東雲製作所

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米国株はもう少しで買い場

世界的な金融引き締めによって株などのリスク資産が急落している。
米国を代表する株価指数S&P500は先週一週間で4.65%下落し、一時年初来安値を更新した。債権も急落しており、資金の逃げ場がない状態だ。
ただ、皆が総悲観になり株を投げ売っている時は、長期的に見ると良い買い場であることが多い。そこで、2022年9月23日現在の米国株のバリュエーションをチェックし、過去の買い場と比較して現在が買い場かどうか検証を行った。

 

1.現在の米国株のバリュエーション

1-1.予想PER
9月23日現在の米国主要指数の予想PERをコロナ前(2018年1月~2020年2月末)の平均予想PERと比較すると下記のようになる。
S&P500:9/23 16.42、コロナ前平均 17.54 6.4%割安
NAS100:9/23 20.92、コロナ前平均 20.98  0.3%割安
S&P500は割安、ハイテク株中心のNASDAQ100は適切価格と言える。

1-2.シラーPER
シラーPER(CAPEレシオ)はノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー氏が考案したPER。通常のPERが1年間の利益を元に算出するのに対し、シラーPERは過去10年の実績利益を元に計算するので、景気循環の影響を排除することができる。
シラーPERは25以上で過熱感を示すとされる。
9月23日現在27.9なので割高だ。

1-3.VIX指数
VIX指数とは株価変動率を表す指標の一つで恐怖指数とも呼ぶ。シカゴオプション取引所がS&P500のオプション取引の値動きを元に算出され、高いほど市場の恐怖が高まっていることを示す。
9月23日現在29.86とかなり高めだ。

1-4.Fear&Greed Index
CNNが算出しているFear&Greed Index(恐怖と強欲指数)は9月23日現在24の「強い恐怖」まで低下した。
全ての投資家が総悲観になって株を売り切ってしまえば、もう売るものがなくなって下落が止まる。強い恐怖になったのは良い兆候だ。


2.買い場に関する研究

2-1.VIX35以上、実績PER20以下は絶好の買い場
東雲製作所では過去に何度か買い場に関する記事を発表している。
そのうち、最も信頼性が高いのは「VIX35以上、実績PER20以下は絶好の買い場」だ。本記事は2008年~2019年2月のデータを検証しており、リーマンショックに対応している点が他記事より優れている。

shinonomen.hatenablog.com


本記事はコロナショック前に書いたので、コロナショックについて追加で検証してみる。
コロナショックでは、2020年2月24日にVIXが40.11まで上昇し、5月4日まで35以上が続いた。実績PERは3月13日に18.9まで低下し、「VIX35以上、実績PER20以下」という条件を満たした。
3月13日にS&P500ETFを購入すると6営業日後の3月23日に16.7%下落して底値をつけた。16.7%という下落幅は大きいものの、株価はすぐにV字回復し、2022年1月には底から220%も上昇した。3月13日に買えれば御の字だろう。
「VIX35以上、実績PER20以下は絶好の買い場」はコロナショック時も有効だった。

2-2.Fear&Greed Index20以下は買い場
「Fear&Greed Indexによるタイミング投資の検証」という記事では2017年から2020年1月のFear&Greed Indexのチャートを元に、Fear&Greed Index20以下は買い場であると結論づけている。

shinonomen.hatenablog.com


ただし、本検証期間には長期の景気後退を伴うような下落が起きていない。リーマンショック級の下落が来ても、Fear&Greed Index20以下は買い場と言えるかどうかは不明だ。

2-3.シラーPER27.5以下は長期的にはそこそこの買い場
「シラーPERとリターンの検証」はシラーPERと10年リターンは逆相関があるということを示した記事だ。本記事は1990年1月~2020年7月の長期月次データを用いており、信頼性が高い。

shinonomen.hatenablog.com


記事中のグラフを見ると、シラーPER27.5以下は10年以上の長期投資では35%以上、ほとんどが50%以上のリターンを上げている。
25以上は割高というのが定説だが、シラーPER27.5以下なら長期的にはそこそこの買い場と言えよう。

2-4.予想PER16以下は絶好の買い場
2017年以降のS&P500の予想PERのチャートを見ると、予想PERが16以下になった2回(2018年12月と2020年3月)はいずれも絶好の買い場だった。

S&P500の予想PERチャート(出典:株式マーケットデータ)

 

ただし、予想PERは2017年以降のデータが入手できなかったので、より長期でも成立する法則なのかは不明だ。


3.現在は買い場か

3-1.VIX35以上、実績PER20以下は絶好の買い場
現在はVIX29.86 実績PER18.09。実績PERは条件を満たしているがVIX指数が35に達していない。
VIX指数がもう少し上がれば絶好の買い場になる。

3-2.Fear&Greed Index20以下は買い場
現在24なのでまだ達していない。もう少し下がれば買い場になる。

3-3.シラーPER27.5以下は長期的にはそこそこの買い場
現在27.9なのでまだ達していない。もう少し下がれば長期的にもそこそこの買い場になる。

3-4.予想PER16以下は絶好の買い場
現在16.42なのでまだ達していない。もう少し下がれば絶好の買い場になる。

4つの指標とももう少しで買い場であることを示している。


4.留意点

「予想PER16以下は絶好の買い場」は米国経済が深刻な景気後退には陥らないという仮定に基づいている。
現在の予想PERは16.42なので割安だが、企業業績が10%下方修正されれば、PER18.24となり割高になってしまう。
今後企業利益が激減するリーマンショックのような景気後退が来るなら、数年間の中期的には買い場ではない。

ただし、「シラーPER27.5以下は長期的にはそこそこの買い場」は景気後退期を含む長期データから算出された法則だ。
今後米国がリーマンショック級の深刻な景気後退に陥るとしても、シラーPER27.5以下なら10年以上の長期的にはそこそこの買い場と言えるのではないだろうか。

 

stock-marketdata.com

www.multpl.com

edition.cnn.com

映画ゆるキャン△感想―「楽しむ派」の設定に「為す派」の物語を接ぎ木するな

(本稿は『映画ゆるキャン△』のネタバレを含みます。)

ゆるキャン△』(原作:あfろ、監督:京極義昭、アニメーション制作:C-Station)は私が最も好きなアニメの一つだ。それだけに、『映画ゆるキャン△』にはヒットして欲しい。映画がヒットすれば、TVシリーズ第三期を作る資金的余裕ができるからだ。そのため、興業に水を差すようなことを書くのは控えてきた。
公開から2ヵ月経ち、上映館が縮小してきたので、公開初日に観てきた感想を公開することにした。

shinonomen.hatenablog.com


『映画ゆるキャン△』はなでしこ、リン達五人組がキャンプ場を作る話だ。
キャンプをするのとキャンプ場を作るのは一見似ているようだがベクトルが正反対だ。
キャンプをする人は、テントを組み立てて一晩を過ごし、テントを解体して去っていく。キャンプは何も生み出さない、楽しむことだけを目的とした行為だ。
一方、キャンプ場作りは大規模な施設を作り出すという生産的な行為だ。

人生の目的は何かという問いに対する答えは「楽しむため」と「何かを為すため」に二分される。ここではそれぞれの立場を「楽しむ派」「為す派」と名付けよう。
キャンプは「楽しむ派」、キャンプ場作りは「為す派」の行為。『映画ゆるキャン△』は原作の人生観と真逆のことを行う映画なのだ。


物語構造にも「楽しむ派」と「為す派」がある。ハリウッド映画に代表される劇的物語は主人公が目的を成し遂げて成長するという物語構造を持つ「為す派」のフィクションだ。
一方、日常系に代表される劇的な物語構造を持たない作品は「楽しむ派」のフィクションだ。原作の『ゆるキャン△』はテーマ的にも物語構造的にも「楽しむ派」の極致のような漫画だ。

フィクションの主流は「為す派」の成長物語だ。成長物語には定番の構造があり、それに当てはめていけばある程度面白い物語になるので作りやすいからだ。
一方、楽しむ派の作品は劇的な展開を排することで、細部の面白さを際立たせようとするアプローチだ。ディティールの面白さで勝負するしかないのでより作るのが難しい。『ゆるキャン△』ではあfろ先生による丹念な取材とユーモア感覚で細部の面白さを生み出している。


『映画ゆるキャン△』の問題点は「楽しむ派」作品の設定を使って「為す派」作品を作ったことに尽きる。
「為す派」作品が悪いわけではない。私は『ゆるキャン△』が大好きだが同じぐらい『君の名は。』のような劇的な作品も愛している。
私が言いたいのは「楽しむ派」作品のガワを使って「為す派」作品を作るなということだ。例えば『孤独のグルメ』で五郎が飲食店を開業するために奔走する映画を作ったらそれは『孤独のグルメ』じゃないだろう。
逆に半沢直樹がまったりソロキャンプをする話を作っても面白くなるとは思えない。『半沢直樹』は劇的な話の展開に合うよう、振り切ったキャラクター設定にしている。半沢直樹がキャンプをしても、キャラの濃さに負けてささやかな喜びがかすんでしまう。

京極監督はインタビューで、原作ファンからは「批判されて当然」だが、「あえてチャレンジして、いろんな方に届くように映画を作るという道を選びました。」と語っておられる。『映画ゆるキャン△』を従来の『ゆるキャン△』ファン以外が見に行かないだろうという突っ込みは置いておいても、京極監督の構想には問題がある。『映画ゆるキャン△』の設定が劇的なストーリー向けになっていないのだ。

nlab.itmedia.co.jp


ゆるキャン△』にも唯一「為す派」のエピソードがある。千明、あおい、恵那の三人が山中湖湖畔で凍死しそうになる『大間々岬の冬』だ。このエピソードはあまり『ゆるキャン△』らしくないが、ちゃんと命がかかっているから劇的で面白い。「為す派」の物語を作るには、命か命並みに大事なものがかかっている状態にしないと、話に緊迫感が出ない。
『映画ゆるキャン△』ではキャンプ場が完成しなくてもがっかりなだけ。キャンプ場作りは五人の人生の主目的ではなく、一時的な目標に過ぎない。これでは視聴者を引き込めない。

どうしてもキャンプ場を作る話にするなら、キャンプ場が完成しなかったら人生破滅するぐらいキャラクターを追い込むべきだ。例えば、千明は県庁の派遣職員でキャンプ場プロジェクトが成功しなければ今年度限りでクビ、なでしこはプータロ―でキャンプ場に就職できなければ家を追い出されてしまう、しまリンは事故で作った借金を早急に返さねば大好きな愛車を手放さねばならないみたいな設定にすれば、もっと「為す派」らしい切実な話になっただろう。
そうでなくても、東京や名古屋からキャンプ場づくりのために頻繁に山梨にやって来るというのは無理がある。映画のことだけ考えるなら全員地元に残っているという設定にすべきだ。

京極監督は「映画としては当然、主人公の葛藤みたいなものを描くために強いストレスをかけるのは定石なんですけど、やってみるとなんかしっくりこない。だから、やり過ぎないようにとバランスには気を付けました。」と語っておられるが、設定とストーリーが合っていないからしっくりこないのだ。原作の世界観通りに「楽しむ派」作品として仕上げるか、原作の世界観をぶち壊してでも「為す派」作品らしく強いストレスをかけるかのどちらかにすべきだ。
本作は「楽しむ派」のあfろ先生が考えた五人の未来に「為す派」の物語を無理やり接ぎ木し、バランスに気を付けて作ったせいで何とも中途半端な作品になってしまった。


キャンプ場作りをテーマにした弊害は映画の細部にまで及んでいる。
原作の『ゆるキャン△』は「キャンプ場につくまでがキャンプですよ。」「ついてからは何なんだよ。」のようなウィットに富んだやり取りが大きな魅力になっている。彼女達はただ楽しむためにやり取りしているので、中身のない、高等遊民的なやり取りが交わされる。
一方、『映画ゆるキャン△』で五人はキャンプ場を建設するために文字通り建設的なやり取りを交わす。目的を持った中身のあるやり取りなので、下らなさ、ユーモアが消え去ってしまい、会話劇として全然面白くない。
特に許しがたいのが、犬子(あおい)が全く奇天烈なホラを吹かないことだ。犬子のホラに千秋が突っ込むのはゆるキャン△の会話劇の肝。犬子のホラを再現できないのなら、オリジナルなどやるべきではない。


私はかねてからTVシリーズの続きに当たる大井川編を映画化すれば良いと主張していた。大井川編はちょうど映画にするのに良い長さだし、吊り橋のようなスペクタクルもある。夜明けのシーンはぜひ大画面で見てみたい。
私は京極監督が「映画はオリジナルで行くぜ」とか言い出したのかと思って憤っていたのだが、監督インタビューを読むと、原作のストックが全くない状態で映画の企画が持ち上がったので、オリジナルで作るしかなかったのだと言う。
おそらくストーリーの骨子が出来上がった時点で、京極監督も脚本の田中氏、伊藤氏もプロデューサーもあfろ氏もこのままではいかんと思っていたのだろうが、巨額の金が動いているという大人の事情から、ゼロベースで企画を立て直すべきだとは言い出せなかったのではないか。
私は部外者なので言いたい放題言っているが、関係者だったとして、いったん白紙に戻すべきだと強く主張できたかどうか、考え込んでしまった。

yurucamp.jp

新聞は旧統一教会に関する報道が少ないか

はてなブックマークでは旧統一教会に対する批判が高まっている。
はてブでは7月26日~8月10日の人気エントリーに旧統一教会関連記事が平均9.4本入っている。人気エントリーは49本なので、約5分の1が旧統一教会関連で占められている。
特に自民党の福田氏が「何が問題か分からない」と発言した7月29日には17本もの関連記事が人気エントリー入りした。

統一教会問題では、週刊文春、新潮などの週刊誌が積極的に追及を行っている。
週刊文春 8月4日号は「統一教会の闇」として総力取材。
自民党工作をスッパ抜く!」、「内部告発者”第一号”が「私はメッタ刺しにされた」」、「合同結婚式「性とカネ」」と巻頭から3本の特集記事を並べている。
週刊新潮 8月4日号も「「安倍」と「統一教会」ズブズブの深淵」と題して巻頭で大きく報じている。

テレビ局は日本テレビ(特に『情報ライブ ミヤネ屋)やTBSが初期から積極的に報じている一方、NHKは報道が少ないと指摘されている。

新聞では日刊ゲンダイがさかんに報じているものの、大手紙には目立った報道が見られない。

統一教会問題に取り組んできた山口広弁護士は「私はもう、日本のテレビと新聞はレベルダウンが著しいと思っています。」「何ですか!『特定の宗教団体』としか言わないじゃないですか」とテレビや新聞がなかなか「旧統一教会」の固有名詞を報じなかったことを批判されている。

私が持っているHDDレコーダーは同時録画ができないので、テレビについて報道量を比較検証することは難しい。
そこで新聞について、旧統一教会に関する報道が少ないのか定量的に検証してみた。
調査を行ったのは7月26日から8月10日(休刊日の8月8日を除く)までの朝日新聞と読売新聞(東京本社版)朝刊。旧統一教会についてメインで扱っている記事について、定規でサイズを測って面積を算出した。(つながっている記事はまとめてサイズを測っている場合がある。)

200cm^2より大きな記事は太字で示した。


朝日新聞の旧統一教会関連記事は下記の通りだ。
7月26日
29面 旧統一教会と接点 議員次々 905.4cm^2

7月27日
4面 超党派で調査 旧統一教会巡り弁護士提言 112.7cm^2
30面 旧統一教会系催しの委員長 292.4cm^2

7月28日
30面 旧統一教会系催し 岐阜県後援 190.9cm^2

7月29日
30面 旧統一教会と議員 関係説明は 600.3cm^2

7月30日
4面  自民・福田総務会長、旧統一教会「何が問題かわからない」
   木原副長官、旧統一教会「反社勢力の定義困難」 69.6cm^2

7月31日
1面  天声人語 117.8cm^2
25面 旧統一教会 政治と依存し合う 825cm^2
26面 維新の議員13人旧統一教会接点 104.1cm^2

8月1日
25面 旧統一教会との関係 首相「議員が説明を」 120.7cm^2

8月2日
27面 旧統一教会 対応鈍い自民 581.4cm^2

8月3日
10面 旧統一教会 自民は実態調べ決別を(社説) 264cm^2
21面 「宗教2世」孤立させないために 681.5cm^2
26面 岸防衛相「関係見直す」
   維新13議員が接点 立憲も新たに3人 505.7cm^2
27面 旧統一教会の名称変更 異例報告 735.3cm^2

8月4日
30面 自民・井上議員が「おわび」 294.6cm^2 

8月5日
1面  天声人語 117.8cm^2
30面  容疑者は「特別な人間」ではない 363.4cm^2
   下村氏「責任感じる」 106.6cm^2
   「教団との関係断ち切るべき」 122.1cm^2

8月6日
4面  細田氏の説明 共産が求める 81.7cm^2

8月7日
1面トップ  教団票「10万票は切らない」 408.5cm^2
2面 自民と旧統一教会共鳴の半世紀 1324.4cm^2
3面 首相「教団との関係、点検を」 157.62cm^2
26面 旧統一教会返金放棄の「合意書」 325.4cm^2

8月9日
1面 教団恨む投稿以前にも 133.5cm^2
3面 閣僚相次ぐあいまい説明 462.7cm^2
28面 「申請不受理の違法性」指摘 
   教団との関係 自民幹事長、点検通知へ
   教団側と接点 維新・松沢氏も 269.64cm^2

8月10日
1面  天声人語 117.8cm^2
9面 旧統一教会社会との関係 1324.4cm^2
26面 教団の友好団体二つに会費支出 80.8cm^2

1日当たり平均記事サイズ 786.5cm^2

8月2日までは1面で扱ったのが天声人語だけだし、会見内容を報じたり専門家に話を聞いたりしているだけで独自取材記事がない。はてなで大炎上していた福田総務会長の「何が問題かわからない」発言も、4面の小さなベタ記事にしかなっていない。
一応最低限のことは報じているが、明らかに熱心ではない。8月2日までは報道が少なかったと言えるだろう。
8月3日に社説で扱ってから、明らかに記事が増えている。編集会議等で大きく報じる方針へと転換したのだろう。
8月7日には1面トップで報じている他、2面全体を使って「自民と旧統一教会共鳴の半世紀」という特集記事を載せている。最近は積極的に報じていると言って良いだろう。


次に、読売新聞の旧統一教会関連記事を示す。
7月26日
4面  旧統一教会対策立民検討へ 63.8cm^2

7月27日
4面  2閣僚 旧統一教会と関係 96.8cm^2

7月28日
4面  宗教団体へ献金 上限規制を検討 維新 44.2cm^2

7月29日
なし

7月30日
4面  旧統一教会と党「何が問題か」 35.3cm^2
29面 「選挙目的」旧統一教会と関係 629cm^2

7月31日
4面  旧統一教会関連維新13議員参加 49.1cm^2
4面  福田氏が発言釈明 31.1cm^2

8月1日
4面  旧統一教会関係「丁寧に説明を」首相 55.4cm^2

8月2日
なし

8月3日
4面  自民旧統一教会「関係ない」 186.8cm^2

8月4日
4面  自民井上氏 旧統一教会との関係謝罪 89.3cm^2

8月5日
4面  旧統一教会自民が苦慮 601.9cm^2

8月6日
4面  旧統一教会2閣僚も関係 186.6cm^2

8月7日
4面  旧統一教会関係を点検 236.4cm^2

8月9日
1面  旧統一教会関係「基本持たない」 33.6cm^2
4面  松沢氏旧統一教会接点 17.6cm^2
30面  冷戦下影響力拡大 308.6cm^2
31面  議員「お墨付き」憤り 629cm^2

8月10日
4面  旧統一教会との関係見直し通達 35.7cm^2
27面  宗教2世深い悲しみ 660.5cm^2

1日当たり平均記事サイズ 266.0cm^2

読売新聞も8月9日までは消極的な報道に終始していた。7月30日に29面(社会面)で大きめの記事を出した他は、全て4面でしか扱っておらず、ほとんどがベタ記事だ。
政治記事を扱う4面中心なのは、主に社会面に記事が載っている朝日新聞と好対照をなしている。読売新聞社会部は旧統一教会に対しほぼノータッチで政治部に任せるという姿勢を取っていたのだろう。
読売新聞はコラムや社説でも取り上げていない。1日当たりの記事サイズは朝日新聞の3分の1程度で、朝日新聞よりかなり消極的だ。
8月9日から社会面で旧統一教会に関する連載を始めた。読売新聞もようやく重い腰を上げて旧統一教会について本格的に報じ始めたようだ。


記事の量と扱う面の他に、見出しの付け方にも違いが見られる。
朝日新聞が「自民と旧統一教会共鳴の半世紀」「旧統一教会 自民は実態調べ決別を」と自民党統一教会のつながりを強調しているのに対し、読売新聞は「自民旧統一教会「関係ない」」「議員「お墨付き」憤り」と、自民党とのつながりを矮小化するか、触れない見出しをつける傾向があることも分かった。


はてなブックマークの記事の数(右軸)、朝日新聞、読売新聞の記事の量(左軸)を比較したグラフを示す。


記事の量が増加する時期がはてなブックマーク(7月29日)→朝日新聞(8月3日)→読売新聞(8月9日)の順に変化していることが分かる。
統一教会批判の世論が盛り上がることで、新聞が無視しておけなくなり、左派系の朝日新聞、次いで右派系の読売新聞が大きく扱いだしたことが伺える。
私ははてなブックマークをスターが欲しいから使っているだけなのだが、マスメディアに対するプレッシャーの一助になっているのであれば、ブコメをつけることにも多少の社会的意義があるのかもしれない。


まとめ
7月26日~8月10日の朝日新聞と読売新聞朝刊について旧統一教会関連記事の面積を調査した。
朝日新聞の1日当たり平均記事サイズは786.5cm^2。8月2日までは報道量が少なかったが、8月3日以降は大きく扱っている。
読売新聞の1日当たり平均記事サイズは266.0cm^2で朝日新聞の3分の1程度。8月9日以降はやや大きく扱い始めた。
朝日新聞は見出しで旧統一教会自民党のつながりを強調、読売新聞はぼやかす傾向がある。

 

乙一「プロットの作り方」感想――型を使ってこそ自由に創作できる

『ミステリーの書き方』(日本推理作家協会編著、幻冬舎を読んでいる。480ページもある分厚い本で、日本推理作家協会に所属する43名の著名作家がそれぞれの得意分野について創作法を伝授してくれるという贅沢な本だ。
中でも乙一氏による「プロットの作り方」は論理性、有用性で一頭地を抜いている。
ハリウッド映画のシナリオ執筆法を参考に構築したという氏のプロット構築法は下記の通りだ。

一章
A「一つ目のパート:登場人物、舞台、世界観の説明」
a「一つ目の変曲点:問題の発生」
二章
B「二つ目のパート:発生した問題への対処」
b「二つ目の変曲点:問題が広がりを見せ、深刻化する。それによって主人公が窮地に陥る」
三章
B「三つ目のパート:広がった問題に翻弄される登場人物。登場人物の葛藤、苦しみ」
c「三つ目の変曲点:問題解決に向かって最後の決意をする主人公」
四章
B「四つ目のパート:問題解決への行動」
それぞれの章の完成原稿は均等な長さになるよう心がける。

乙一氏のプロットの作り方の特徴は汎用性が高いことだ。
比較のため、代表的なハリウッド式のプロット構築術である『ハリウッド脚本術』(ニール・D・ヒックス著/濱口幸一訳、フィルムアート社)のストーリー要素を挙げる。

1.バック・ストーリー
2.内的な欲求
3.キッカケとなる事件
4.外的な目的
5.準備
6.対立(敵対者)
7.自分をハッキリと示すこと
8.オブセッション
9.闘争
10.解決

『ハリウッド脚本術』では、敵対者と最終決戦をして勝利するという流れがプロットに組み込まれているので、ハリウッド的な物語しか作ることができない。
一方、乙一氏の方式はより抽象度が高い。逃げ出したり、敵対者と和解したりして解決しても良いのでより多様な物語を作ることができる。


乙一氏のプロットの作り方には二つ注意点がある。
一つは短~中編向きで長編には向かないということだ。長編の場合、起承転結起転結のように第二の問題を発生させないと話がダレてしまう。

二つ目は長さをぴったり均等にする必要があるのか疑問だということだ。
4パートの長さは均等が良いというのは映画における経験則に基づいていると思われる。だが、4パートの長さが10:10:10:10の場合と、少し長さを変えた場合(11:10:10:10など)を被験者に鑑賞させ、ぴったり均等がもっとも評価が高かったというような実験結果を得ているわけではないだろう。
また、映画の場合均等にすれば視聴者は同じ時間をかけて鑑賞するが、小説の場合、会話と描写で読者の読む速度が異なるので、行数を同じにしても読むのにかかる時間は同じにならないという問題もある。
普通の小説では二章が長めで、主人公最大の窮地は物語後半に来ることが多い。4パートの長さはぴったり同じにしなくても良いのではないか。


本稿を読んでもっとも感じたのは型の強さだ。発想のユニークさが卓越している乙一氏の小説が、きっちり型を守ることで生み出されているのが面白い。
完全に自由に書こうとしても、面白いストーリーでなくてはいけないという枷があるので、かえってありがちな展開になってしまう。
型を守れば型によって面白さが担保されているので、思い切り自由に発想を飛ばすことができるのだ。

 

明日ちゃんのセーラー服感想――興味はコミュ力に勝る

(本稿は『明日ちゃんのセーラー服』のネタバレを含みます。特に大きなネタバレは反転しました。)

 『明日ちゃんのセーラー服』(原作:博、監督:黒木美幸、アニメーション制作:CloverWorks)はど田舎で育った明日小路がセーラー服に憧れてお母さんの母校に入学。お母さんに仕立てて貰ったセーラー服で登校したら制服がブレザーに変っていてセーラー服なのは小路だけという出落ちみたいなアニメだ。出だしが面白すぎるのでネタが続かないんじゃないかと懸念していたが、その後も面白い。
 今まで同級生がいなかった小路がクラスメート達と次々友誼を結んでいく話なのだが、ささやかな心の揺れをしっかり描いているので、劇的なことは起きないのに一話を見る毎にスタンディングオベーションをしたくなるような満足感がある。

 特に好きなのは第七話だ。第七話はギターが弾けないのに見栄を張って弾けると言ってしまった蛇森が練習して小路の前で一曲を披露するというだけの話だ。だが、頑張って進歩している同級生への劣等感や、コツコツ練習してきたことを丁寧に描いているから、観客が一人だけの演奏会なのにかけがえのないものに聞こえる。蛇森の弾くチェリーがまた、素人が頑張って練習したというのがはっきり伝わってくる押さえの甘いコードだとか、恥ずかしがりながら精一杯歌っているのをひしひしと感じるぶっきらぼうな感じの歌声とか、全てがリアリティ抜群で素晴らしい。
 才能に溢れた木崎によるバイオリンやピアノの演奏は見事だが、自分とは別次元の話に感じる。帰宅部で特別な才能もない蛇森がそれでも頑張って一曲弾いたのを見ると、人生の一瞬は常にかけがえのないものになりうるのだと感じ、生きる希望が湧いてくる。

 小路は次々友達を増やしていくのでコミュ強のようだが、良く見ると、友達を家に誘うのに延々時間がかかったりと別にコミュニケーションが上手いわけではない。にもかかわらず、友達を増やせているのは他人に対する興味が強いからだ。
 小路は相手に対して興味があるということをまっすぐに表明する。人間関係を築く上で最も重要なのは相手に対して興味を持つことだ。コミュニケーションテクニックというのは、相手に対して興味があるかのように見せかける技術であって、本当に興味があることに勝るものはない。人は誰しも自分に対して興味を持ってもらいたい、自分のことを知って欲しいと思っているからだ。

akebi-chan.jp

 

葬儀雑感

母が亡くなった。東雲製作所も三週間ほどお休みを頂いた。
再開にあたり、まずは母の葬儀に関して感じたことを書いておきたい。


1.会葬令状は自分で書け
葬式では出席者に喪主から会葬令状が配られる。故人を偲び、出席者に感謝を伝える往復はがき大の挨拶状だ。
会葬令状の文章は葬儀社の専門家が、喪主から数分間電話で故人について聞き取りを行って作成する。
前日打ち合わせの席で、専門家が書いた文章が提示されたのだが、「人と人とのつながりがいかに大切かを教えてもらった」など私が全然言ってないことが書いてあったのでその場で考えて直してもらった。
最低限度の所は直したけれど、推敲に数分しかかけられなかったので細かい部分で不満が残った。

葬儀社の担当者は会葬令状を書くプロなので、全体としてまとまりのある耳あたりの良い文章にする能力は長けている。文章を書くのが苦手な人には良いシステムだ。
だが、担当者は故人について数分間又聞きしただけの他人にすぎない。ブログで日常的に文章を書いているような人なら、文例を元に自分で書いた方が良い文章になるだろう。

文章を書いているとどうしても「人と人とのつながりが大切だ」みたいなベタな結論を書いて話をまとめたくなるが、そうすると往々にして真実から遠ざかってしまう。丹念にディティールを積み重ねていかねばならない。


2.葬儀費用や戒名料が高いのは後悔を埋めるため
葬儀は葬儀会社に依頼したのだが、費用が高くて驚いた。
特に燃やしてしまう棺などが非常に立派なのはもったいない。結婚式が終わったらウェディングドレスを燃やしてしまうようなものだ。
火葬場で遺体だけ取り出して火葬し、棺は再利用した方がエコなのではないか。
戒名料も高かった。実家は浄土宗で念仏を唱えるだけで誰でも極楽浄土に行けるという教えなのだから、立派な戒名などいらないのではないか。

故人が生前に自分でプランを選ぶようにしたら、葬儀費用は格段に下がるだろう。
「孝行をしたい時には親はなし」というが、私も母にもっと色々してあげれば良かったと後悔している。
葬儀費用が高いのは、故人のためにもっとできたんじゃないかという後悔を埋めるためではないか。
恩など何もなく迷惑しかかけられてないような故人なら、古新聞で包んで火葬、戒名は三文字で五万円ぽっきりみたいなプランで十分だろう。そんなプランはないと思うが。


3.時間をかけて受け入れる
葬儀の一連の流れの中では、納棺の儀、葬儀の前のお別れ、花入れと何度も故人と対面して別れを告げるセレモニーがあり、徐々に別れを受け入れることができた。
また、四十九日の間はお骨を家に置いておき、徐々に日常に戻るシステムになっているのも良くできていると感じた。
一方、火葬場で一時間で骨になるのは早すぎる。棺いっぱいの花で飾られた母が、一時間後にはぼろぼろ崩れ落ちた骨になっていたのにはショックを受けた。遺族が時間をかけて受け入れるという点では土葬の方が良いし、火葬するにしても昔のように一晩かけて行った方が生理的に受け入れやすい。

晩年の母は認知症だった。社会人になってからも毎日弁当を作ってくれた母、私の小説の良い所を探して褒めてくれた母、私がはてな仕入れてきた益体もない話を面白がって聞いてくれた母は時間をかけて失われていった。
もし母が一気に失われていたら、耐えきれなかったかもしれない。

大どんでん返し創作法感想

『大どんでん返し創作法:面白い物語を作るには ストーリーデザインの方法論』(今井昭彦著、PIKOZO文庫)はラジオCMディレクターとして小説や漫画のCMを1000本以上作ってきた筆者による小説の書き方本だ。
面白いストーリーを作るために最も重要なのはどんでん返しであると説く筆者がどんでん返しを分類し、機械的に作る方法を解説している。

物語の作り方本の多くは、「キッカケとなる事件」「ミッドポイント」「闘争」といった物語を構成する諸要素を列記し、前から順に作っていくよう説いている。本書は諸要素の中でどんでん返しが最も重要だと明示し、どんでん返しから作れと説いている点が優れている。

成長物語におけるどんでん返しは主人公にショックを与え、成長を促すためにある。従って、必ずしもどんでん返しである必要はなく、庇護者が死ぬなど衝撃的な出来事が起きても良い。だが、衝撃的な出来事に比べ、どんでん返しは伏線回収の気持ちよさも味わえるという点でより優れている。

本書ではどんでん返しを四つの基本形に分類している。
1)敵の正体が明らかになる
2)死んだはずの敵が甦る
3)失われたはずの力が復活する
4)探しものは自分のそば(内部)にあった

小説や漫画に精通している著者ならではの分類だが、具体的過ぎて抜けが生じている。例えば『君の名は。』のどんでん返しは上記のどれにも当てはまらない。
1)敵の正体が明らかになる
2)敵の有無が反転する。
3)目的の正体が明らかになる
4)目的の有無が反転する。
とした方がより包括的になるのではないか。これなら『君の名は。』のどんでん返しは4)に当てはまる。


本書の白眉はスティーブン・キングの理論を援用して敵をドラキュラ【主人公の外部に存在する恐怖】、狼男【主人公の内部に巣食う恐怖】、フランケンシュタイン【主人公が生み出した恐怖】の3パターンに分類し、「敵はAだと思っていたらBだった」のABに当てはめると6パターンになると説いている箇所だ。数々の敵の正体に関するどんでん返しがすっきりと整理されていて目から鱗が落ちた。
私は「主人公」「敵対者」「依頼者」「援助者」「助手」という5種類のキャラクターの役割を「Aだと思っていたらBだった」のABに当てはめ、5×4=20パターンに分類してみたことがある。だが、敵対者がからまないどんでん返しはインパクトがない。例えば依頼者だと思っていた人が実は援助者だったと分かっても別に驚かない。敵対者の種類で分類したのは上手いやり方だと感心した。

本書では敵の正体に関するどんでん返しを6パターンに分類しているが、成長物語としての有効性という点でさらに数を絞り込むことができる。
本書でも指摘している通り、敵の正体が分かった時に主人公が受けるショックは【主人公が生み出した恐怖】>【主人公の内部に巣食う恐怖】>【主人公の外部に存在する恐怖】の順に大きい。
成長物語では、主人公にとってよりショックなことが発覚すべきだ。
例えば、「自分の過失せいで人が怪我したのかと思っていたら、実は自分とは無関係の通り魔に刺されただけだった」というどんでん返しでは、主人公は「なーんだ」とほっとしてしまい、成長しない。
逆に「自分とは無関係の通り魔だと思っていたら、犯人は過去の自分が行ったいじめに対する復讐を目論んでいた」というどんでん返しだったら、主人公はショックを受けて過去のいじめを反省し、成長しようとするだろう。
従って、敵に関するどんでん返しのうち、成長物語として有効なものは下記の3パターンしかない
1)敵は【主人公の外部に存在する恐怖】だと思っていたら【主人公の内部に巣食う恐怖】だった。
2)敵は【主人公の外部に存在する恐怖】だと思っていたら【主人公が生み出した恐怖】だった。
3)敵は【主人公の内部に巣食う恐怖】だと思っていたら【主人公が生み出した恐怖】だった。
どんでん返しと聞いても漠然としていて、どう作って良いか分からないが、有効なパターンはそう多くないのだ。

141ページの小冊子だが、得る所の多い本だ。