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PPAPは般若心経

 PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)は般若心経だ。曲最後の「ペンパイナッポーアッポーペン」の部分が般若心経最後の真言「ギャーテーギャーテー ハラギャーテー ハラソーギャーテー ボージーソワカ」に相当する。さらに、PPAP全体の内容も般若心経と共通性がある。

 

1末尾が共に意味がない文言から成っており、唱えることで一時的に煩悩を消し去る効果がある。
 「ペンパイナッポーアッポーペン」や「ギャーテーギャーテー…」を実際に唱えてみればよく分かる。唱えている間は余計なことを何も考えていないことに気づくだろう。最近はてなで話題になっている瞑想と同じ効果があるのだ。

 唱える呪文――真言は深い意味がないことが重要だ。「ペンパイナッポーアッポーペン」に意味がないことは明らかだが、「ギャーテーギャーテー…」も「往ける者よ、彼岸に往ける者よ、悟りよ、幸いあれ」ということなので深い意味はない。
 これらの代わりに「雫。大好きだ!」などと唱えれば、頭がたちまち煩悩まみれになってしまう。唱えるのは過去の経験への連想が働かない文言である必要があるのだ。
 南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経といった念仏・題目真言と同じ効果を持っている。阿弥陀仏法華経との思い出がトラウマになっている人などというのはいないので、唱えるのに適当なのだ。

 真言や念仏・題目はリズミカルで唱えやすい必要もあり、その点でもペンパイナッポーアッポーペンは優れている。言語学的には既に佐々木あらら氏の素晴らしい考察があるので、本稿では割愛する。


2共に色即是空について述べている。
 PPAPは意味あるものが無意味なものに変転する過程を説明した歌だ。
 最初の段階で、「私」はペンやリンゴ、パイナップルを持っていると認識している。
 それらを組み合わせたアップルペン、パイナップルペンは使いにくそうではあるが、果物の飾りのついたペンという一応意味のあるものになる。
 だが、それらをさらに組み合わせたペンパイナッポーアッポーペンとなると、もはや意味不明である。重すぎてペンとして使うのは難しいし、分解しないと食べることもできない。ペンパイナッポーアッポーペンは何物でもない。

 PPAPは、ペン、リンゴなどを所有していると思っていても、それらは確固としたものではなく、容易に意味のないものに変化しうるということを述べている。これは般若心経の、色即是空の教えに近い。
 般若心経はこの世の全てに実体がないと言っているのに対し、PPAPは実体がないとまでは言っていないという点は異なっている。だが、万物は変化し、認識は不確かであると説いている点で、両者の主張には共通点が多い。


 PPAP作詞者のピコ太郎氏が般若心経をどの程度意識していたのかは分からない。インタビューでは言及がなかったので、全く意識していない可能性も高い。
 私が感銘を受けたのは、PPAPは誰も不幸にすることなく、多くの人の幸福度を少しずつ高めたということだ。笑いには誰かを傷つけるものが多いが、PPAPにはそういう毒がない。
 ピコ太郎氏は人々を幸せにしようと考え、同じ思いから書かれた般若心経と結果的に似ることになったのではないだろうか。

 

※わっとさんのご指摘を受け、修正しました。南無妙法蓮華経は題目というのを知りませんでした。

 

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PPAP Pen Pineapple Apple Pen