東雲製作所

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命令とカリスマと善意の応答――小中学校入学式感想

 地域の仕事をすることになり、地元の小中学校の入学式に参加した。
 中学の入学式では「起立、礼、着席」という号令で、生徒、保護者、来賓が一斉に行動する。ありふれた光景だが、よく考えてみると、保護者や来賓に対し、「起立!」と命令するのはおかしい。会社の記念式典で、取引先からやって来た来賓に「起立!」と言ったら激怒されても仕方ないだろう。
 学校はみんなそうなのかと思っていたが、小学校の入学式では「お立ち下さい」と言っていたので、中学(とおそらく高校)だけ規律重視のローカルルールが導入されているようだ。

 中学入学式の白眉は女子生徒会長による歓迎の言葉だった。校長やPTA会長は紙を見て話していたのだが、生徒会長は何も見ず、しっとりとした良く通る声で語りかけており、カリスマ性が際立っていた。
 内容も、「ここ数年、桜は新入生を待ちきれないでいるようです。しかし、葉桜も悪くありません。」という文学的掴みから入り、「○○中学校は日本一の中学を目指しています。みなさんの心の中にそれぞれの日本一があるのです。」とか「日本一の次は、世界一、宇宙一を目指します。ワクワクして来ませんか。」とかキレッキレで滅茶苦茶格好良かった。
 人の上に立つ人間とはこういう人を言うのだろう。いずれは名高い政治家になるのではないだろうか。

 一方、小学校の入学式では、新入生がいちいち返事をするのが可愛かった。校長が挨拶で「○○して下さいね。」と言うと元気よく「はい!」と返事をするし、来賓が「入学おめでとうございます。」と言う度に「有難うございます。」と答えている。大人になると、素直に善意の応答がなされることは少なくなってしまうので、心が洗われるようだった。
 小学一年生の頃は持っていた善意に善意で応答する素直な心を、多くの人が大人になっても持ち続けることが出来れば、素晴らしい社会になるのではないか。

 なぜ、多くの大人は素直な心を失ってしまうのだろう。一因として中学、高校の教育があるのではないか。
 小学校の入学式では生徒会長の挨拶に温かい拍手が送られたのに対し、中学校では生徒会長がスタンディングオベーションを受けるべき素晴らしい挨拶をしたにも関わらず、誰も拍手をしなかった。来賓がおめでとうございますと言っても新入生は黙ったままだし、善意の応答がなされていない。中学でも温かい善意の応答を行うべきではないか。

 中学で規律重視の教育を始めたのは、盗んだバイクで走りだすような生徒に対処するためだろう。しかし、今や盗んだバイクで走りだしたり校舎の窓ガラスを割ったりする生徒のことなどほとんど聞かない。
 中学や高校で、理不尽な校則がたくさん残っていることが問題になっている。荒れていた時代のままの規律を緩め、もっと和やかにした方が良いのではないだろうか。