東雲製作所

東雲長閑(しののめのどか)のよろず評論サイトです。

数年ぶりに運転した

 北海道に出張に行き、数年ぶりに自動車の運転をした。前回、田舎道で試しに運転した時は、左の人を避けようとして道のど真ん中に停車してしまったので、それ以来運転しないようにしていたのだ。
 北海道と言えば私が学生時代自爆廃車事故を起こした思い出の地。しかも彼の地のドライバーは制限速度オーバーでびゅんびゅん飛ばすのだと聞く。不安しかないが、社命なのだからしょうがない。事故に備え、出張終了後しばらくしたら「東雲長閑は事故死したようなので、遺作を読んでくれ」という記事がアップされるよう予約投稿をしてから出発した。(そして解除をミスって公開されてしまった。)

 新千歳空港でレンタカーを借り出発しようとしたが、ギアをドライブに入れ、アクセルを踏んでも動き出さない。十分くらい悪戦苦闘した挙句、機器がONになっているだけで、エンジンがかかっていないことが判明した。
 出発し、しばらく走ったら信号が黄色になったので慌ててブレーキを踏んだら助手席のかばんが前に落ち、車に「急ブレーキを感知しました」と怒られた。何というハイテク。この車は他にも速度超過や端への寄り過ぎも感知して教えてくれるのだ。道中、何度もキンコンキンコンと寄り過ぎ注意の警告音が鳴り、慌ててハンドルを切った。皆さんが遺稿ではなくこの変な文章を読んでいるのはハイテクのおかげである。

 さらに感心したのがカーナビの進歩だ。700m前と300m前にこの先左折だと予告した後、曲がるずばりの所で「この信号を左です」と教えてくれるのだ。昔のカーナビでは、画面を見ながらこの信号かな、それとも次の信号かな、と迷っている内に前の車に追突していたものだが、このカーナビなら画面を見なくても大丈夫なのだ。画面に目を走らせるだけで車が横にずれていく私にはぴったりの機能だ。

 車は森のなかの一本道に入った。制限速度で走る私の後ろに車が連なる。何とか道幅が広い所で車を左に寄せて先に行ってもらおうとするが、これが難しい。対向車が来ていないタイミングを見計らってウインカーを出し、後方の車と意思疎通を図った上で滑らかに減速しなくてはならないのだ。そんな高等テクニックができるくらいなら、周りと同じ速度で走れるっちゅうねん。そんな訳で、後続車を先に行かせることもままならず、後ろの車への気疲れからぐったりしてしまった。渋滞を引き起こしても平然とノロノロ運転を続けているらしいガンバ大阪の遠藤選手は大したものだ。

 道中、最も恐ろしかったのがトンネルだ。対向車が来る時は左、ガードレールが迫っている時は右に避ければ安心だ。だが、トンネルではどちらにも逃げることができない。サイドミラーを見ると車が横にずれるのでどちらかに寄っていないか確認できない。ただただ心を無にして通り過ぎた。
 普通の車の車幅は道幅に大して余裕がなさすぎである。縦型ツーシーターの車を売り出したら、私のような運転が下手な人に需要があるのではないだろうか。

 一週間運転していたお陰で、ものすごく運転が下手なドライバーから運転が下手なドライバーへとレベルアップした。もう交通量が多い道や人通りが多い道、狭い道、高速道路以外ならどんな道でも大丈夫だ。

 帰ってきてから一つ変化があった。道を歩いていて近くを車が通ると、自分が運転している感覚が蘇るようになったのだ。車が停止するのを見ると、ブレーキを踏む感覚が浮かんでくるし、曲がるのを見るとハンドルを切る感覚が蘇ってくる。これまでは、車を見ても全くの他者、異物であるとしか感じなかったのだが、共感を持って感じるようになったのだ。
 だが、数日経つと、その感覚は失われ、特に何も感じなくなった。定期的に新しい経験をすると、感覚がリフレッシュされ、発想上良い影響があるのではないだろうか。

 

f:id:shinonomen:20170818124004p:plain

ナプキン一枚分だけ

  七夕の夜、電撃小説大賞から一次選考落選のメールが届いた。会心の出来で、最終選考までは行くんじゃないかと思っていたので、放心状態になってしまった。
 こういう時、「慰めて」と言える相手がいないのは辛いことだ。

 美味しいものを食べようと、後楽園のカレー屋に行く。L字型のカウンターに八席程が並んでいる。客は誰もいなかった。
 1.5倍増量中のカツカレーの食券を購入し、カウンターに差し出す。皿によそられたご飯があまりに多いので、減らしてと言おうとしたが、減らしてと言うと0.8倍くらいにされちゃうかな、などと考えている内にカツが皿に載ってしまい、山盛りのカレーと対峙することになった。
 スプーンで切れるカツとカレーの相性が抜群である。だがいかんせん量が多い。1/3くらい食べた段階で既に結構お腹がいっぱいになってきた。

 カウンターの壁際で、一センチ程の蛾がよたよたと飛んでいる。動きが緩慢なため、容易に殺せそうだ。だが私は蛾の生死に関わる気になれず、カレー皿に寄って来る度に手で追い払っていた。
 私の後に続々と客が入り、店内はほぼ満席になった。右隣に座った若いサラリーマンが蛾を気にしている。ナプキンを手にとって、蛾の捕獲を試みたが、蛾は私の皿の下に逃げ込んだ。サラリーマンは「済みません」と言いながら私の皿の下に手を伸ばす。目の前に逃れてきた蛾を、私はとっさに右手で叩き潰していた。
 サラリーマンが私にナプキンを差し出す。私はそれを受け取って、蛾の死骸を包んだ。それから私はカレーを食べきって店を出た。

 私は今後、あのサラリーマンに会うことはないだろう。まじまじと見たわけではないので、どんな顔かも覚えていない。だが、彼はあの日、ナプキン一枚分だけ私の心を軽くしてくれたのだ。

 

 

今朝の記事に関するお詫び

 今日の0時に自動投稿した記事に不穏なことが書いてあり、申し訳ありません。
 出張から帰ってきた後、ゴミ箱に入れたはずなのですが、ちゃんと消えていなかったようです。
 自動投稿した小説は電撃小説大賞に応募して落選したものの第一章です。
 無事に生還を果たした際は、加筆修正して他の新人賞に応募するため公表しない予定でした。
 しかし、続きが気になっている方がおられるかもしれないので、旧サイトにテキストデータをアップしていましたが新人賞に出すので消しました。
 お騒がせして済みませんでした。

僕は二階から目薬が差せる

久しぶりに運転するので念のため小説を予約投稿しておきます。

これが公開されていたら、事故にあったか投稿したのを忘れたかだと思います。

予約投稿の解除に失敗していました。ご心配をおかけして済みません。 

 

2017.11/28 GA文庫大賞に応募するため、本文を削除しました。

 

異なったリアリズムの混在――コンビニ人間感想

(本稿は『コンビニ人間』の抽象的ネタバレを含みます。)

 不気味さの谷という言葉がある。人間とは全然違うロボットや人間と見分けがつかないロボットは不気味ではないが、人間のようで微妙に違うような外見や動きのロボットは不気味に感じることを指す。
 第155回芥川賞受賞作、『コンビニ人間』(村田沙耶香著、文藝春秋)のヒロイン古倉は不気味さの谷にいる。外見が不気味なのではない。キャラクターのリアリティレベルが不気味なのだ。

 大塚英志氏は物語を自然主義的リアリズムに基づくものと、アニメ・まんが的リアリズムに基づくものに分類した。『コンビニ人間』の古倉には両者のリアリティが混在している。
 小学生の時、取っ組み合いのけんかをしている男子を止めるため、スコップで頭を殴りつけたといったいかにも人間性を欠いた感じのエピソードはアニメ・まんが的リアリズムに基いている。西尾維新作品などに登場しそうなキャラクター造形だ。
 一方、コンビニの描写や他者からの圧力を厭う心情は自然主義的リアリズムに基いている。
「18年間、「店長」は姿を変えながらずっと店にいた。
一人一人違うのに、全員合わせて一匹の生き物であるような気持ちになることがある。」
といった発想は奇抜ではあるが、確かなリアリティを持っている。それだけに、両者が奇妙に混在している古倉が、不気味に感じる。

 私は世界中の人間を二つに分けたら確実に古倉側の人間だ。十に分けても同じカテゴリーに入るかも知れない。コミュニケーション不全で変化を厭い、外へ向かう意志を欠いている所に親近感を覚える。だがそんな私から見ても古倉は不気味なのだから、ほぼ全ての人にとって不気味なのではないだろうか。

 『コンビニ人間』は社会が古倉のような標準から外れた人間を疎外する様を描いている。本作が巧みなのは、読者に古倉を不気味だと思わせることで、誰もが疎外する側でもあるということを自覚させるようになっていることだ。
 もし、古倉が自然主義的リアリズムのみによって構成されていたら、一部の読者は単に古倉に共感して終わってしまっていただろう。アニメ・まんが的リアリズムのみによって造形していたら、読者は単なるフィクションの世界の話として奇妙な世界を楽しむだけになってしまっていただろう。村田氏の旧作では瑕疵ではないかと感じていた異なったリアリズムの混在が、本作ではプラスに作用している。

 本作にはもう一つの混在が見られる。いかにも純文学的な奇妙な展開を辿りながら、最終的には行って帰ってくるという古典的物語構造へと着地している点だ。純文学的異化の力が炸裂している本作だが、本作の面白さに物語の力がもたらす充足感が大きく寄与していることも見過ごしてはならない。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

学食のカレーを食べ比べる

 学食と言えばカレーである。学食の麺類は安いが専門店より味が大きく落ちる。丼ものは美味しいが安くない。その点、カレーは安く、味も外れがない。大量に作るという学食の利点が生きる料理だ。
 そこで、職場に近い、東京都文京区にある大学の学食を巡ってカレーライスを食べ比べた。学食は、ランチタイムは学生で混雑し一般の入場を断っている所も多いので、晩御飯を食べに行くのが良いだろう。

拓殖大学 学生食堂茗荷谷

f:id:shinonomen:20170720184514j:plain

学食はB館地下一階にある。夕方はかなり空いており、一般客はほとんど見ない。

カレーライス 280円

f:id:shinonomen:20170720184531j:plain

これぞ学食という感じの小麦粉がたっぷり入った豚カレー。味は辛め。量がたっぷり。


明治大学 スカイラウンジ暁御茶ノ水

f:id:shinonomen:20170720184607j:plain

食堂はリバティタワーの17階にあり眺めが素晴らしい。夕方は比較的一般客も多く混雑している。

カレーライス 310円

f:id:shinonomen:20170720184636j:plain

甘さの後に辛さが来る。とろとろのルーにしっかりしたチキンが入っており、普通の学食カレーよりちょっとグレードが高い。


中央大学 Cキューブ(後楽園)

f:id:shinonomen:20170720184702j:plain

3号館の一階にある。学生で比較的混雑しており、一般客はほぼいない。

カレーライス 310円

f:id:shinonomen:20170720184721j:plain

キャベツと味噌汁がついており、他より栄養バランスが良い。やはり甘さの後に辛さが来る。形を保っている具は肉と玉ねぎのみ。他はじっくり煮込んで溶けているのではないかと思うが、最初から入っていない可能性も排除できない。


東京大学 本郷中央食堂本郷三丁目

f:id:shinonomen:20170720184741j:plain
安田講堂前の地下にあり駅から遠い。建物がレトロで食券も窓口でおばさんが手売りしているなど、昭和に迷い込んだような雰囲気が味わえる。8月4日から改修工事で休業とのことなので、見たい人は急いで行こう。夕方もわりと混雑しており一般客も見かける。

カレーライス 250円

f:id:shinonomen:20170720184807j:plain
さすが国立大学だけあって最も安い。安いのに牛肉が入っているのはすごい。味はやはりいかにも学食という感じ。


 4大学のカレーライスを食べ比べた結果、以下のことが分かった。
 高いカレーは各々違っているが、学食の安いカレーは互いに似ている。

取り返しがつく犯罪に共謀罪はいらない

 改正組織犯罪処罰法(テロ等準備罪共謀罪)が7月11日に施行された。本ブログは基本的に政治的なことは書かないようにしているのだが、例外的に一点指摘しておく。
 改正組織犯罪処罰法には277の罪が対象となっている。法務省は対象犯罪を下記の5つに分類している。

1テロの実行に関する犯罪 110
内覧等幇助、傷害、強盗、拳銃等の輸入、航空機の強取等、化学兵器の使用 など

2薬物に関する犯罪 29
あへん煙輸入等、大麻の栽培等、覚せい剤の輸入等 など

3人身に関する搾取犯罪 28
強制わいせつ、強姦、強制労働、在留カード偽造等、臓器売買等 など

4その他資金源犯罪 101
通貨偽造及び行使等、有印公文書偽造等、切手類の偽造等、特許権の侵害、著作権等の侵害等 など

5司法妨害に関する犯罪 9
逃走援助、偽証 など

 改正組織犯罪処罰法は対象犯罪を実行しなくても、計画・準備段階で処罰できるようにする法律だ。この法律の利点は、警察が対象犯罪を未然に防ぐ権限を得る点であり、欠点は警察がこの法律を乱用する権限を得る点である。どちらを重く見るかはその人の価値観による。
 例えば、化学兵器の使用のような犯罪は、起きてからでは取り返しがつかない。私自身は、現行法でも最高裁によって詐欺罪や建造物侵入罪の広い適用が認められているので不要ではないか、という高山佳奈子教授の意見を支持しているが、取り返しがつかない犯罪について少しでも予防の可能性を高めるべきではないかという意見にも一理あると思う。

 だが、資金源犯罪を対象犯罪に含めることにはびた一賛成できない。これらの犯罪は取り返しがつくからだ。
 例えば、犯罪組織が資金源を得るため、切手の偽造を企んでいたとしよう。確かに、切手の偽造で大量の資金を獲得し、その資金を活用して武器を購入し、テロを実行したら大変だ。だが、それは実際に切手の偽造をしてから逮捕すれば良いのであって、準備行為をしている段階で逮捕する必要はない。切手の偽造が実行された途端に、心身に取り返しがつかないダメージを負う人など誰もいないからだ。

 テロ行為のような取り返しがつかない犯罪について計画・準備段階で処罰する法律が必要かについては様々な意見がある。だが、切手類の偽造を計画した段階で逮捕できる法律が必要ないことは、ほとんどの人の間で合意が得られるだろう。にも関わらず、対象犯罪について一切の修正がなされずに成立、施行されてしまったことは残念でならない。