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他者にしか救えない――鬼滅の刃感想

(本稿は『鬼滅の刃』のネタバレを含みます。)

 アニメ『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴原作、外崎春雄監督、ufotable)が素晴らしい。元々ストーリー・設定・キャラクターが魅力的な原作にufotable神作画が加わってものすごい高みに達している。特に第十九話『ヒノカミ』は観ていてアドレナリンがドバドバ噴出して、しばらく興奮が止まらなかった。

 『鬼滅の刃』は大正時代の日本を舞台に人を襲い食らう鬼と鬼を殺す鬼殺隊の戦いを描いた話だ。
 主人公竈門炭治郎は家族を鬼に殺され、唯一生き残った妹禰豆子も鬼にされてしまう。炭治郎が禰豆子を人間に戻す方法を探しながら、様々な鬼と戦って回るのが本作の基本構造だ。

 本作最大の魅力は、底抜けに優しい炭治郎のキャラクターだろう。
 炭治郎は妹禰豆子や鬼殺隊の仲間に対して優しいだけでなく、自らの家族の敵である鬼に対してすら優しさを向け、少しでも彼らの魂が安らかであるよう頑張る。炭治郎からは、家族からの愛情をたっぷり受けて育ってきたおひさまのような暖かさが伝わってきて、何て良い子なんだと抱きしめたくなる。

 炭治郎と戦った鬼の多くは、死に際して魂を救われている。本作は炭治郎が鬼を殺して回る話であるが、見方を変えれば鬼を救って回る話でもある。
 本作の鬼の多くは理性を失い欲望だけになった存在だ。だが、食欲や性欲だけに従っているのではなく、自己承認欲求のような高次の欲望も有している。肥大化した自意識の成れの果てである山月記の虎に近い。この設定が作品に深みを与えている。
 鬼は欠落を抱えており、欠落を埋めたいという欲求が行動原理となっている。。
 累は家族との繋がりを求めており、響凱は自らの作品が認められることを求めていた。

 竈門炭治郎は鬼達にとって初めての他者だ。例えば雲取山の鬼、累は鬼になって以降複数の存在と接触したが、いずれも累にとっては他者ではなかった。
 鬼の創造主たる鬼舞辻無惨は鬼の欠落を利用して操っている。無惨にとっては、鬼が抱える欠落が深いほど都合が良い。鬼の肥大化した自我を膨らませることに力を貸す存在であり、他者というより自我の増幅器のような存在だ。
 累の"家族"は累の力を恐れて従っていただけ。異を唱えないから他者足り得ない。
 鬼殺隊はただ累の命を狙っているだけで、累に対して対話を求めないから他者足り得ない。
 唯一炭治郎だけが累の考えに異を唱えた。
 肥大化した自意識によってタコツボに入ってしまった者を救えるのは異なる意見をぶつけてくる他者だけだ。
 他者と衝突することで、初めて、ハマっていた穴から抜け出すことができるのだ。