東雲製作所

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熱意の秘密結社――安住紳一郎の日曜天国公開放送感想

 安住紳一郎の日曜天国TBSラジオ日曜10:00-11:55)は変な番組だ。テレビでは丁寧に芸能人をエスコートしている安住氏だが、ラジオでは力の限り好き勝手やっている。
 自分が風呂場でかいた汗を集めて煮詰め、塩を生成したかと思えば、レーティング企画として東京赤坂から埼玉までの鳩レースを開催したりする。地方での公開放送では毎回費用番組持ちのバスツアーを開催しているのだが、八丈島で開催した時も飛行機代ホテル代番組持ちのツアーを開催して大赤字を出し、赤字を補填するため番組を休んでラジオショッピングをやるという本末転倒なことをやっている。
 呼ぶゲストも石愛好家、換気扇マニア、豚の生姜焼き研究家、洞窟探検家、カップラーメン評論家、灯台マニア、熱気球チャンピオンなどマニアックな専門家が多い。

 毎年恒例の公開放送は、神流町檜原村館山市八丈町小田原市と番組調査の聴取率が高かった自治体で開催していた。遠さに二の足を踏んでいたが、今年は11月6日に赤坂で開催されるということで観に行った。

 当日、TBSラジオは赤坂サカスでラジフェスというパーソナリティの公開ステージを次々開催するイベントをやっている。だが、日曜天国の公開放送は何故か隣の国際新赤坂ビルを借りて行うという。会場は屋外の吹き抜けになっており一階に事前にパスを入手した人用の椅子席と立ち見席があり、二階は出入り自由な立ち見スペースとなっている。二階はステージを見下ろせるコの字の位置に二重三重の人垣が出来る大盛況だった。観覧者はお年寄りから子どもまで各年代男女まんべんなくいたが、中高生だけは全くいなかった。

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(放送終了後に撮った会場の様子。奥の市松模様の所がステージ)

 10時になりステージに安住氏、アシスタントの中澤有美子氏、構成作家の佐藤研氏が登場。公開放送が始まった。オープニングトークで普通のスタジオが一瞬にしてスナックに早変わりするというイリュージョンが披露され、会場は大いに沸く。何とこのイリュージョンには四百万円もかかっているとのこと。赤坂サカスでやらなかったのは、この独自セットを使いたかったためかと納得する。
 バーの背景画は番組ファンにして日本画の巨匠、永山裕子画伯が四日もかけて描いたものとのことで、番組終了後には永山先生とのツーショット写真撮影会が開催されていた。

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 放送中、自分が話していない時の安住氏はしきりに紙をめくって何かを書き込んだり、隣の佐藤研氏と話したりと忙しなく何かをしており、それでいて話は聞いているらしく、「そんなこと言っちゃって大丈夫なの? 」などと要所で突っ込みを入れている。マルチタスク人間なのだ。一方の中澤氏は人の話をうなずきながら真剣に聞いており、ゲストの朝倉さや氏がデビュー曲の「東京」を熱唱した時は思わず涙ぐんでいた。良いコンビである。

 番組後半、十一時からのゲストコーナーには歌手の朝倉さや氏に続いてウクレレ奏者の名渡山遼氏が登場。名渡山氏がステージを下りて超絶技巧の演奏をして振り向くと、いつの間にか安住氏と中澤氏が消えてスナックが出現しており、カウンターの中には裕子ママ、席には客の朝倉氏がいるという趣向に会場は大盛り上がり。名渡山氏と朝倉氏が共演した後、再びステージが回転してスタジオが出現。戸惑う名渡山氏に安住氏が「君もイリュージョンを見たんだね」と語りかけ、オチをつけていた。
 番組終了後も安住氏の詳しく書けないフリートーク(上昇志向の強い某アナウンサーが、安住氏のアナウンサー評価ノートを見てモチベーションを維持している話とか)やスタッフ紹介があり、終わった時には12時半を回っていた。

 公開録音当日には、「赤坂秘宝館」も開催されていた。空き店舗スペースを借りて番組ゆかりの品を展示したもので、主な展示物は石、換気扇、鳩、俺の塩、醤油ノート、受験勉強用ノート(じっくり見られないよう回転している)、自作バイオリンである。いずれもヘビーリスナーには馴染み深い貴重な品なのだが、知らない人には何がなんだか分からないものばかりだ。実際、興味本位で列に並び、「何だこれは! 」と怒って出て行った人もいたらしい。
 一見何の統一性も見いだせない展示だが、共通点がある。どれも他者からの評価を得るためではなく、純粋な熱意を持って取り組んだ成果物なのだ。世間的には野球道を極めた人はヒーローで換気扇道を極めた人は変人だが、その熱意には何ら変わりはない。
 安住氏自身、パンダや醤油に並々ならぬこだわりを見せるマニアである。それだけに氏のインタビューには、相手がオリンピック選手でも変わった物のマニアでも変わらぬ敬意が感じられる。

 マイナーな集団は内部の結束が高まる。ウィンドウズユーザーよりマックユーザー、任天堂ユーザーよりセガユーザーの方が帰属意識、結束力が高い。
 様々なマイナージャンルを横断的に取り上げている日曜天国リスナーは、「石、換気扇、鳩、俺の塩」などという意味不明なものへの帰属意識が醸成され、ほとんど秘密結社化している。秘密結社に入りたくなった人は番組を聞いてみては如何だろう。関東以外の人もTBSラジオクラウドからサンプルが聞けるよ。

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神とは何か考えた

 書評サイト、シミルボンに「信じる人の写し鏡」という記事を書きました。

「神様とは何か」というお題をもらって書いたもので、通常の記事の三倍の労力がかかっているので宜しければ御覧ください。


 この記事を書くにあたり、神関係の本を読み、大変勉強になった。特に浄土真宗が選択的な一神教であるというのには驚いた。永遠不変なものはないというのが仏教本来の中心教義なのに、永遠不変の阿弥陀仏に帰依すると言っているのだから、原始仏教とは別の宗教と考えた方が良いのではあるまいか。
 先日の「PPAPは般若心経」で念仏や題目に深い意味がないようなことを書いたが、「唯一神のような存在に帰依します」「至高の教えに帰依します」という文言に深い意味がないとは不遜な物言いだった。「凡夫でも理解できるような平易な表現」と書くべきであった。

 心の平安を得る方法には自力と他力の二通りがある。自力は永遠不変のものなどないことを直視し、瞑想などのトレーニングによって心の平安にたどり着く方法。トレーニングが必要なので大変だし、死を受け入れる強い心が必要だ。一方、他力はキリスト教の神や阿弥陀仏のように永遠不変の存在がいて救ってくれると信じる方法で、かつては誰でも簡単に心の平安を得ることができた。
 できた、という所が問題で、現代では他力方式はかつてほど有効ではない。何故なら神や仏を信じることが難しいからだ。
 誤解されがちだが、神仏は「信じる」と表明した人に超能力を発揮して対価を与えてくれるわけではない。心から信じることで得られる心の安らぎこそが報酬なのだ。しかし科学技術が発達し、奇蹟も集団幻想で説明がついてしまう現代では、神仏の実在を心から信じることは難しい。信じるためにはそれこそ自力並みのトレーニングが必要だ。難儀なことである。

 

最強の盾、汝の名は童貞――逃げるは恥だが役に立つ第7話感想

(本稿は『逃げるは恥だが役に立つ』第7話のあからさまなネタバレを含みます。文中敬称略。)

 『逃げるは恥だが役に立つ』第7話のラストは衝撃的だった。ガッキー演じるみくりがきっちり外堀と内堀を埋め、万全の体制で総攻撃を仕掛けたにも関わらず、平匡(童貞)が陥落しなかったのだ。まさに難攻不落。大坂城もびっくりだ!
 私は今まで、恋愛ヒエラルキーの最上位はガッキーのような美女であり、最下層に位置するのは童貞なのだと思っていた。だが、童貞はガッキーに勝った。言わば大貧民でスペードの3がジョーカーに勝つようなものだ。
 普通、美女は童貞のことなど相手にしないので、童貞は単なる恋愛弱者だと思われている。だが、美女とマッチメイクしてみた結果、こと防御力に関して言えば最強の存在だということが明らかになったのだ。すごい、すごいぞ童貞!

 逃げ恥の優れている所はかなり荒唐無稽な展開でありながら、そういうこともあるかも知れないと思わせるリアリティを保っている点だ。特に童貞役が星野源という所が絶妙だ。これが例えば福山雅治だったら、視聴者に「福山雅治が童貞な訳ないだろ! 」 と思われてしまうし、もっといかにも不細工な役者だったら、「ガッキーが好きになる訳ないだろ! 」と思われてしまい、リアリティーが崩れてしまう。いかにも童貞っぽい雰囲気を漂わせつつ、清潔感もある星野源だからこそ成立した役であると言えよう。何だ、すごいのは童貞ではなく星野源か。

 一箇所、これはファンタジーだな、と思うのは、平匡が夜でも全然髭が生えていないことだ。あれが清潔感に大きく寄与していることは間違いない。星野源になるのは無理だが、取りあえず髭はもっときっちり剃ることにしよう。

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人間は変わらないのか――仕事に効く教養としての「世界史」感想

 『仕事に効く教養としての「世界史」』(出口治明著、祥伝社)はライフネット生命社長にして読書家としても知られる出口氏による世界史概説書だ。「この本は、僕が半世紀の間に、見たり聴いたり読んだりして、自分で咀嚼して腹落ちしたことをいくつかとりまとめたものです。」という作者の説明が本書の性格を端的に表している。世界史の出来事が列挙されているのではなく、世界史の勘所が作者の実感を伴った解釈でまとめられている。従って、本書は大変分かりやすく、面白い。

 本書には参考文献がついておらず、正しいのかどうなのか分からないじゃないかという批判がある。
 だが、歴史には事実と解釈がある。例えば、「野田政権による解散総選挙民主党は勝利し、政権を維持した。」というのは客観的事実に反しているので間違いである。だが、「総選挙で何故民主党は敗北したのか?」という問いにはいくつもの答えがある。「消費増税を決めたから。」「官僚を上手くコントロールできなかったから。」「内輪もめをしたから。」どれも間違いではない。歴史には複数の解釈があり、事実に反していない限り、どの解釈にも一面の真実がある。従って、本書の解釈が歴史学者の通説と異なっていても、ただちに間違いだということはできない。


 本書で特に感心したのは中国史だ。諸子百家始皇帝と聞くと、紀元前の現代とは全く違う時代のことだと思いがちだ。だが、出口氏は現代とさほど変わらないのではないかという解釈を提示する。

 諸子百家は必ずしも対立していたのではなく、棲み分けていたのではないか。老子孔子が対立していたのではなく、それぞれのポジションをきちんと取っていた。法家は霞ヶ関儒家アジテーション墨家は平和デモ、それを冷ややかに見ている知識人は道家というように、棲み分けていたのではないか。
 
 そのように考えると、いまの中国も結局のところは、始皇帝のグランドデザインを超えていないという気がします。中央がすべてを取り仕切り、官僚を送って文書行政で統一的に支配するわけです。ただ、建て前だけが変わっていて、政府の建て前は共産主義です。人民は儒家の高度成長を信じていて相変わらず金儲け。知識人は冷ややかに見ている老荘であるということも含めて、社会の構図は基本的には何も変っていない気がします。


 本書には、出口氏の人間は本質的には変わらないという思想が通底している。だが、果たしてそうだろうか? 現代の日本はかつてない少子高齢化社会を迎えている。インターネットの登場によって人々の意識は大きく変化した。現代社会は過去の歴史的知見が適用できない特異な社会なのではないだろうか。

 そんなことを考えている時に、トランプ大統領が誕生した。そして出口氏の慧眼に脱帽した。トランプ大統領の誕生が本書に書かれている朱元璋の明建国と同じだったからだ。

 元のクビライはユーラシア各地の王族に銀塊をばらまくことで、各地の王族→各地の商人→中国商人→クビライという大循環を作り出した。それによって元は大いに繁栄したが、グローバリゼーションの蚊帳の外に置かれた農民達の不満が高まった。やがて貧農出身の朱元璋が明を建国。海禁(鎖国)政策を採る。これによって国力が衰退し、清の時代のアヘン戦争によって中国は完全に没落してしまう。
 これはまさに今日の世界で起きていることそのものではないか。

 やはり人間は本質的には変わらないらしい。過去と同じ過ちを犯さないため、多くの人に手にとって欲しい本だ。

 

仕事に効く 教養としての「世界史」

仕事に効く 教養としての「世界史」

 

 

神田カレーグランプリ2016感想

 11月5,6日に神田の小川広場で開かれた神田カレーグランプリグランプリ決定戦に行ってきた。6日の13時過ぎについた時はラッシュ時の駅のホーム並みの大混雑で、ゆっくりしか前に進めないような状態だった。

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 カレーグランプリは事前の予選期間の投票での上位20店が会場のテントでカレーを販売。カレーを一皿購入する毎に一枚もらえる投票券を、投票所の気に入ったカレー店の箱に投票する仕組みだ。そこで、各店色々と戦略を練って望んでいた。

 まず最初に食べた「とろ肉 魚とん」は一皿の量を絞り、300円という低価格で勝負していた。私がまず魚とんの「とろ肉ライスカレー」を食べたのは安かったからなので、この戦略は有効だったと言えよう。

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 次に食べた「100時間カレーB&R 神田店」は提供スピードで勝負していた。大勢の店員を揃え、注文前にカレーを盛り付けることで、四種類もカレーがあるにも関わらず、他店より素早くカレーを提供していた。流石一昨年の覇者だけあって、戦い慣れている。

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 一方、三番目に食べた「アジアンダイニング シディーク 神保町店」は満腹戦術という全く別のアプローチで攻めていた。二種類のカレーに加え、ご飯の上に大きなナンが乗っており、ボリュームたっぷりなのだ。もし最初にシディークのカレーを食べていたら、これだけ食べて帰っていたことだろう。そうなれば、必然的にその人はシディークに投票することになる。何という巧妙な作戦! いや、単にサービス精神が旺盛なので量が多いだけかも知れないが。

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 「とろ肉ライスカレー」はスプーンで切れるとろ肉が素晴らしく、100時間カレーの「チキンカツカレー」はルーの旨味が超濃厚。シディークの「2カレーセット」は変わり種のグリーンカレーとクリーミーなカレーの二種類が味わえてお得だった。
 どれも美味しかったので、私は食べた三店に一枚ずつ投票した。本当にどのカレーが美味しいか審査するのなら、格子仕切りの皿に一口ずつ20店のカレーが載っているセットを販売して食べ比べる方式にした方が良いんじゃないかと思うが、手間がかかるので現実的ではないんだろうな。


追記:グランプリは「100時間カレーB&R 神田店」が獲得したとのこと。おめでとうございます。

kanda-curry.com

PPAPは般若心経

 PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)は般若心経だ。曲最後の「ペンパイナッポーアッポーペン」の部分が般若心経最後の真言「ギャーテーギャーテー ハラギャーテー ハラソーギャーテー ボージーソワカ」に相当する。さらに、PPAP全体の内容も般若心経と共通性がある。

 

1末尾が共に意味がない文言から成っており、唱えることで一時的に煩悩を消し去る効果がある。
 「ペンパイナッポーアッポーペン」や「ギャーテーギャーテー…」を実際に唱えてみればよく分かる。唱えている間は余計なことを何も考えていないことに気づくだろう。最近はてなで話題になっている瞑想と同じ効果があるのだ。

 唱える呪文――真言は深い意味がないことが重要だ。「ペンパイナッポーアッポーペン」に意味がないことは明らかだが、「ギャーテーギャーテー…」も「往ける者よ、彼岸に往ける者よ、悟りよ、幸いあれ」ということなので深い意味はない。
 これらの代わりに「雫。大好きだ!」などと唱えれば、頭がたちまち煩悩まみれになってしまう。唱えるのは過去の経験への連想が働かない文言である必要があるのだ。
 南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経といった念仏・題目真言と同じ効果を持っている。阿弥陀仏法華経との思い出がトラウマになっている人などというのはいないので、唱えるのに適当なのだ。

 真言や念仏・題目はリズミカルで唱えやすい必要もあり、その点でもペンパイナッポーアッポーペンは優れている。言語学的には既に佐々木あらら氏の素晴らしい考察があるので、本稿では割愛する。


2共に色即是空について述べている。
 PPAPは意味あるものが無意味なものに変転する過程を説明した歌だ。
 最初の段階で、「私」はペンやリンゴ、パイナップルを持っていると認識している。
 それらを組み合わせたアップルペン、パイナップルペンは使いにくそうではあるが、果物の飾りのついたペンという一応意味のあるものになる。
 だが、それらをさらに組み合わせたペンパイナッポーアッポーペンとなると、もはや意味不明である。重すぎてペンとして使うのは難しいし、分解しないと食べることもできない。ペンパイナッポーアッポーペンは何物でもない。

 PPAPは、ペン、リンゴなどを所有していると思っていても、それらは確固としたものではなく、容易に意味のないものに変化しうるということを述べている。これは般若心経の、色即是空の教えに近い。
 般若心経はこの世の全てに実体がないと言っているのに対し、PPAPは実体がないとまでは言っていないという点は異なっている。だが、万物は変化し、認識は不確かであると説いている点で、両者の主張には共通点が多い。


 PPAP作詞者のピコ太郎氏が般若心経をどの程度意識していたのかは分からない。インタビューでは言及がなかったので、全く意識していない可能性も高い。
 私が感銘を受けたのは、PPAPは誰も不幸にすることなく、多くの人の幸福度を少しずつ高めたということだ。笑いには誰かを傷つけるものが多いが、PPAPにはそういう毒がない。
 ピコ太郎氏は人々を幸せにしようと考え、同じ思いから書かれた般若心経と結果的に似ることになったのではないだろうか。

 

※わっとさんのご指摘を受け、修正しました。南無妙法蓮華経は題目というのを知りませんでした。

 

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PPAP Pen Pineapple Apple Pen

なすすべもなく負けると涅槃の境地

 私は千葉ロッテマリーンズのファンだ。だが、球場に足を運ぶのは、2シーズンに1回ぐらいだった。マリーンズは12球団で最も観客動員数が少ないことで知られているが、それは私のような不熱心なファンのせいである。
 しかし今シーズンはファンクラブ会員になったこともあり、2回応援に行った。去年までは計3回なので大幅増である。

 過去3回、私が行った試合は全てマリーンズが勝った。それは私が強運の持ち主だから――ではなく、予告先発投手を見比べて、勝てそうな試合の時に応援に行っていたからである。
 しかし今年はむしろ劣勢そうな試合の時に応援に行った。負けそうな試合こそ応援の力が必要とされているのに、勝てそうな試合だけ行くとは何事か。お前はそれでも真のマリーンズファンか、と考えた――わけではなく、そうする事情があったのだ。

 最初に球場に行ったのは5月6日の対オリックスバファローズ戦。ロッテの先発はしばらく二軍で調整を続けていて、久々に一軍で登板する唐川。対するオリックスはエースの金子。あまり勝てそうもない。
 だが、この日はバリュー試合に設定されており、外野応援席の値段がわずか千円だった。安い! というわけで応援に出かけた。
 結果は5対0でオリックスの勝利。唐川は7回2失点と頑張ったのだが、金子にロッテ打線が散発の4安打に押さえこまれ、あまり点が取れる感じがしなかった。

 二回目に観戦に行ったのは 8月13日の対ソフトバンクホークス戦。ロッテの先発はルーキー関谷。対するソフトバンクの先発は千賀。千賀は当時8勝1敗と絶好調。しかもロッテはソフトバンクに三試合に一回しか勝てていない。戦う前から劣勢は否めない。
 だが当時、ロッテはソフトバンクに引き離されているものの二位であり、ここでソフトバンクを三タテにできれば、優勝の可能性もあった。そして私の手元にはファンクラブ入会の際にもらった内野自由席の無料券があった。ぐずぐずしていると、無料券を使い損ねてしまう。というわけで応援に出かけた。
 結果は3対0でソフトバンクの勝利。関谷は7回3失点と頑張ったのだが、千賀にロッテ打線がわずか1安打に押さえこまれ、全く点が取れる感じがしなかった。 
 
 試合終盤に逆転されて負けるととても悔しい。だが、このようになすすべもなく負けると悔しくない。悲しくもない。感情は動かず、ただ幸福値だけが下がったような気分だ。太陽は東から上る。枯れ葉は木から落ちる。弱いほうが負ける。何の不思議があろうか。

 

 唯一嬉しかったのは、ファンクラブ特典としてオリックス戦ではピンバッチ、ソフトバンク戦ではブランケットがもらえたことだ。

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このブランケット、一見普通のマリーンズ柄なのだが、開けてみると――

 

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 涌井選手と清田選手の等身大ブランケットになっているのだ!

 

 これを見て抱きまくらみたいで使いづらいと思ってしまうのは私のマリーンズへの愛が足りないからだろうか。