東雲製作所

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はてな村は部族社会

 『昨日までの世界 文明の源流と人類の未来』(ジャレイド・ダイアモンド著、倉骨彰訳)は工業化社会以前の様々な伝統的社会について論じた本だ。紹介されている様々な部族に関する分析を読む内に、私も身近な小集団について論じてみたくなった。その集団とははてな村である。

 『昨日までの世界』ではエルマン・サービスが人口規模の拡大、政治の中央集権化、社会成層の進度によって分類した、人間社会のカテゴリーとして、小規模血縁集団(バンド)、部族社会(トライブ)、首長制社会(チーフダム)、国家(ステート)の四種類が紹介されている。
 
 この内、小規模血縁集団はほとんどの成員が家族である数十人の集団、部族社会は成員の誰もが顔見知りの数百人の集団、首長制社会は複雑に組織された数千人の集団をそれぞれ指している。
 はてな村はいずれの段階に当たるのだろうか。


 はてなのユーザー数は340万人とのことなので、ウルグアイの人口より多い。ユーザー数だけを見れば、はてな村は国家に当たるだろう。だが、これははてな村という言葉から受ける印象とはかけ離れている。つまりはてな村はてなではないということだ。
 はてな村と言って思い浮かべるのは、はてなブックマークに集って寄り合いのようにコメントやスターを付け合っている集団だ。はてな村を「比較的熱心にはてブをつけているユーザーの集団」と定義すれば、「成員の誰もが顔見知りの数百人の集団」という部族社会の特徴ははてな村と良く一致する。

 本書で挙げられている部族社会の特徴の内、「比較的平等主義」「政治的指導者の存在が希薄」「官僚がいない」「一堂に会して意思決定をする」という点ははてな村にも当てはまる。政治的指導者については次のように記されている。

 弱いリーダーとして機能する「ビッグマン」が存在する部族社会もあるが、そのビッグマンはだれもが認める権威を持つわけではなく、人を説得する力や人柄の魅力で社会を導く。

 この記述ははてな村の村長、kanose氏の位置づけと良く一致している。


 はてなが素晴らしいのは、国家の補完機能として部族社会的なつながりを提供している点にある。部族社会の利点は、互いにどういう人か認識しているため、安心感があることだ。例えば、実社会でxevra氏が見知らぬ人にメンヘル認定をしたら諍いになるだろうが、はてな村ではxevra氏はああいう人だと知られているので諍いになることはあまりない。

 最近、新規ユーザーによってこの部族社会的側面が脅かされているという論考が相次いで発表された。
「美しいはてな」「はてなを取り戻す」でメンヘラやモヒカンは消される
はてな村のコンテクストは、深くて冷たいダムの底
確かにはてな村はてなユーザーと捉えれば、これらの論考は正しいだろう。

 だが、人間は顔見知りの人しか顔見知りとして認識できない。つまり、はてなに集っている人の内、顔見知りの人だけを切り取ったものがその人にとってのはてな村になるのだ。はてな村はユーザーの数だけ存在する。いくら新規ユーザーが増えようとも、内なるはてな村は部族社会のままなのだ。