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トリックスターヒロイン――半分、青い。感想

(本稿は「半分、青い。」のネタバレを含みます。)

 「半分、青い。」(北川悦吏子脚本、NHK)について朝日新聞で「逃げるは恥だが役に立つ」の漫画家、海野つなみ氏が語っていた。海野氏は「半分、青い。」について、先が読めない面白さがある、観ていて心が動く、雰囲気づくりがうまくて言葉の力がある、と賞賛した上で、穴もあると指摘していて、具体例として次のように語っている。

 「例えば、鈴愛ちゃんが師匠の秋風羽織先生(豊川悦司)に「いい年して独り者で家族もない」などと怒鳴ったシーン。鈴愛ちゃんは謝らないし、周りも止めない。私が漫画で描くなら、心の声なりで「自分でもひどいことを言ったのは分かっていたけども、言わずにはいられなかった」みたいな描写を入れます。そうすれば受け手は共感できる。はたから見て共感しにくい場面を描く時にすごく大事なことだと思います。」

 海野氏の指摘は一般的な主人公の描写法として大変参考になる。だが、「半分、青い。」に関して言うと、必ずしも穴ではないと思う。鈴愛は普通のヒロインではなく、トリックスターヒロインだからだ。

 菱本が秋風先生に原稿を捨てるぞと脅したりできるのは鈴愛ちゃんだけだと語るシーンがあったが、これはまさに鈴愛がトリックスターであることを示している。トリックスターは既存の秩序を乗りこえて物語をかき乱す力を持つが、通常、脇役として登場する。
 主人公には1)受け手の共感を得る、2)ストーリーの軸を作る、という役割があるが、トリックスターはどちらの役割も果たしにくいからだ。

 多くの作品で、主人公は読者が自らを仮託して作品世界を体感するアバターとしての役割を持つ。主人公が視聴者の感覚とかけ離れた言動を取ると、視聴者は主人公に共感できず、作品に入り込めなくなってしまう。それを避けるため、主人公は多くの人が共感できるよう、常識的な善人であることが多い。
 一方、トリックスターは普通の人ができないことをやって隠れた真実を明らかにするのが役割だから、普通の人である視聴者の共感を得られない言動が多くなる。
 鈴愛は涼次に「死んでくれ」と言い放って物議を醸すなど、朝ドラヒロイン史上随一の暴言王だし、過去を都合よく説明してナレーターに呆れられるなど身勝手な振る舞いも多い。鈴愛の造形からは視聴者からの共感を犠牲にしても、「創作者の業」といった人間の本質をえぐることを優先するぞという北川氏の覚悟が感じられる。

 トリックスターをヒロインにしたために、ストーリーの軸も消滅している。一応、「律との恋愛」という軸は残っているものの、一度自らの手でへし折っているので、物語全体を貫いている軸はもう存在しない。
 通常の主人公には大目標があり、主人公がその目標に向かって進んでいくことで物語に軸ができる。
 私は途中まで「半分、青い。」を「鈴愛が漫画家として大成する話」だと思っていた。涼次は鈴愛が再び漫画家として立ち上がる力を得るまでの間、隣に寄り添う役割を果たす「移行対象」だろうと思って見ていたのだが、むしろ鈴愛の方が移行対象だったので驚いた。
 気ままな行動を取るトリックスターがヒロインであるため、ストーリーの軸が次々切り替わり、全く先が読めない。こんなに先が見通せないドラマは観たことがない。

 ぞくぞくするような狂気を表出させつつ、愛らしさで視聴者の共感も繋ぎとめている永野芽郁氏の好演ともども、先が非常に楽しみだ。

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