東雲製作所

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神とは何か考えた

 書評サイト、シミルボンに「信じる人の写し鏡」という記事を書きました。

「神様とは何か」というお題をもらって書いたもので、通常の記事の三倍の労力がかかっているので宜しければ御覧ください。


 この記事を書くにあたり、神関係の本を読み、大変勉強になった。特に浄土真宗が選択的な一神教であるというのには驚いた。永遠不変なものはないというのが仏教本来の中心教義なのに、永遠不変の阿弥陀仏に帰依すると言っているのだから、原始仏教とは別の宗教と考えた方が良いのではあるまいか。
 先日の「PPAPは般若心経」で念仏や題目に深い意味がないようなことを書いたが、「唯一神のような存在に帰依します」「至高の教えに帰依します」という文言に深い意味がないとは不遜な物言いだった。「凡夫でも理解できるような平易な表現」と書くべきであった。

 心の平安を得る方法には自力と他力の二通りがある。自力は永遠不変のものなどないことを直視し、瞑想などのトレーニングによって心の平安にたどり着く方法。トレーニングが必要なので大変だし、死を受け入れる強い心が必要だ。一方、他力はキリスト教の神や阿弥陀仏のように永遠不変の存在がいて救ってくれると信じる方法で、かつては誰でも簡単に心の平安を得ることができた。
 できた、という所が問題で、現代では他力方式はかつてほど有効ではない。何故なら神や仏を信じることが難しいからだ。
 誤解されがちだが、神仏は「信じる」と表明した人に超能力を発揮して対価を与えてくれるわけではない。心から信じることで得られる心の安らぎこそが報酬なのだ。しかし科学技術が発達し、奇蹟も集団幻想で説明がついてしまう現代では、神仏の実在を心から信じることは難しい。信じるためにはそれこそ自力並みのトレーニングが必要だ。難儀なことである。