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賭博師は祈らない感想―どうでもいいは強いが意味がない

『賭博師は祈らない』(周藤蓮著、電撃文庫)は第23回電撃小説大賞金賞受賞作だ。ライトノベルには珍しい歴史小説で、18世紀末イギリスの文化を丹念に調べて書いている。
 主人公ラザルスは店に睨まれないため大きく勝たない主義の賭博師だが、ある日、ちょっとしたミスで大きく勝ってしまう。店に利益をキックバックするため奴隷の少女リーラを買ったことから彼の生き方は大きく揺らいでいく。
 本作の白眉は何と言ってもクライマックスのギャンブルシーンだろう。常人離れした賭博師とディーラーが、運の力に頼らず、完全に理詰めで真っ向勝負する様に痺れた。

 ラザルスの口癖は「どうでもいい」だ。どうでもいいというスタンスの者は強い。どうでも良くないこだわりを持っていると、そこが足かせになり、自由に、合理的に立ちまわることができない。
 ラザルスの友人で拳闘士のジョンはストリートファイトをルールのある競技にしようという信念があるため、何でもありで向かってくる敵に対し、不利な闘いを強いられる。

 現実にもこだわりがあるとないより苦労する。例えば小泉首相郵政民営化を何としても成し遂げたいというこだわりがあったために、党内を二分してまで戦わねばならなかった。安部首相は譲れない政治的信念を持たないので、消費増税して党内の増税派にも配慮するなど融通無碍に政策を変えて政権を維持することができる。

 しかしながら、こだわりや信念を持たず、どうでもいいというスタンスを取ることにも欠点がある。どうでもいいを突き詰めていくと、何のためにやっているのかが分からなくなるのだ。何もかもどうでもいいのなら、人生に意味がなくなってしまう。
 楽しければ良いという快楽主義者でも、死の淵に立った時、自分の人生に何の意味もなかったと突きつけられたら、胸が締め付けられるだろう。意味がないということを受け入れるのは難しい。

 近代以前の人間は、宗教や家などに意味を預けていた。神や仏を崇拝したり、先祖代々守ってきた家を継承したりと、自分より大きなものに従うことで生きる意味を得ていた。そういう生き方は不自由で非合理的だが、生きる意味には悩まずに済んだ。
 現代人は宗教や家制度から開放されて自由を得、合理的に振る舞えるようになったが、生きる意味は自分で探さねばならなくなった。自由や合理性には価値があるが、生きる意味足り得ない。意味を得るためには何らかの形で他者が必要なのだ。
 本作は18世紀の話だが、極めて今日的な課題を読者に突きつけている。