東雲製作所

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フィクションの感動はバズらない――ゆるキャン△第5話感想

 アニメ「ゆるキャン△」(あfろ原作、京極義昭監督)の白眉と言えば第5話「二つのキャンプ、二人の景色」だろう。
 ゆるキャン△は女子高生がまったりキャンプをするという癒し系の作品だが、「アニメ「ゆるキャン」で東山奈央が「くぁwせdrftgyふじこlp」を全力で発音」した件など、ネタ的にも盛り上がりを見せていた。中でも第5話「二つのキャンプ、二人の景色」はおっぱいとパスタで話題になった。

 おっぱいというのは、開始6秒で登場した下着姿の犬山あおいが巨乳だったと明らかになるシーンで、衝撃を受けた視聴者が続々と犬山あおいのイラストを書き始めたらしい。はてなでも
「犬山あおいの胸問題」を考察する ~重力による乳の実在性獲得仮説~
巨乳主義の精神とプロテスタンティズムの倫理  という二つの記事が同時にホットエントリー入りを果たしておっぱい祭りみたいになっていた。

wasasula.hatenablog.com

honeshabri.hatenablog.com


 前者の「本編開始より6秒」。ウサイン・ボルトよりも速い。も印象深いが、後者は面白いだけでなく現在の世界がプロテスタント的価値観に支配されていることが良く分かる、大変勉強になる記事で感心した。

 

 同じ5話では、中盤あたりで志摩リンがパスタを真っ二つに折ったシーンでイタリア人が激怒したことも話題になった。

www.all-nationz.com


アウトドア用の小鍋に入らないんだからしょうがないだろうと思うが、それだけイタリア人はパスタに思い入れが強いのだろう。

 

 だが、実際に5話を見てみると、おっぱいもパスタもさほど印象に残らなかった。演出的にも特におっぱいやパスタを強調するSEが使われている訳でもない。作り手が意図していない細部に視聴者が勝手に食いついたという印象だ。

 それより私はラストシーンに感動し、泣いてしまった。5話はなでしこ達野外活動サークルの三人が山梨に、リンが長野にキャンプに出かけた様を交互に描く。こういう部活ものでは、リンのように単独行動を愛する人も、ハルヒみたいな奴に強引に仲間に引きずり込まれ、そのうち仲間って良いな、と宗旨替えしてしまうことが多い。だが、本作ではリンもなでしこも互いの意志を尊重し、自由を愛するリンは一人で、仲間とわいわいやるのが好きななでしこは仲間と一緒にキャンプに出かける。


 別の場所に出かけた二人だが、LINEによってつながっている。この自由でいたいが繋がってもいたいという二律背反をぎりぎりのバランスで成立させた距離感が素晴らしい。そして二人は互いに相手のために夜道を進み、夜景の写真を贈りあう。物を贈り合うことで絆を深めるという行為は原始的部族社会から行われてきた極めて根源的な行いだが、使われているツールはスマホという最新のテクノロジーだ。このシーンでは原初的な贈答の素晴らしさと、離れていても繋がれるテクノロジーの素晴らしさという人類数百万年の歴史がぎゅっと濃縮されていて心うたれた。
 オーバーラップした夜景を眺めながら二人が並んでいる演出も素晴らしく、きっと多くの人が心動かされたはずだ。実際、「ゆるキャン 5話 感想」でググると、ラストシーンで感動したという感想記事がヒットする。だが、ネットでバズったのはこのラストシーンではなく、おっぱいとパスタである。何故なのか。

yurucamp.jp


 インターネットでは感動的なシーンは話題になりにくいのだろうか。だが、オリンピックで小平奈緒選手がイ・サンファ選手に滑り寄り、「今でも私はあなたを尊敬しているよ」と伝えたシーンなどは、大きな話題となった。感動的なシーンがバズらないのではなく、フィクションの感動的なシーンがバズりにくいのではないだろうか。

 何故フィクションの感動的なシーンは話題になりにくいのだろう。フィクションの感動には作り手の意図がある。作り手の意図にまんまとハマったと表明するのは気恥ずかしいという感覚があるのかも知れない。
 また、フィクションで感動したと表明するのは、自分がこういう人間だと表明することに等しい。小平選手に感動したと言っても、発言者がどういう人かは分からないが、ゆるキャン△5話に感動したと表明すると、発言者はリンみたいな友達が少ないタイプなんだろうな、と推測されてしまう。降参した犬がお腹を見せているような、自分の弱い部分をさらけ出している感じがして、気が進まないのかも知れない。

 だが、より本質的な原因は、インターネットでバズるものと、フィクションで表現するべきものが大きく異なっていることにあるのではないか。
 インターネットでバズるのは、「ゆるキャンのパスタを真っ二つに折ったシーンでイタリア人が大激怒」のように一文で内容をずばりと表現できるようなものだ。
 一方、フィクションで表現すべきなのは、短い文章では伝えきれないものだ。短い文章で伝えることができるなら、わざわざ長い時間をかけて小説を書いたり大金を投じてアニメを作ったりしなくても、ツイッターなどで伝えれば良いからだ。
 アニメを作るのは、アニメでしか伝えきれないものを視聴者に伝えるためだ。その感動を他者に短文で伝えるのは並大抵のことではないのだ。

 

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