東雲製作所

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愛と諸行無常――あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして 感想

 刺々しい言葉の手斧が飛び交うはてなにおける数少ないオアシスがひーたむ氏の子育てブログ『リンゴ日和。』である。そのほっこり力はすさまじく、辛口で有名なxevra氏すらデレてしまうほどだ。
 その『リンゴ日和。』が書籍化された。それが『あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして』(今泉ひーたむ著、ワニブックス)である。
 
 通して読んで感じたのが、登場人物はほぼ家族四人だけという小さな世界を描いているにも関わらず、極めて本質的、普遍的な内容であるということだ。本書には「愛」と「諸行無常」というテーマが通底している。そのことは子どもについて書いていることと関係がある。

 子どもは愛、あなたを必要としていますよ、ということをストレートに表現する。タイトルにもなっている、長女ゆーちゃんの「あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして」という発言が象徴的だ。誰もが親しい人とのスキンシップを求めているが、大人になると素直に言うことができない。
 ゆーちゃんの気配りを含んだ愛情表現に対し、次女ふーちゃんのストレートな愛情表現、特にお母さんのお風呂を出待ちしているエピソードも印象深い。大人になって独身だと、こんなに誰かを必要とすることも、必要とされることもないのだと思うと切なくなる。

 時は常に流れ続け、誰であっても留めておけない。だが、子どもはすぐに変化する。従って、諸行無常ということが強調される。
 例えば、おっぱいの味が左右で違うと言うことを5才のゆーちゃんは覚えている。だが、大人になった我々は覚えていない。あまりに多くの記憶が失われてしまったのだということを思うとたまらない気持ちになる。
 「そしてこの母の想像力をかきたてる宇宙語が、成長にともなって消えていくだろうということを想像するのが、たまらなくさみしいです。」というように、作者も喪失のさみしさを何度も綴っている。

 大人になるということは本質的なものを隠蔽する術を身につけることなのではないか。日常生活であまりに心動かされていると身がもたないからである。
 ひーたむ氏は大人であるにも関わらず、本質的なものへの感度が鈍っていないので、子ども達のささやかな声を掬い上げることができるのではないだろうか。


付記:この紹介だとひたすら切ない内容のようであるが、「へい! おっぱいよ!」やパパが可愛い話のように楽しい話も多いのである。

 

 

あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして

あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして