東雲製作所

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回転寿司の支配者

 ゴールデンウィーク。出かける所のない私は回転寿司屋に行った。11時頃とあって客はまばらだ。その店ではカウンター席とボックス席が向かい合わせになったレーンが二つある。私が案内された席の右側にはおじいさんが、私とおじいさんの向かいにはそれぞれ家族連れが座っていた。
 レーンの流れはおじいさんが最上流に位置する。カウンターには十人くらい座れるのだが、まだ客が少ないため、レーンは私の席の少し下流でせき止められ、ショートカットして向かい側のレーンに向かうようになっていた。
 やがておじいさんが会計を済ませて席を立ち、代わりに私の下流側におじさんが座った。それにより、私は隣のおじさん及び向かいの家族連れ合わせて九人の最上流に位置することとなった。もし私が流れてくる良いネタを全て取ってしまったら、九人はナスの寿司やかっぱ巻きとかしか取れなくなる。つまり私がこのレーンの生殺与奪を担った支配者になったということだ。
 高揚していた私だが、じきに全然支配者ではないことに気づいた。おじさんも家族連れもレーンを流れる寿司には目もくれず、注文ばかりしていたからだ。
 何たる不見識! 私は憤慨した。
 回転寿司は壁の向こうの板前との対話である。流れてくる寿司は板前からの提案。客はまずはその提案に対し、何皿か取って応えるべきだ。客が取った皿を見た板前は、これとこれを食べたということは、次はこのネタはどうか、と考えて新しい寿司を流す。それによって客と板前の対話が成立するのだ。
 レーンの寿司を見もせずにいきなり注文するような客は、本屋に入って品揃えを見もせずにいきなり取り寄せを頼むようなもの。自らの意思を盲信した行為だ。回転寿司は客の意思と板前の意思、双方が奏でる協奏曲であるべきではないだろうか。
 何皿か食べた所で、私はそろそろ注文しようとタッチパネルに手を伸ばした。だが、目の前を魅惑的な寿司が次々と通過し、なかなか注文に移れない。
 左隣のおじさんは五皿だけ注文し、さっと席を立った。一方の私は、そろそろお腹もいっぱいだし止めようとした所で、出てきた豚カルビ寿司と厚切り鯖寿司に惑わされ、十一皿も食べてしまった。回転寿司の支配者は隣のおじさんであり、私は単に板前に踊らされていただけなのかもしれない。