(本稿は春琴抄のあからさまなネタバレを含みます。)
春琴抄(谷崎潤一郎著)はツンデレ娘、春琴と彼女に献身的に尽くす佐助の愛の物語であると言われている。
だが、二人の関係は通常の愛というよりアイドルや二次元美少女とおたくの関係に近い。二人が性的関係を持っているのに、セックスなどしていないと言い張るのも、アイドルや二次元美少女が処女性を求められるのを彷彿とさせる。
顔に酷い火傷を負った春琴から「わての顔を見んとおいて」と頼まれた佐助は遂に針で目を突いて春琴と同じ盲人となる。だが佐助が目を突いたのも、自分の顔を見せたくない春琴のためにやったというより、自分が春琴の醜い姿を見たくなかったからではないか。
春琴の場合は火傷で一気に美貌が失われたが、どんな美少女であっても、加齢と共に少女としての美しさは失われる。アイドルは大人になる前にグループを卒業するし、二次元美少女は老いた姿は描かれない。
おたくは単に美少女が加齢と共に美が失われる現実から目を逸らしているだけだが、佐助は自らの意思で目を突いてまで俺は美少女しか見ないぜと表明したのだ。そこまでの覚悟を持って美少女を愛でているおたくがいるだろうか。全おたくは佐助に敗北したのだ。
だが、そもそも美少女が老化することを受け入れられないのが不健全なのだ。中年女性には中年女性の、老婆には老婆の魅力があるのだから、それを愛するべきだ。
現実のどんなに熱心なおたくの美少女愛も、佐助の美少女愛には及ばない。だが、そもそもこんな間違った方向へ突っ走るチキンレースになど負けた方が良いのである。