。何という忙しなさ。行動がとろい私の手に負える麺ではなかった。

 しかしながら、幸いな事に私は味音痴なので、麺がでろでろに伸びていてもそれほど気にせず食べることが出来た。もし前述の同居人のチキンラーメンに絶望していた人に私が作ったチキンラーメンを出したら、激怒したことだろう。
 逆に言うと、私は細かいことが気にならない鈍感な人間なので、それに行動が最適化され、諸事が適当になっているのであろう。人間誰しも最も長く接しているのは自分なので、自分に合わせて行動が最適化されている。そのため、自分一人でいる時は大きな問題は起きない。トラブルの大半は他者と接する時に起きるのではないだろうか。まあその食い違いが面白い所でもあるのだが。 

 

 

日清 チキンラーメン 5食パック
 

 

見るなの禁止と量子論――君の名は。感想

(本稿は『君の名は。』のネタバレを含みます。)

 『見るなの禁止』をご存知だろうか。見てはいけないと言われたにも関わらず見てしまったために良くないことが起こるという物語の類型で世界中の神話や民話に見られる。
 日本において最も有名なのは鶴の恩返しだろう。日本神話でもイザナギが死んだ妻、イザナミを黄泉の国へ迎えにいった時、イザナミから私の姿を見てはいけないと言われる下りで登場する。興味深いことにギリシア神話オルフェウスとエウリュディケーの話もほとんど同じ構造を持つ。
 何故死者の国に行った夫は妻の姿を見てはいけないのか。それは量子論的に解釈できる。

 シュレディンガーの猫という仮想実験がある。電子銃によって50%の確率で毒が出る箱の中にいる猫は、生きた状態と死んだ状態が重ね合わさった状態にあり、箱を開けて観測すると同時に生きているか死んでいるかどちらかの状態に収束する。

 生者と死者の世界は本来はっきりと分かれており、互いに立ち入ることができない。生者と死者が会うことが出来るのは、生者と死者が重ね合わさった状態、いわば不確定状態にあるからだ。そこで生者が死者を見てしまうと、状態が収束し、不確定状態が終わってしまう。だから見てはいけないのだ。

 

 『君の名は。』(新海誠監督)は神話を量子論的に解釈した作品だ。物語中盤、主人公の二人は互いの名前を忘れてしまい、何度も君の名は、と問うことになるが、その理由は量子論的に説明可能だ。

 ストーリーは不確定状態と確定状態を往復しながら進行する。東京の男子高校生瀧と地方の農村糸守の女子高校生三葉に週に二三日、心が互いの体と入れ替わる現象が発生する。この状態が起こっている時、二人は重ね合わせの状態=不確定状態にある。

(以下あからさまネタバレを含むので反転します。)
 やがて、入れ替わりが起きなくなり、瀧は三葉を探しに糸守へ向かう。そこで瀧が三葉の現在の状態を知った時、スマホの日記アプリ内の三葉の記述が消え、三葉の名前を思い出せなくなる。これは観測によって瀧が三葉の状態を確定させてしまったからに他ならない。

 その後、瀧は三葉を取り戻すため、象徴的なあの世に向かう。ここは明らかにイザナギイザナミ神話を元にしている。瀧が三葉が奉納した口噛み酒を口にすると、入れ替わり状態が復活する。口噛み酒は三葉の半分が入れられたもの。瀧は三葉の半分を体内に取り込むことで重ねあわせの状態=不確定状態を取り戻したのだ。

 三葉が瀧の手の平に名前を書こうとして黄昏時(=不確定状態)が終了するのも量子論的に説明できる。忘れないように名前を書くということは、名前を確定させようとする行為だからだ。

 本作の見事な所は、不確定状態が確定状態に収束する時、観客もまた瀧と同じような感覚を味わうよう綿密に計算されている点だ。特に瀧が手首につけている紐の由来が明らかになるシーンでは泣いてしまった。
 状態収束の衝撃とカタルシスをぜひ体験して頂きたい。

 

www.kiminona.com

リオオリンピック感想

 リオオリンピックの感想を記す。ぐずぐずしている内にブログとは思えぬ時期はずれな記事になってしまった。

 

 競泳について
 競泳は他の競技に比べて種目が細かく分かれすぎではないだろうか。マイケル・フェルプス選手が23個も金メダルを獲得しているのに対し、ウサイン・ボルト選手は9個というのが競泳が他と較べて細分化しすぎであることを如実に表している。バタフライは平泳ぎから派生して新種目となったそうだが、その時点で種目を増やさず、平泳ぎを自然淘汰で無くすか、バタフライは自由形で競ってもらうべきだったと思う。
 競泳100mには自由型、バタフライ、平泳ぎ、背泳ぎの四種目あるのに対し、陸上100mは普通に走るのとハードルのニ種目しかない。競泳との公平を期すなら後ろ向き走りと四足走り(もしくはナンバ走り)もオリンピック競技にすべきではないだろうか。あるいは短距離でも競歩を実施するとか。100m競歩は判定にものすごく時間がかかりそうだ。


 最も好きな記事
 私がリオオリンピック関連で読んだ最も好きな記事は朝日新聞清水寿之記者の星奈津美選手に関する記事だ。

digital.asahi.com


 全文が読めない方のために要約すると、

 星選手はトップアスリートには珍しい、のんびり屋さん。
 準決勝で平井コーチが「最初の3ストロークはゆっくりいけ」と指示したら、6ストロークゆっくりになってしまった。
 決勝前に「君の場合は倍かかる。1ストロークだけゆっくり」と言いかえたら上手くいった。

 というもの。「水泳と並行して習っていた剣道では相手を竹刀で打てず、こちらの頭を差し出すような子だった。」といった記事の端々から星選手の人柄が伝わって来て心うたれた。

 そんな星選手だが、バセドウ病を克服した努力家で、羊の皮を被った狼と呼ばれているとのこと。オリンピック後には結婚が発表された。おめでとうございます。


 メダルに関する執念
 福原愛選手は銅メダルをかけたキム・ソンイ選手との戦いに敗れた後、メディアからの質問に「傷をえぐるみたいで……」と一回戦でキム選手に敗れた石川佳純選手に対策を聞かなかったと答えていた。
 福原選手にはどんな手を使ってでもメダルを獲ってやるという執念が少なかったように思う。
 例えば、テニスの錦織圭選手は、銅メダルをかけたナダル選手との試合中、12分もかけてトイレに行き、試合の流れを変えた。錦織選手の方が福原選手よりも何としてもメダルを獲ってやるという執念が強かったのではないだろうか。
 誤解しないで頂きたいのだが、私は福原選手はもっと執念を持つべきだったと言っているのではない。アスリートにとってメダルは重要だが、人生における一要素にすぎない。福原選手のこういう優しさに多くのファンは惹かれているのだ。
 

映画あらすじジェネレーター

旧サイトにジェネレーターの新作、「映画あらすじジェネレーター」をアップロードしました。

映画あらすじジェネレーター

ラノベあらすじジェネレーターよりまともなストーリーになる確率を高くしました。

どうぞよろしくお願いします。

 

面白見出し力――伊集院光深夜の馬鹿力感想

 TBSラジオが6月末でポッドキャストの配信を止めてしまった。仕方ないので、深夜や昼間にやっていて生では聞けない番組の内、特に聞きたい番組だけ録音して聞くことにした。伊集院光深夜の馬鹿力もその一つである。
 ポッドキャストでは番組冒頭のフリートークが十分くらいだけ配信されていた。深夜の馬鹿力は二時間番組なので、私はニ~三十分フリートークをやった後、視聴者からの投稿ネタコーナーか何かをやっているのだと思っていた。ところが先日初めて二時間通しで聞いてみた所、伊集院氏は何と一時間以上もフリートークをやっていた。しかもそれがずっと面白い。私だったら一生分の面白エピソードをかき集めても一時間もフリートークをすることなどできない。それを伊集院氏は毎週やっているのだ。これは並大抵のことではない。

 もちろん、伊集院氏は芸能人なので、一般人よりは面白エピソードに遭遇する率は高いだろう。また、氏は元々落語家なので、話芸で面白くしている面も多分にある。だが、真に感心すべきは日常のちょっとした出来事から面白さを見出す感性ではないだろうか。

 例えば、先日氏が話していたのは「御朱印帳を全て手書きで書いてもらって集めていたのだが、番外の所だけスタンプを押されてしまいがっかりした」というだけの話であり、私だったら特に何も思うことなくスルーしてしまっていただろう。右肩下がりの日本社会では、バブル期のように派手な刺激を次々追い求めていてはすぐに行き詰まってしまう。ささやかな日常から面白さを見いだせる人と見いだせない人とでは、人生の豊かさがまるで違ってくるに違いない。

 伊集院氏が素晴らしいのは面白さを見出して自分が楽しいだけではなく、それをラジオでしゃべることで、多くのリスナーをも楽しい気分にさせていることだ。ブロガーにも、日常のささやかな面白さを見出し、他者と共有する名人が幾人も存在し、世界全体の幸福度をじわじわ高めている。面白見出し力は今後ますます重要になっていくのではないだろうか。
 

男には向かない職業――満願感想

(本稿は『満願』の内容に触れています。)

 『満願』(米澤穂信著、新潮社)は 2014年年末のミステリーランキングを総なめにした短篇集だ。中編、長編にもできそうなアイデアを短編一本ずつに詰め込んでおり、無駄なシーンが全くない。内容も耽美小説、怪談から国際冒険小説までバラエティに富んでいる。極めて完成度の高い作品だ。

 一方で本作はどの作品も読後感が悪い。読み終わるといや~な気持ちになる。
 嫌な気分になる原因の一つが、どの作品も語り手の思い通りにならないということだ。語り手のみならず、ちゃんと描写された登場人物の内、男性のやることは全て上手く行っていない。彼らの殺人計画はことごとく失敗し、探偵をやれば知りたくなかった真実を知るはめになる。「夜警」で、語り手の柳岡は自分や部下の川藤のことを警官には向かない男だと言っているが、本書では柳岡、川藤のみならず、全ての男がミステリーの登場人物に向いていない。
 一方、女性の登場人物はしばしばまんまと計画を成し遂げている。この違いはなぜ生じたのだろうか。それは、キャラクターが男性の場合、作者がキャラクターを自らの実感から切り離せないからではないだろうか。普通の人は殺人に関わることになど向いておらず、それは米澤氏とて例外ではない。
 本書で最高の完成度を誇る「柘榴」では女性キャラクターが最後に語る冷血なモノローグが全編を引き締めている。だが、雑誌掲載時との違いを検証されたサイトを見ると、雑誌掲載時の記述には冷血に徹しきれないためらいが残っていた。単行本化の際に、作者はキャラクターを自分と切り離して冷酷なことをさせることで、完成度を高めた。だが、男性キャラクターの場合、作者はそこまでのことはさせられていない。同性のキャラの場合どうしても自らを投影してしまうからだろう。

 だが私は、殺人事件になど向いていないという作者の実感は、作品と現実世界をつなぐ、大切な紐帯であるように思う。全く実感がこもらない作品は、どんなに完成度が高くても、現実とは無関係で血の通わない箱庭の中の出来事になってしまうからだ。

 

満願

満願

 

 

熊本に行ってきたので麺の写真をアップする。

 仕事で熊本に行ってきた。熊本の食事と言えば馬肉、太平燕熊本ラーメンが有名だが、生肉を食べるのは抵抗があったので、結果的に麺類ばっかり食べることとなった。

太平燕タイピーエン)

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 太平燕とはざっくり言えば長崎ちゃんぽんの麺を春雨にしたようなもの。豚骨ベースのスープに魚介の旨味が溶け込んでいる。
 上が紅蘭亭の中華定食で下が八代よかとこ物産館のトマト太平燕

 

熊本ラーメン

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 熊本ラーメンは豚骨ラーメンなのに表面が黒いのが特徴。黒いのはニンニクを揚げた油らしく独特の苦味がある。アレンジで入っている揚げニンニクのチップが香ばしい。
 上から順に天外天、桂花ラーメン本店、龍の家の熊本ラーメン

 

博多ラーメン

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 熊本ラーメンばっかり食べていて飽きたので普通のとんこつラーメンも食べた。博多金龍のとんこつラーメン。

 

 食べた中では紅蘭亭の中華定食が一番美味しかった。太平燕は喉が鳴る美味さだったし、チャイナドレスの店員さんが給仕してくれる本格的な店なのに980円でいろいろついた定食が食べられるというのも素晴らしい。

 

 熊本の中心街は所々閉鎖された建物があるだけで普段通りだったが、郊外に行くと瓦屋根の古い家が軒並み被害を受けていた。熊本城も門の石垣が崩れたままで痛々しい。

 泊まったホテルは中心街の下通り近くだったが、着いた火曜から関東の金曜並みに人々が飲み歩いているのが印象的だった。それでは金曜はどうなるかと言うと、駐車場が満杯になって入りきれない車が延々と空車待ちをしていた。
 また、水前寺江津湖公園では筋骨たくましい高校生達が川に飛び込んではしゃいでいた。全体的に熊本人はノリが体育会系であるように感じた。文化系の人は街に繰り出してこないだけかも知れないが。