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みるみる短編小説が書ける羅生門メソッド

 芥川龍之介の『羅生門』をご存知だろうか。国語の教科書に載っているので、ほとんどの人が一度は読んだことがあるだろう。
 名短篇は数あれど、羅生門ほどお手本に相応しい短編は他にない。例えば『走れメロス』は「行って帰って行く」という変わった構造をしているし、『注文の多い料理店』はショートショートのようなアイデア重視の作品、『山月記』は途中で視点人物が変わるといった風にどれも真似するには向いていない。一方、羅生門は行って帰ってくることで成長するという物語の基本パターンに忠実で、要素も必要最小限に切り詰められているので初心者が真似するのにぴったりだ。
 羅生門のあらすじは以下のとおりだ。

1下人が羅生門の下で雨やみを待っている。
2下人は主人から暇を出されて行くあてがない。生きるためには盗賊になるよりほかに仕方がないが、決心がつかないでいる。
3下人は夜を明かすために楼の上へ上がる。
4そこでは死骸がごろごろ転がっている中で、老婆が死骸の髪の毛を抜いていた。
5「何をしていた。」と問い詰める下人に老婆は「悪い事かも知れぬが、せねば饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃ。」と弁解する。
6下人は、盗人になる決心をし、老婆の着物を剥ぎとって去る。

これを抽象化すると以下の六要素になる。
1主人公がいる日常世界の描写。
2主人公の欠落についての説明。主人公は欠落を埋めるための手段について葛藤している。
3主人公が異世界へ移動する。
4異世界の描写。
5異世界の住民が主人公に示唆を与える。
6主人公は2の葛藤を解消し、異世界から去る。

 

 それではこの6要素を使って実際に小説を書いてみよう。
 まず、2で何を欠落させているかを決める。疎外されているとか恋人がいないとか試合に負けたとか色んな例が考えられるが、ここでは羅生門と同様金がないことにする。そうすると、1は貧乏そうな場所になり、4はそことは違う場所だから金持ちそうな場所が良いだろう。ということで、羅生門メソッドの決まった箇所に書き込んでいく。すると考えるべきことが浮かんでくる。

 

1主人公がいる日常世界の描写。
貧乏そうな場所の描写。→橋の下。

2主人公の欠落についての説明。主人公は欠落を埋めるための手段について葛藤している。
主人公は金がない。→何を葛藤?

3主人公が異世界へ移動する。
何故金持ちの家に行くのか?

4異世界の描写。
金持ちそうな場所の描写。→金持ちの家。

5異世界の住民が主人公に示唆を与える。

6主人公は2の葛藤を解消し、異世界から去る。

 

 ここで考えるべき要素は二つ。一つ目は主人公は金を得るために何を葛藤しているのか。二つ目は何故主人公が金持ちの家に行くのかだ。
 金を得るために葛藤するということは仕事が大変かあるいは後ろ暗い仕事だからだ。行き先の金持ちの家は働くかどうか悩んでいる会社の社長室にすれば行く動機ができる。ここでは後ろ暗い仕事ということで振り込め詐欺をやらないかと誘われていることにしよう。

 

1主人公がいる日常世界の描写。
主人公は橋の下で極貧生活をしている。→何故帰る家を失った? 実家には帰れない?

2主人公の欠落についての説明。主人公は欠落を埋めるための手段について葛藤している。
主人公は金がなく、先輩に振り込め詐欺グループで働かないかと誘われているがやるかどうか葛藤している。

3主人公が異世界へ移動する。
主人公は振り込め詐欺会社を経営する先輩の社長室に行く。

4異世界の描写。
主人公は社長室の豪華な様子に驚く。

5異世界の住民が主人公に示唆を与える。
主人公は先輩の言動を見て共感もしくは反発する。→どんな言動?

6主人公は2の葛藤を解消し、異世界から去る。
主人公は振り込め詐欺をする決意もしくはしない決意をして先輩の会社から去る。

 

 あとは1の家を失った経緯と5の主人公に示唆を与えた先輩の言動を具体化すればプロットが完成する。
 出来あがったプロットを元に書いたのが下記の小説だ。

 

 

四ツ木

 

 荒川にかかる一本の橋。ひっきりなしに車が行き交うその下で、健一は橋脚にもたれて川を眺めていた。
 大きなコンクリートの橋脚からは間断なく車の振動が伝わってくる。見回しても目に入るのは隣の橋脚と草原、草原の向こうに見え隠れする川、そして隣に架かる橋くらいである。健一は傍らの小石を拾って投げたが、川には届かなかった。
 連日うだるような暑さが続いている。川を渡る風までもがぼわぼわと暑苦しく、健一はよれよれのシャツの胸元を扇いだ。
 健一の傍らにはビニール製の巾着袋が置いてある。中に入っているのは公園で汲んできた水道水が入ったペットボトルと数個の飴玉。敷布団代わりの新聞紙。それに数十円の小銭ばかりである。
 健一は一ヶ月前から居酒屋のバイトを無断欠勤している。アットホームな職場ですといううたい文句とは裏腹に、軍隊のような職場だった。ミスをすると容赦なくナイフを投げつけられ、延々と面罵された。三ヶ月間連続勤務が続いたある日、職場へ向かっていた足がこの橋の手前で止まり、動かなくなった。アパートに戻れば店長に捕まって何をされるか分からない。それ以来健一は橋の下で暮らしているのだ。
 耐え切れない空腹に負けて、健一は飴玉を口に運んだ。これで飴はあと三個。それが尽きれば食べるものが無くなる。
 頭の上を通る国道6号を半日歩き続ければ牛久の実家にたどり着く。頭を下げて実家に帰るしか――
 健一は首を振ってその考えを追い払った。親の反対を押し切ってアニメーターになると上京した。それなのにバイトが忙しくて学校は中退。どの面下げて帰れるというんだ。
 健一は小石を拾おうと辺りをまさぐったが、手の届く範囲にもう小石は残っていなかった。
 先日、先に居酒屋を辞めた先輩から携帯に連絡が入った。先輩は振り込め詐欺の会社を経営しており、詐欺電話のバイトを募集しているのだという。
「やるかどうかはともかくまずは見学に来てくれよ。飯おごってやるぞ。」
先輩の言葉を思い出し、健一は立ち上がった。橋を渡って先輩の会社へと向かう。
 教えられた場所は立派なオフィスビルだった。入っていく人は皆ぱりっとした格好をしている。健一は慌てて服の皺を伸ばした。
 先輩の会社はビルの上から2フロアを借りきっていた。17階が事務所。18階が社長室だ。
 健一は社長室に通された。エレベーターから下りた健一はたたらを踏んだ。床には足首まで埋まりそうな絨毯が敷き詰められ、壁は一面大理石。美人秘書の案内で入った社長室には虎の剥製が飾られ、壁には高そうな西洋絵画。漆塗りの家具には螺鈿細工が施されている。先輩は白のスーツで健一を出迎えた。
「酷い格好だな。まずはこれに着替えろ。」
先輩はクローゼットからワイシャツとスラックスを放ってよこした。健一はヨレヨレのシャツと短パンを巾着袋の奥に押し込んだ。
「おい、腹減ってないか? 」
先輩が出してくれたのはデパートの焼き肉弁当だ。口に運ぶと霜降り肉が舌の上でとろけ、旨味が爆発した。十日ぶりに飴以外のものを口にした健一の目から涙が流れた。
「お前には早速仕事を覚えてもらう。」
先輩は健一を連れて下のフロアに移動した。十人程の若者が、ひっきりなしに電話をかけている。事務所の内装は簡素で、置いてあるのは机と椅子、電話だけだ。
 先輩が入室すると、全員が電話をしながら立ち上がり、最敬礼した。先輩は手を上げて応えると、一つだけ開いている席に腰を下ろした。リストをめくって受話器を手にする。
「見本を見せてやる。一度しかしないからしっかり見ておけ。」
健一はあかべこのように頷き、じっと耳をそばだてた。
 着信音に続き、おばさんの声がした。
「あー、オレだけどさ。」
「おや、ケンちゃんかい? 」
健一の胸が跳ねた。その声が自分の母親にそっくりだったからだ。
 先輩は巧みに交通事故を起こして示談金が必要なケンちゃんを演じている。ケンちゃんは都内でサラリーマンをしているらしいから、話しているのは自分の母親ではない。だが、「本当に大丈夫なのかい? 」という声は自分の母にしか聞こえない。
 先輩が現金の引き渡し方法について指示している。ケンちゃんの母親は動転し、声が裏返っている。先輩が口角を吊り上げる。健一は手を伸ばして、電話を切った。
「あの、済みません。俺やっぱりこの仕事できません。」
先輩の怒りは凄まじかった。健一から服を剥ぎ取り、ぼこぼこに殴るとエレベーターの中に蹴りこんだ。
 しばらく、死んだように倒れていた健一が、エレベーターの中でその裸の体を起こしたのは、それから間もなくの事だった。健一は巾着袋からよれよれの服を取り出して身にまとうと、つぶやくような、うめくような声を立てながら、ビルの外まで這って出た。それからペットボトルの水道水を口に運んだ。顔を上げると、国道6号が真っ直ぐに続いていた。
 健一は立ち上がると、目の前の道を北へ向かって歩き始めた。

 


 羅生門メソッドが素晴らしいのは、はっとするようなアイデアがなくても、6要素に当てはめて考えていけば小説らしくなることだ。小説のアイデアが浮かばない人はぜひお試しあれ。


完成版プロット
1主人公がいる日常世界の描写。
主人公はブラックバイトの店長に見つからないため橋の下で極貧生活をしている。

2主人公の欠落についての説明。主人公は欠落を埋めるための手段について葛藤している。
主人公は金がなく、先輩に振り込め詐欺グループで働かないかと誘われているがやるかどうか葛藤している。親の反対を押し切って上京したので実家には帰りづらい。

3主人公が異世界へ移動する。
主人公は振り込め詐欺会社を経営する先輩の社長室に行く。

4異世界の描写。
主人公は社長室の豪華な様子に驚く。

5異世界の住民が主人公に示唆を与える。
先輩が見本として詐欺電話をかけた相手の声が自分の母とそっくり。主人公は耐えられず先輩の電話を切ってしまう。

6主人公は2の葛藤を解消し、異世界から去る。
主人公は振り込め詐欺をしない決意をして、実家に向かって歩き出す。

 

 

羅生門

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