ナイツは昔から大好きな漫才師だ。膨大な数のボケを畳み掛けてくるヤホー漫才を生み出しただけに留まらず、他の漫才師のスタイルのパロディをやったり、「俺ら東京さ行ぐだ」にひたすらツッコミ続けたり、英語で漫才をやったり、今も次々と新しいスタイルを生み出している。
「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」(ナイツ塙宣之 聞き手中村計、集英社新書)はそんなナイツのボケ、塙宣之氏が書いた漫才論ということでかなり期待して読み始めたのだが、期待を上回る面白さであっという間に読み終わってしまった。
本書には三つの魅力がある。一つ目は漫才論として優れていることだ。
漫才の面白さの核心について論理的に分析している他、現在活躍中のほとんどの漫才師に対して、どこが優れていてどこがダメなのかをズバズバ指摘している。
M-1は「漫才という競技の中の一〇〇メートル走の日本一を決める大会」だとか、「関西のしゃべくり漫才はロック」で「オードリーはジャズ」など、なるほどと唸らされる指摘が多い。若手の漫才師はみな、ボロボロになるまで読んでいるんじゃないだろうか。
二つ目の魅力は普遍的な仕事論になっていることだ。
以下は塙氏にとってターニングポイントとなった気づきについて書かれた個所だ。
もう一つ気づいたこと。それは、好きなことをしゃべればいいんだということです。
それまでの僕は、ネタ中に噛んでしまうことがよくありました。原因は練習量や技術が足りないからだと考えていました。ところが、そうではなかったんです!
小ボケをしているときは絶対、噛まないのです。自分のオリジナルのネタだから。自分がそういうのが好きだから。
私は仕事上のミスが多く、何で自分はこんなにポンコツなんだ、とうんざりしていたのだが、それは仕事が好きではなく気持ちが入っていなかったからではないか、と気付かされた。
確かに好きなことをやっている時、例えばブログの記事を書いている時は、自分の能力が十全に発揮できている。好きでないことは主体的に取り組めていないからミスをするのだ。
仕事をやる上では上司や客先から制約を受け、嫌なこともしなくてはならない。だが、能力が高まる、好きなことをする方が、本人にとっても周囲にとってもWIN-WINであるはずだ。
塙氏は自分が好きな小ボケを連発するというスタイルを築いてブレイクした。嫌なことをする能力を磨くより、自分が好きなことをできるような環境を構築することに努めるべきではないか。
三つ目は青春小説としての魅力だ。本書はM-1という「初恋の人」に何度も挑んでは敗れてきた悔しさが赤裸々に語られている。それだけに、エピローグの審査員として帰ってきた時のエピソードには泣きそうになった。
お笑いには誰かをバカにする笑いと、慈しむ笑いとがある。塙氏は自虐ネタのような前者の笑いを嫌い、好きなことを語ったり、変な人を暖かく見守るような後者の笑いを好む。
人間には善悪両面があり、前者の笑いは人間の悪、後者は善の現れだ。塙氏は人間の善性を信じているのではないか。だから、こんなに読後感が温かいのだ。