東雲製作所

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村上春樹おたく論

(本稿は文中の敬称を略させて頂いた。)

 ライトノベル村上春樹の影響を受けている。
 例えば杉井光村上春樹の影響を公言しているし、河野裕も『サクラダリセット』に「ふかえり」ならぬ「おかえり」というキャラクターを登場させたりと強い影響を感じる。
 作家に直接影響を与えただけでなく、内容的にも村上作品はおたく系作品と共通点がある。
 村上作品では主人公がおしゃれでやたらセックスするので一見おたく的ではないように見える。おたく系作品では主人公が童貞であることが不文律だからだ。
 だが、主人公の性格はライトノベルの主人公とそっくりだ。内向的で恋愛に対して受け身の姿勢なのに何故かモテモテになる所など、ハーレム系ライトノベルの主人公そのままではないか。 
 また、村上作品の主人公は友達が少ない。『僕は友達が少ない』に代表されるように、友達が少ないのもライトノベルの男性主人公にしばしば見られる設定だ。
 さらに、『1Q84』に登場するふかえりが綾波レイみたいだったり、「リトルピープル」といった設定が中二病っぽかったりと、キャラクターや設定にもライトノベルとの共通点がある。

 おたく文化に影響を与える一方で、村上春樹自身はおたくとは縁遠いと思われている。おしゃれな印象の村上春樹に対し、おたくはおしゃれさの対極にある。だが本当に村上春樹はおたく的な部分を持たないのだろうか。


 今春「村上さんのところ」という村上春樹が読者からの質問に答える期間限定サイトが開設された。その中に、衝撃的な回答があった。「若い頃はわりに熱心に漫画を見たり、アニメを見たりしていました。」とカミングアウトしたのだ。当時、ガロ系に代表される漫画の地位は存外高かったとのことなので、村上春樹がはまっていたとしてもそれほど驚くべきことではないのかも知れない。だが、漫画はともかく、アニメを熱心に見ていたというのは意外だ。当時はおたくという言葉は無かったが今で言うなら明らかにおたくと言って良いだろう。

 私が前記の回答に衝撃を受けた理由は単にイメージと違うからだけではない。村上春樹が漫画やアニメを見ないと公言しているからだ。

 村上は『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997−2011』(村上春樹著、文春文庫)の中で 海外のインタビュアーに宮崎駿との類似性を複数回指摘され、見ていないと回答している。
 例えば、ショーン・ウィルシーの「あなたともっとも近いところにいる日本のアーティストは、私には宮崎駿のように思えます。(中略)宮崎さんと似ているという意見についてはいかがですか?」という質問に、
宮崎氏の映画を見たことはありません。僕は、とくにこれという理由はないのですが、アニメーション映画にあまり興味を持てないのです。人生の限られた時間を節約して使うために、自分に興味のあることと、自分に興味のないこととを、はっきり分別する傾向が僕には強くあります。あくまでたまたま今のところは、ということですが、アニメーションは僕にとって「あまり興味がないこと」の方に分類されています。」と答えている。
 普段アニメを見ない人でも、宮崎作品は見る人が多い。ましてやクリエイターだったら、宮崎駿監督作品を一作ぐらいは見てみるのが普通ではないだろうか。現代を代表するアーティストであるだけでなく、自らとの類似性も指摘されている監督の作品を、あえて見ないというのは私には不自然なことのように思える。


 村上はアニメを見ないと言う一方で、おたくに対して差別的スタンスは取っていない。先ほど触れた「村上さんは漫画もアニメも読まないし観ないとどこかで読みました。(中略)漫画やアニメも表現として成熟して、見る価値のあるものになっていると思います。」という質問にも、
残念ながら、人生の持ち時間にはそれぞれ限りがあります。一人の人間が何もかもをカバーするのは現実的に不可能です。だからある程度の年齢になると、興味の対象を絞って活動していかなくてはなりません。僕も若い頃はわりに熱心に漫画を見たり、アニメを見たりしていました。でも今はそこまで手を伸ばしている余裕がありません。決して漫画やアニメを軽く見ているわけではありません。「表現として成熟していない」とか思っているわけでも、もちろんありません。
と蔑視故に見ないわけではないことを強調している。

 だが、「村上さんのところ」における下記の回答を見た私は、村上がおたくに対してあまり好意的ではないという印象を受けた。

私は、アニメやいわゆるライトノベルラノベ)が大好きです。
そのせいか、学校でよくいじめにあいます。アニメやラノベが好きなのはいけないことなんでしょうか? 
(Vitamin、女性、14歳、中学生)

よくわからないな。アニメやラノベが好きだとどうして学校でいじめにあうんだろう? 僕にはちょっと想像がつかないことです。べつに誰に迷惑をかけるわけでもないのにね。今度はもう少し詳しく事情を説明してくださいね。僕は最近の若者世界のことにはあまり詳しくないので、何のことだかさっぱり理解できないんです。

僕は14歳の頃、フランツ・カフカに夢中になっていたけど、誰にもいじめられませんでしたよ。きみもためしにカフカを読んでみれば?


 村上はラノベを読んでいたらいじめられたというのが何のことだかさっぱり理解できないと書いている。だが、村上春樹ほどの作家がおたく蔑視について理解できない訳がない。
 質問者はアニメやラノベが好きなのはいけないことなんでしょうか? と尋ねているのだから、回答者はいけなくないと答えるべきだ。だが、村上はいけなくないと正面から答えずにはぐらかした。おたくを肯定するようなことを言いたくなかったからのではないだろうか。

 村上は漫画やアニメを見ない理由として人生の持ち時間が有限だからと説明している。この説明は一見もっともらしいが、見るものをジャンルで限定する必要はない。
 アニメに興味が無い人や、昔は熱心に見ていたが何となく興味が薄れた人はアニメを見ないなどと宣言しない。特に意識はせずに見なくなり、人から言われてそう言えば最近見ていないな、と気づくのが普通だ。特定のジャンルを見ないと明言するのは、そのジャンルに対し興味が強いことの現れではないだろうか。


 以上の推論から、私は村上春樹のおたくに関する感情は以下の二つのどちらかであると考える。
 一つは、現在も村上がおたく的マインドを持っているが、おたくであることを隠したいと考えているという説だ。おたくだと思われると自身のスマートな印象が損なわれてしまうからだ。
 もう一つの可能性は村上が自らのおたく的な部分を切り捨てて成長したと考えているという説だ。おたくは過去の見たくない自分であるから肯定したくなかったと考えれば、いじめを受けた中学生に対する回答にも納得がいく。

 若い頃熱心にアニメを見ていた村上春樹は果たして今もおたくなのだろうか。筆者は「村上さんのところ」に「村上さんの小説の主人公がおしゃれで内向的な人物が多いのは、社交的な人からは低く見られがちな内向的な人のイメージを良くしようという意図をお持ちなのでしょうか。」と質問したが回答は頂けなかった。