東雲製作所

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ハンディの相殺の結果としての対等な関係

高橋留美子とハンディ・ゲーム  
男女のあいだにハンディは必要か?

ハンディをつけるという概念は全くなかったので、感心した。目が開かれる想いだ。
熊田氏は、「近代社会では、男性に何らかのハンディをつけなければ、男女間の「対等な対」を説得的に描くことができなかった」と指摘されているが、
現代の男性向けフィクションでは、必ずしも男性にばかりハンディをつけているわけではない。
例えば、『さよならピアノソナタ』では、天才ピアニストのヒロインの真冬に右手が不自由になっているというハンディをつけることで、男性の直巳と対等の関係にしようとしている。
ただ、どちらにハンディがついているのかという判定は難しい。
例えば、『灼眼のシャナ』や『イリヤの空、UFOの夏』のような戦闘美少女ものでは、女性に圧倒的戦闘力という「プラスのハンディ」を与えてパートナーの男性と対等にしていると言える一方で、女性にこの世界での常識の欠落という「マイナスのハンディ」を与えることで、男性と対等にしていると見ることも出来る。(『フルメタルパニック』はこれの男女が逆の場合だ。)
犬夜叉』だって、犬夜叉に戦闘力を与えることでかごめと対等にしているとも言えるわけで。
実際に男女間で対等な関係が成立するとしたら、複数の『ハンディ』が互いに相殺しあって、「ある面では男性が優位だが、別の面では女性が優位」という関係になっていることが多いのではあるまいか。
これは男女間に限らず人間関係全般に言えそうだ。