(本稿は六花の勇者6までの抽象的ネタバレを含みます。)
面白い物語には魅力的な敵役が不可欠だ。優れた敵役にはいくつか条件がある。
第一に、敵役は主人公より強大でなくてはならない。主人公が自分より弱い敵を蹴散らしても、物語は盛り上がらない。自分より強い敵に挑戦するからこそ面白いのだ。
第二に、敵役は主人公と対立する信念を持ち、主人公との戦いに全力で取り組まねばならない。敵役が油断している隙をついて勝ったり、敵役がやる気が無いせいで勝ったりしては興ざめだ。全力と全力。互いの信念をかけたぶつかり合いこそ、読者が求めるものだ。
第三に、敵役は主人公に敗れなければならない。敵役が勝ってしまったら、主人公に感情移入していた読者は落胆するだろう。
何故これらの条件が必要なのか。それは主人公が葛藤し、葛藤が解消されることでカタルシスが生じるからだ。自分と対立する信念を持った強大な敵と戦うことで、主人公に自分は本当に正しいのだろうか。敵に勝てないのではないかという葛藤が生まれる。それが勝利によって解消されることで、読者はすっきりするのだ。
だが、ここで問題が生じる。主人公より強大な敵役が全力で主人公を倒そうとすれば、敵役が勝ってしまうのだ。通常は主人公の敗北を避けるため何らかのロジックが導入され、そこが作者の腕の見せどころである。良く使われるのは次のようなものだ。
主人公の思いの強さが敵を上回った。
主人公が戦いの中で恐るべき成長を遂げて敵の強さを上回った。
主人公には仲間がいたが、敵にはいなかった。
主人公の策略によって敵を罠にかけた。
主人公が幸運によって勝ちを拾った。
だが、思いの強さや成長力、仲間の力、知恵、運なども強さの一種だと考えれば、実際は主人公が強大な敵を倒したのではなく、主人公の方が敵より強かったから勝ったに過ぎないことになる。それでは第一の条件を満たさない。
だがここに、この難問を解消する理想的な敵役が存在する。それが六花の勇者(山形石雄著、ダッシュエックス文庫)の敵役、テグネウだ。
通常の敵役は主人公に勝つことを第一の目的としている。従って、強大な敵役が主人公を倒せないでいると、読者はご都合主義ではないかと感じてしまう。例えば、余裕をかまして主人公を中々殺さないでいるうちにやられてしまう敵役をしばしば見かけるが、読んでいてこの敵役はアホなんちゃうかという感想を禁じ得ない。主人公を勝たせるために、敵役に不合理な行動を取らせてはならない。
一方、テグネウには主人公達六花に勝つことより優先順位が高い目的が存在する。それが、主人公達を苦しめることだ。テグネウは愛ゆえに葛藤し、苦しむ人を見るのを生きがいとしており、テグネウにとっては勝つことよりも優先度が高いのだ。そして物語は主人公達が葛藤すればするほど面白い。従って、テグネウは主人公達に勝つことよりも、物語を面白くすることを優先してくれる敵役なのだ。こんな有難い敵が他にいるだろうか。
作中のテグネウは憎々しさの塊のような存在で、ほとんどの読者は嫌悪しながら読んでいることだろう。だが、主人公達が葛藤する所を見たがっているという点で、テグネウは読者の化身でもある。六花の勇者6はそんなテグネウと六花の勇者達との全面対決が描かれ、あまりに面白すぎて疲れる程面白い。未読の方はぜひご一読を。