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行為には責任が伴う――万引き家族感想

(本稿は万引き家族の抽象的なネタバレを含みます。)

 『万引き家族』(是枝裕和監督)を見終わった直後はそれほど傑作だとは感じなかった。確かに安藤サクラ氏の泣きの演技は素晴らしかったが、冗長な部分も多いように感じたのだ。だが、時間を置いて、感想を書くためにあれこれ思い返していると、次々新たな発見が出て来て、数日後には間違いなく傑作だという考えに至った。こういう感覚になったのは『この世界の片隅に』以来二回目だ。

 『万引き家族』は両義的な映画だ。あらゆることが良い面と悪い面の両面を持つよう、慎重に設計されている。
 家族関係は優しいが金目当てだし、犯罪に手を染めるのは生活のために仕方ない面もあるが、明らかにやりすぎな面もある。彼らが貧乏なのは社会のせいであり、自業自得でもある。
 花火が家から見えないシーンが象徴的だ。ビルに囲まれたボロ家から花火が見えないのは、社会の繁栄が彼らに届いていないことを象徴している。一方で、家を出て外に行けば見えるのに、そうしないからでもある。家族の心地良い関係は、彼らの心を慰めると同時に、日なたの世界へ出ることを阻害してもいる。

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 徹底的に一面的なものの見方を排した本作だが、唯一明確に発しているメッセージがある。「行為には責任が伴う」ということだ。自分の行為は周囲に影響を及ぼすが故に責任が伴う。そのことを自覚することが大人の条件だ。
 子どもにやって良いことと悪いことを教えるのが親の役目だ。だが、本作の祥太に規範を教えたのは父の治ではなく、駄菓子屋だった。治はあらゆる責任から逃げ続けているが故にいつまでたっても大人になることができない。

 ラスト近く、祥太が治に重大な告白をする。これは最後のチャンスだった。治は息子にそんなことをしては駄目だと叱るべきだった。世間的には間違っていようとも父として息子に規範を示し、父親としての責任を果たすべきだった。だが、治はそうはせず、ただへらへらと受け流しただけだった。祥太はそのことによって完全に父に失望し、大人になる。

 あらゆる責任から逃げるということは、何一つ信念を持たないことでもある。柴田治というあまりにも悲しい男のことが頭から離れない。

 

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 物語る亀の評論。バスのシーンを私は「振り返ったがもう父の姿は見えない」のだと思ったが、カメ氏は「父のことを思い返しつつ、彼らは成長する」と解釈されていて感心した。